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精神障害者が普通に婚活して結婚した話

はじめに
 私は精神障害がある。双極性障害II型(躁鬱病)である。
 22歳で発症して、途中寛解期がありつつも、15年以上病気とともに生きている。若い頃は仕事に打ち込んでいたこともあり、結婚しない(できない)かも知れないと思っていた。
 そんな私だが、ある時一念発起して婚活を始め、必死で努力した結果、無事結婚できた。今は、病気に理解のある夫と共に、幸せな毎日を送っている。もちろんそこに辿り着くまでに、途中ボロボロになったり泣いたり大変なこともあったのだが…。
 Twitterでいわゆる闘病アカウントを持っている。そこで障害や疾患を持つ人たちとやりとりする中で、精神障害者の婚活について情報が少ないこと、知りたいと思っている人が多いことに気がついた。そこで、自分自身の婚活→結婚の経緯について、ツイートのツリーで展開していった。
 それらをまとめたものが、このnoteです。
 婚活で幸せになれた精神障害者の一例として、ゆるく楽しく読んでいただけたら幸いです。

1.婚活の決意編
 私が婚活を始めたきっかけ。それは30代も半ばにさしかかったある日のこと。
 当時、私は生まれ故郷の関西を離れ、東京に住んでいた。多分8年目くらいだった。その8年間、私は最長2年程のサイクルで職場を転々としていた。転職を繰り返した理由は、特殊な職種だったこともあるし、双極性障害のため鬱になると仕事を辞めたくなってしまう、ということもあったと思う。また、飽きっぽく一つの職場でモチベーションを保つことが難しかった。最後の方は人間関係にも疲れ、仕事も辞めて無職になり、自暴自棄な毎日を過ごしていた。自宅近くの近所の心療内科に通っていたが、ある通院の帰り道(寒い日だった)、「幸せになりたい!!!!!」という思いがドバッと湧いてきた。
 私はそれまで、「プライベートの幸せ」についてほとんど考えてこなかった。写真家になりたいという夢があり、おしゃれもそこそこに、お金や時間の多くを写真に注ぎ込んできた。しかし夢は叶わず、恋人ともうまくいかず、心身はボロボロになり都会をさまよっていた。私はもう、いい加減幸せになりたくなったのである。それまで、若干軽蔑すらしていた「ごく普通の幸せ」を、今更ながら手に入れたくなったのだ。
 私は、この日からしばらくして帰郷を決意し、関西にUターンした。そして、まあまあ安定した職場に就職が決まり、決死の婚活を開始したのである。

2.婚活パーティー挑戦編
 東京で夢破れてUターン転職。私は実家のある関西の田舎に戻った。
 ガチの婚活をして結婚するぞ!と決意した私は、ひとまずあまり深く考えず、婚活パーティーに参加することにした。田舎ではあるが、市内に行けば婚活パーティーは色々開催されている。
 数回目に参加したパーティーで私は、背の高いイケメンとマッチした。穏やかな雰囲気のメガネ男子だった。服装はカジュアルだけど、さりげなくオシャレ。何回かデートをした。
 しかし…。会話が全く盛り上がらない。彼はあまり行動範囲が広くなく趣味もないようで、仕事のお昼休みに食べたもののこととか、ごく他愛もないことしか話題がない。私もあまりペラペラ喋るタイプではない。私がもっと盛り上げ上手な人間だったらうまくいったのかもしれないが、そもそも私自身、あんまり彼にときめいていなかった。私の話にそんなに興味を示さなかった彼の方もそうだったと思う。外見はタイプで超安定企業に勤めていたが、結局自然に連絡が途絶え、付き合う前に交流が終了した。
 その後、別のパーティーで再びマッチする人ができ、この人とも数回デートした。しかし、パーティーの時はノリが合っていいなと思ったものの、デートを重ねるうちに軽薄で嫌味な性格だとわかり次第に会いたくなくなり、交際を申し込まれたがお断りした。

 以上の二人が婚活パーティーで知り合って関わった男性だ。婚活パーティーに行った回数は全部で5回くらいだと思う。結局誰とも付き合わなかったけれど、30代半ばの自分でもマッチしてくれる人はいる、需要はあるということに勇気づけられた。ちなみに、この二人には病気のことはカミングアウトしなかった。関係が深くなる前に縁が切れたからだ。私は、「病気をカミングアウトするなら、付き合ってある程度時間がたち、信頼関係が出来てからしたい」と思っていた。
 婚活パーティーの経験で分かったのは、ぱっと見の外見・会話のノリが合う、などの条件で相手を選んではいけないということだった。やっぱり内面が自分と合う人を選ぶべきなのである。

