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【小説】「ヒーリング•サークル」第7章 タッパー

 休職期間が始まってから、毎日寝てばかりいる。朝は一応目が覚めるけれど、相変わらず起き上がれない。会社に行かなくて良いので、そのまま昼まで寝ている。昼食はパスタを茹でて市販のパスタソースをかけたものを食べる。夕食はかろうじて近所のスーパーに歩いて行って、簡単なメイン料理とサラダを作って陽司と一緒に食べる。それ以外の時間はずっとベッドに横になっていた。お風呂は億劫で二、三日に一回しか入れない。そんな生活だけれど、陽司は何も言わなかった。帰宅した時に、今日は何をして過ごしたの、と聞いてはくるが、ほとんど寝ていてスーパーに行っただけだよ、と答えると、そうか、出かけられて良かったね、と言ってくれる。
 それでも、私は一人焦っていた。休職期間は一ヶ月だけれど、すぐに期限はやってくるだろう。それまでに回復できるだろうか。休んで一週間経つけれど、体の芯のだるさはずっと抜けない。どうしたらいいのだろう。
 悶々と家で過ごしていた昼間に、スマートフォンがブルっと一回震えた。それはエリさんの主宰する「ヒーリング•サークル」のグループLINEだった。いつだったか、夏実さんに招待されて参加したのだ。時々、エリさんがチャクラがなんとか、魂がなんとか、の記事をシェアしたり、夏実さんがそれを読んで感動しました、の返信をしたりする。セッションに参加した人たちが今日はありがとうございました、と社交辞令のメッセージを送り合う。それくらいで、いつも私は流し読みをしているだけだった。
 でも今日トーク画面を開くと、一つの短い未読メッセージが、ブワッと目の中に飛び込んできた。
「疲れて弱っている貴方へ。お待ちしています。」
 それは、私に向かって飛ばされたような言葉だった。本当は、グループのみんなに向けて送った、営業メッセージなのかもしれなかった。でもこれは、私に向かってのものだ、私を気遣って送ってくれたのだ、と感じずにはいられなかった。
 私の手はいつの間にか、エリさんのサロンに電話をかけていた。
 
 三回目のロミロミに、高揚とした気分で行ったものの、帰り道は、エリさんに言われた言葉にずっとモヤモヤしていた。
「あなたは無知だから、その事を自覚しないとね。」
 その言葉がずっと頭の奥に居座って消えない。責任の放棄、という言葉も引っかかっていた。エリさんから出たセリフは、全部私を責めるものだった。救われると思っていそいそとサロンに出かけていったのに、今は貶されるために行ったような気がしていた。
 暗い気持ちで帰宅すると、家を出る前は玄関に脱ぎ散らかされていた夫と私の靴が、きちんと揃えられている。嫌な予感がしてキッチンに行くと、ダイニングテーブルの上に、保冷バッグが二個置かれている。中を開けると、義母が作ったらしき惣菜の入ったタッパーがいくつも詰められていた。
ため息をついてソファに座り込む。また義母が勝手に家に入ったのだ。結婚してこの家に引っ越してきた時に、夫が私の知らない間に義両親に合鍵を渡してしまった。義母は時々、こうやって不在の時にも訪ねてきて鍵を開け、乱れている部屋を整え、手作りの惣菜を置いていく。そのことに辟易していた。そして、そのことに面と向かって抗議できない自分に嫌気がさしていた。
 力なくソファに横たわっていると、スマートフォンに着信があった。夏実さんだ。気が重いが、通話のスイッチを押す。
「こんばんは。調子どうかな、と思って。」
夏実さんがこちらの様子をうかがうように言った。
「まだあまり、回復できてないです。今日はエリさんのところに行ったんですけど。」
 そこで私は言い淀んでしまう。エリさんの信奉者である夏実さんに、今日のことを話してもいいのか迷ったのだ。
「そうなんだね。電話したのはね、次のセッションに来るかなと思って、確認でかけたの。なんだったら私が代わりにエリさんに申し込みしておくし。どう?」
 セッションか。どうしよう。
「私、休職中ですし、会社のみなさんがいるところに出かけていくのって、いいのかなと思って。」
「そんなこと、参加するみんなは誰も気にしないわよ。」
 そう言って、夏実さんはカラッとした声で笑った。本当だろうか。
「まあ一度参加してみなよ。気分も変わるだろうし。私からエリさんに連絡しておくね。じゃあね。お大事に。」
 一方的に言って、夏実さんは電話を切ってしまった。スマートフォンを持ったまま、私はぼんやりしてしまう。セッション。お話会。みんなに私の窮状を訴えれば、何か励ましてもらえたり、味方になってもらえるのだろうか。気が楽になるのだろうか。一度、行ってみる価値はある気がした。
 目の前の保冷バッグを掴んで、中のタッパーを冷蔵庫にしまう。私はこの状況の中を、やっていくしかないのだ。だから自分の味方を見つけるのだ。セッションの日まで、前向きに過ごそう、と言う気持ちが湧いてくるのを感じながら、私は冷蔵庫の中の隙間をタッパーで埋めていった。

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