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鎖国の思想

どうも、犬井です。

今回紹介する本は小堀桂一郎先生の「鎖国の思想―ケンペルの世界史的使命 」(1974)です。本書における"鎖国観"は、最大の鎖国研究の一つである和辻哲郎氏の「鎖国」における"鎖国観"とは、反するものになっています。つまり、鎖国によって「科学的精神が」成熟せず、国家の発展が遅れ、「太平洋戦争の敗北という代償を払った」とするような"鎖国観"は採用しておらず、鎖国をむしろ好意的な面から捉えています。

小堀氏が何をもって鎖国を好意的に解釈しているのかを、以下で簡単にまとめたいと思います。

何をもって「鎖国」と言うか

いやゆる鎖国令は、1633、34、35、36、39年の5回に渡って発令されている。4年連続の禁令の発布によって鎖国体制は着々と強化され、1639年にポルトガル船の来航禁止を定めた政令をもっていわゆる鎖国体制が完成したとみるのが妥当であろう。

しかし、それらの政令は当時は「鎖国令」などと名称されていなかった。実際に「鎖国」という名称が使われるようになったのは、1801年に志筑忠雄がケンペルの「日本誌」中の一章を訳出して「鎖国論」と題したのが始まりだという。

とすればそれは鎖国体制の実現より160年も後のことで、その間我国人は「鎖国」という概念を以てしては自国の現在の体制を理解することはなかったわけである。

もしこのような言い方が許されるとすれば、「鎖国」という強固な体制は作為的なものではなかった。もとはといえばキリシタン宗門の禁圧が目標であり、そのために現実的に有効な手段を次々と講じているうちに、徳川政権下の「祖法大事」の下、知らぬ間に鎖国の中に追い込まれていたといった感じである。

ケンペルの鎖国観

ケンペルは1690年9月から2年余りを日本で過ごし、その後、その経験をもとに「日本誌」を発表した。その中で、ケンペルは当時の日本を次のように述べている。

「閉鎖されたこの国は、皇帝が権力を振るうことに対する他国からの障害に遭うことはない。そのため、一人の君主の至高の意思によって統御され、解放された国家に於いては到底真似できないような厳しい秩序の下に統制することができるようになった

国民の習慣を意のままに拘束し、新しい礼式を旧に替えて導入し、民衆の仕事を規制し拘束し、褒賞と報酬によって市民にその技術上の発明を奨励した。

概して言えば全国民を、彼らが日常不断に接しているところの観察者を通じて、厳しい服従の義務に、また勤勉にして正直な生活に縛りつけ、かくて全国土をいわば礼儀の学校に変身させるに及んだ。

こうして、この国の民は、習俗、道徳、技芸、立ち振る舞いの点で世界のどの国民にも立ちまさり、国内交易は繁盛し、肥沃な田畠に恵まれ、頑健強壮な肉体と豪胆な気象を持ち、生活必需品は有り余るほどに豊富であり、国内には普段の平和が続き、かくて世界でも稀に見るほどの国民となりえた

開国直後の日本

1860年、カール・ローゼンクランツは「日本及び日本人」と題する公演の中で次のように述べている。

「日本人は200年というかかる長期間自国内に逼塞する生活を送りながら、国民性が弛緩し萎縮したという形跡が少しもない。それどころか日本人は剛健の気質を保持し、進歩への意欲も失っていない。

活発な国内交易を通じて、経済生活の沈滞を防ぎ、国内の農業生産は豊かで優に3000万人の人口を養うに足りるが、気候的条件が厳しいため、絶えず精励努力し生産を維持している。

また、日本人はオランダ人を通じて西洋文明の進歩について常に最新の情報を得ていた。さらに、学者たちの特定の一派は、オランダ語の文献を日本語に訳すという公的任務に従事し、高級官僚は全員オランダ語を学ばされていた。

ペリーの入港以来、日本人との折衝に当たったアメリカ人、イギリス人らは、国を鎖して外国との交渉を一切断っていたはずの日本の官吏たちが、世界地図を広げて見せると、欧米人と全く同じように図上をトレースすることができ、また、輓近の世界史上の重要出来事に通じているのを知って驚いたのであった。

エリクソンの熱機関をも日本人は知っていた。同様に例えば彼らは西欧で用いている搾油装置を知っていた。

ただそれらを採用しなかったのは、実際的効用に彼らが重きを置かなかったり、手工業的職人の失業を恐れたからである」

鎖国の思想

和辻氏は「鎖国」の中で、「合理的な施策を軽視して偏狭な狂信に動いた人々が、日本民族を現在の悲境に導きいれた」と語っている。

「現在の悲境」とは「太平洋戦争の敗北によって日本民族は実に情けない姿をさらけ出した」ことを指しているのだろうが、敗戦国は何も日本だけではない。敗戦の要因を「推理力による把捉を重んじないという民族の性向」、つまり、「科学的精神が欠如」していたと断ずるのなら、ドイツ人や、国土解放以前のフランス人もそれに当てはまると言うのか。

また、「科学的精神の欠如」が戦争敗北の根本原因だとするならば、太平洋戦争よりはるか以前の日露戦争においてなぜ日本は完敗しなかったのか。

もし、和辻氏の言う「情けない姿」のことが、戦後日本が占領軍の無法な要求に従順に屈服し、歴史観・文化的価値等を一変してしまったことを指すのなら、それはよくわかる気がする。

戦後の世代は自分たちの不如意を戦前・戦中世代の責任として非難し、戦前の世代は己の失敗の原因を更に過去の世代に求めた。その結果、「鎖国による近代化の遅れ」を非難する声が上がってきたように思われる。

