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仕事に対する姿勢を学ばせてもらった話

学生の頃は私もアルバイトなるものを体験したのであった。
いくつかの職種を経験したなかで、今でも覚えている仕事がある。


*   *   *


私を含めた周りの学生は、学生相談所、通称「学相(がくそう)」なるところで日雇いのアルバイトを選んで、指定された日時にそこへ行って働かせてもらうことが多かった。

そのうちの一つに、ラベル工場があった。

たとえば、インスタントコーヒーのガラス瓶に貼る商品ラベル(ネスカフェとか、クリープとか、ああいうラベル。遠い昔には「ニド」というのもありましたけど)であるとか、ビックリマンチョコに入っているおまけのシールであるとか、そういった類いのものを作っている工場に行った。


大きな町工場という風情のそこでは、何人かのベテランとおぼしき方々が黙々と作業をしていた。私はそのなかで帽子をかぶった白髪混じりの工員さんに指導してもらうことになった。

工員のおじさんの脇にはベルトコンベアがあって、次から次へと切るべき余白を持ったラベルが押し寄せてくる。おじさんは無駄な動きをすることなく大きなカッターで次々とラベルの余白を切り落とす。

私は、おじさんが余白を切り落としたラベルを整理して300枚ずつをひと組にする、という作業をすることになった。


おじさんは自分の体の前でラベルの余白の向きを揃えて大きなカッターを操り黙って手を動かしている。
余白の具合を見て切り方を調節しているように見えた。
印刷工場などにある、ギロチンのように大きな刃を持つカッターをこのとき初めて目にした。

「これ、危ないからな。手ぇ出さんようにな。」

おじさんの口調は穏やかだった。
そうして私は、流れ作業の中に組み込まれた。


5センチ四方ほどのラベルが何十枚も積み重なったサイコロのような塊が次から次へと生み出されていく。私はその塊が崩れないように注意して300枚ずつの組を作っていく。

ラベルは四隅が少し反っていて、無駄な動きをするとその動きが起こした風で上から順に吹き飛んでいく。その度に私は息を止めるほど緊張して手を止める。しばらくして、ラベルの動きがとまるとほっとしてため息が出る。するとまたラベルは飛んでいきそうになる。

そういう私をみておじさんは時折「それ、じゃまになるで」「もう少し要領良くやってな」など、アドバイスとも注意ともつかない言葉を独り言のようにつぶやいて私を指導してくれた。


午前10時過ぎまでインスタントコーヒーのラベルを扱って休憩にはいった。
一つの商品に区切りがつき、おじさんは
「慣れてきたんちゃう」
と言ってくれた。

休憩のあとは、お菓子に封入されるおまけのシールを扱うことになった。

そうやって要領を覚えて、私としても何となくおじさんと呼吸があってきたかな、と思ったお昼前であった。
私の動きは雑になっていたのだろう、おじさんがカッターで余白を落とした「サイコロの塊」をそのまま横へ滑らせながら動かそうとして指にひっかけてしまった。

すると、次の瞬間その塊は形を変えた。
「あっ」とも思わないうちに
マジシャンがテーブルに広げたトランプのように
おまけのシールが綺麗に広がってしまった。
おじさんはちらと私を見て

「ああ・・・。あわてんとな」

と言った。
私は、流れ作業を止めてはならないと思い
広がったおまけのシールを回収したあと一層緊張して作業を続けた。
そうした緊張はあまりいい結果につながることはなく
この時もそうであった。


失敗してはいけないと思った私は緊張しすぎていたのだった。
あろうことか、それまで300枚ずつに分けてあった
おまけのシールに肘打ちを食らわせ
ドミノ倒しのようになり、その一部がばらばらと床に落ちたのであった。

おじさんは一瞬私を詰問するような目つきをした。
怒鳴られる、と身構えた。
しかしおじさんはコンベアの方を向いて大きな声で

「ちょっと止めたって」

と言った。
そして黙って私の崩したシールを拾い、丁寧に揃え始めた。
私は、自分が手伝うとまた余計なことをしてしまいそうで
「すいません」と小さな声で言い
なるべくシールの山から遠いものを拾っていっておじさんに手渡した。

おじさんは
「慌てたらあかんねん」
と言って私を制した。
そうして一人できれいにシールの山を作り直しつつ言った。

「学生さんは今日だけやから
 これが何かわからんかもしらんけどな」

おじさんの手つきはやはり間違いのない動きをしている。
私は首をすくめて上目遣いでその動きを見ている。

「このシールはな、お菓子に入るねん。
 きれいなシールが入ってたら
 子供はよろこぶやろ?
 せやから、学生さんは『こんなもん』と思うかもしれんけど
 大事に扱わなあかんねん。
 見てみ、このシールきれいやろ?」


私は自分の雑な作業が
慣れからではなく
仕事というものを軽く見ていたところから出てきたのか
と無意識を照らされたような気持ちになり
返事ができなかった。

「たかがバイトや」という軽い気持ちではいけない。

ここは
仕事を経験させてもらってお金ももらえる
という貴重な社会勉強の場なのだ
と諭されていると思って恥ずかしくなった。

若かった私は言葉の出ないまま
その場でしばらくうなだれていたのだった。



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