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学問のすすめ

どうも、犬井です。

今回紹介する図書は、福澤諭吉(著),齋藤孝(翻訳)「学問のすすめ 現代語訳」(2009)です。「天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず」という誰しも聞き馴染みのある書き出しで始まる「学問のすすめ」ですが、文語体ということもあって読むのをどうしても躊躇っていました。しかし、齋藤孝先生が現代語訳版を出されているということで手に取ってみることにしました。明治7年に書かれ、歴史に残る名著が訴えるものとは何なのか。以下で、本書の内容を書き綴っていきたいと思います。

学問とは何か

「天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず」と言われている。つまり、人が生まれながらにして持っている、人としての権利は平等である。

しかし、現実では社会的地位や貧富の差には大きな開きがある。その差は何によって生まれるのか。それは学ぶか学ばないかによってである

ここでいう学問とは広い意味を持ち、実生活や実際の経済、現実の世の流れを察知するのも学問である。本を読むことだけが学問ではない。

政府の役割

政府は国民の代表となって法律を整備し、国民はその法律を守る。そうした社会的役割に違いはあるものの、政府と国民との間柄は、もともと同一のものである。

しかし、学問を学ばない国民、つまり無知ゆえに社会的地位が低く、貧しい国民が増えると国家はどうなるであろうか。

彼らは自分の境遇を反省することなく金持ちを恨み、果ては法を犯し、暴力に訴える。そうした国民には道理で訴えても無意味で、政府が力で脅す他なくなる。「愚かな民の上には厳しい政府」があるのだ。

もし、そうした暴力的な政治を避けたいならば、学問に志して、自分の才能や人間性を高め、政府と同等の地位にのぼるようにしなければならない

人民独立の気概

個人の独立なくして、国家の独立はない。

政府が主導となって教育機関、軍隊、工業といった形あるものを揃えても、国家が独立したとは言えない。独立に真に必要なものは、「人民独立の気概」である。

国民が政府の力に頼るばかりで、国内で独立した立場を持っていなければ、外国に向かって接するときも、独立を主張することができない。

国民は独自で工夫や発明を行い、文明を作る中心でなくてはならない。また、政府はそうした環境を維持するために保護を行わなくてはならない。

一国全体を整備し、充実させていくのは、国民と政府とが両立して初めて成功する。そこに国家の独立としての道がある。

何を信じ、何を疑うか

信じる、疑うということについては、取捨選択の判断力が必要である。

日本においても、開国以来、西洋文明の素晴らしさを信じ、数千年以来の習慣に疑いを入れて、多くの物事について古い制度を改革してきた。

ただ、その信疑の判断力というのはきちんと備わっていたのだろうか。軽々しく信じたり、軽々しく疑ってはないだろうか。

判断力を身に付けるためには、多くの本を読み、多くの物事に接し、先入観を持たずに鋭く観察し、真実のありかを求める必要がある。その結果、信じることと疑うことが入れ替わって、昨日信じてたことが疑わしくなることもあるだろうし、今日の疑問が明日氷解することもあるだろう。

学問をするものは暗中模索しつつ頑張らなくてはならない。

あとがき

本を読む際には、本が書かれた「時勢」を考慮しなければなりません。「学問のすすめ」が書かれた当時、国際社会の変化の混乱の中で、自国のあり方を模索していかなくてはなりませんでした。ですから、内容をそっくりそのまま現代に持ち込むというのは本来憚られるものなのかもしれません。しかし、百数十年読まれ続ける古典の大著は、時代を超えて語りかけてくるものがあり、そうした福澤諭吉の先見性に、感服せざるを得ませんでした。また、福澤諭吉の思想の根底には「実践主義(=プラグマティズム)」の精神が流れているのを強く実感しました。学ぶだけでなく、実際に活かすことで学問は意味を発揮すると本書でも説かれています。本書読了後、「学ぶとは何か」「学んだことを実際に活かすにはどうしたら良いか」について改めて考えさせられました。いつかは、文語体でも読んでみたいと思います。

では。

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