黙って現在の悲しい運命に耐えている人々の方が、私の目にははるかに頼もしげに映ったが、世間の人気は不思議にも上のような「告発者」型の人々に集まった

本来我々がなすべきは、鎖国体制下にも関わらずなお且つ我国に波及浸透してきた「近世の精神の影響」を探ることであり、これによって芽生え育った「科学の精神」を限りなく精査し、明るみに出すことではないのか。

もう一つ。鎖国は我国固有の歴史的脈略から切り離してみれば、一般的には国際紛争回避のための一手段と映る。紛争回避の手段としては確かに消極的退嬰的な選択である。

しかし、日本のみならず、かつては韓国が国是としてとり、明・清でもこれに近い外交方針が見られた。また、近年では東ドイツのベルリンも鎖国体制の一つだと考えられる。

総じて国家の自立、国民の結束といことを大事に考える限り、他国民がそれについて何を言おうと、当事国にとっては立派に根拠のある「国際紛争回避の手段」だったのではないか

つまり、私が言いたいことは、鎖国思想すなわち退嬰的逃避の思想ではなく、現実的な外交手段として日本以外にも有効に用いられてきたということ。

そして、それが極めてアジア的・日本的な特異現象で世界史上に類稀な事例であったとみなすこと、及びそのことを持って直ちに日本国民の歴史の恥ずべく悔やむべき弱みであったかのように思う理由は毛頭ないことである。

あとがき

最後の章に関しては個人的に大事だと思われたので、多くのスペースを割いてまとめさせていただきました。というのも、近年、あるいは直近の問題について意味ある洞察が得られると思ったからです。

私がここで言及したい問題は「パンデミック」という非常事態に対する、日本政府の対応の甘さと、言論人や一部の世間の認識です。

(先に断っておくと、以下では、日本が鎖国をするべきだというような無理難題を要求しているわけではなく、COVID-19に対して適切な処置をとるべきだということを述べています。)

COVID-19に対する日本政府の対応の稚拙ぶりは、少し調べればすぐに出てくると思いますが、以下で問題を簡単にまとめるなら、

①一月末に中国への渡航と中国人の入国規制をしなかった
②COVID-19対策費が少ないこと

の2つが挙げられると思います。

まず、一つ目に関して述べましょう。日本はいまだに中国への渡航と中国人の入国禁止を行なっていません

他の主要国を引き合いに出すと、アメリカは1月31日時点でアメリカ人の中国への渡航を禁止。また、14日以内に中国(香港とマカオの特別自治区を除く)に滞在歴のある人間の入国を禁止しました。

イギリスは2月4日には、イギリス国民の可能な限り中国から退避するよう勧告を出しました。ロシアも、1月31日に対中陸上国境を閉鎖。更に、2月20日に中国人の入国を禁止を公表しました。

そして、我国の対応の遅れから、他国の日本への渡航警戒レベルも引き上がっています

続いて二つ目に関して。日本はCOVID-19対策に現時点では総額150億円あまりの緊急対応策しかまとめていません

ここでも、他国を引き合いに出すと、アメリカは2月26日、ワクチン開発などのため2700億円規模の予算の拠出を決めました。

また、シンガポールは2月18日、感染防止および景気の下支えのために年度45億ドル(約5040億円)の対策費を発表しました。

香港は2月15日に250億香港ドル(約3500億円)を拠出することを発表し、韓国は2月25日に1800 億円相当の予備費を活用すると宣言し、更に台湾は2月25日、景気対策として600億台湾ドル(約2200億円)を上限とする特別予算案を可決しました。

消費税増税による甚大な影響に加えて、インバウンド激減と、政府の下支えも不十分だとしたら、景気が落ち込むのは不可避です。しかし、そんな中で首相の認識は「経済対策の効果もあり基調として緩やかな回復が続く」(2月17日 国会答弁)ですから、これからまともな景気対策が取られることは期待できません。

そもそも、なぜこうした非常事態に対して脆弱な国家になってしまったのか。

私は本書がその答えのヒントを与えてくれると思います。

今回のような危機の際には、他の主要国が示すように国境を引き上げ、資金を投入して、国家が国民を救うのが当然です。

しかし、我国は鎖国のように国境を引き上げたことによって、太平洋戦争の敗北という悲劇を招いたという"歴史認識"から、他国から輸入されるものの是非を吟味するという、国境を引き上げることの本来の利点を忘れてしまった。そのために、中国への渡航も中国人入国禁止の選択もできないのではないか。

そして、過去を否定し、歴史の繋がりを軽視する国家は、未来への繋がりすら軽んじ、危機に備え、政府が国民のために資金を投入するという当然の判断ができないのではないかと考えられるのです。

また、最も悲惨なことは、こうした危機に対して「自己責任」とするような政府や、それに類することを論じる言論人がいまだに多くの人に支持されていることです。まさに敗戦を過去の世代に求めた「告発者」が世論に支持されたことと同じように。

こうした現実が、45年前に小堀氏の言ったように、「鎖国体制下にも関わらずなお且つ我国に波及浸透してきた「近世の精神の影響」を探り、これによって芽生え育った「科学の精神」を限りなく精査し、明るみに出すこと」を怠った末路だとすれば、度し難いと言わざるを得ません。

それでも、今の私たちがなすべきは「現在の悲しい運命に耐えて」、その後のために、この厳しい時代で経験を積み、思想と精神を鍛えることではないでしょうか。

では。

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