 婚活パーティーに行く時に心がけていたのは、清楚な格好だ。例えばワンピース、ナチュラルメイク。会話では、明るく積極的な雰囲気を出すようにしていた。私は女性なのでこの方針で行ったが、男性であればおしゃれでなくても清潔感のある格好、会話では自分が喋るよりも女性の話を聴くスタンスでいくのがいいかもしれない。婚活では、自分のことばかりを話したがる男性が多いので女性は少々うんざりしている。反対に、聞き上手な男性はそれだけでポイントが高いと思う。精神疾患のある男性は、会話力に自信がない人が多いかもしれないが、戦い方はある。相手のどんな話にも興味を持って聞ける人は、魅力的である。
 それから、婚活パーティーは友達と一緒ではなく一人で臨むのがいいと思う。特に、モテるタイプの同性の友達と行くと、自分の狙っていた人が友達の方に流れて行ってしまうという悲しい体験をする可能性がある。そもそも婚活とは意中の異性と一対一で戦う(?)もの…。友達と和気あいあい出かけても結果は出ない。戦いには一人孤独に出陣するべし。

3.合コン編
 婚活パーティーで運命の人と出会えなかった私は、ふとしたきっかけで合コンに参加することになった。合コンと言っても2対2の少人数。男性は二人とも地方公務員だった。私は若い頃合コンにあまり行ったことがなかったのでドキドキしながら会場へ向かった。そこで片方の男性と連絡先を交換。第一印象は良くも悪くもなかった。メールのやり取りを重ねた後、二人でご飯に行ったり買い物に行ったりと、デートするようになった。そして3回目くらいのデートで、彼からの「付き合わへん?」の一言で付き合うことになった。
 この彼とは平日も毎晩電話をし、勤め始めた職場の愚痴などを聞いてもらっていた。彼は話し相手としてはとてもいい人だったのだが…。彼には気になる欠点があった。
・ケチ
・「自分は公務員」というプライドの高さ
・家事を一切やらなそう
の3点である。
 どれほどケチかというと、ボーナスの時期に私に焼肉の支払いを任せようとした…彼の方がボーナス多いはずなんだけど…「自分のボーナスはどうしたん?」と聞くと「全部貯金した」という。それはいいけど私に支払いを任せようとするって?彼がご馳走してくれることはないのに…。
 そしてすごく嫌だと感じたのは、彼が会話の最中にふと「俺は公務員様やぞ!」と言ったことである。ドン引きしたよ…。
 極め付けは、彼は当時フルタイムで働くお母さんと二人暮らしだったのだが、家にお金は入れているものの一切家事をしないということだ。しかも、「夕飯が『焼き鮭・お味噌汁・ご飯』のみだった」と文句を言っていた。え…そんなの…全然十分じゃん…と思う私と彼とは、結婚してもうまくいかなさそうだと思った。
 結局、これらのことが気になり彼とは2ヶ月程で別れてしまった。今振り返っても彼と結婚しても全然幸せになれなかったと思う。まじで別れてよかった。
 彼は以前「いつも付き合っても短期間で振られる」と言っていたが、同じ女性側としてそりゃそうだよね…と思った。
 この彼とも、結局私の病気をカミングアウトする前に関係が終わった。

 彼との付き合いを思い返すと、私は彼の公務員という立場に惹かれた部分が大きかった。若い頃あまりにも不安定な生活を送ったため、安定に憧れてしまったのである…。しかし性格に難があればやはり結婚はできない、というかしたくない。経済的安定やステータスだけを見ても幸せな結婚はできないよね…というのが、この経験から私が学んだことであった。

4.婚活アプリデビュー編
 合コンで出会った男性と付き合ったものの、すぐ別れてしまい、さすがに落ち込んだ。でも、私は諦めていなかった…。諦めたらほんまに試合終了だからだ。特に私のように①30代半ば、②同世代の男性はほとんど結婚している、③田舎と言う条件下では、努力をやめたらもう何のチャンスも巡ってこないと感じていた。
 そこで私は、それまで敬遠していた婚活アプリに思い切って登録した。
 使ったアプリはpa〇rs。選んだ理由は、ただ単に「周りの人が使っていて一番抵抗がなかった」というだけだが…。
 pa〇rsのいいところは、Facebookベースなので、リアルの知り合いとは出会わないように配慮してくれるところである。
 私は奇跡の一枚レベルの写りの良いものをプロフィール写真に選び、マッチする相手を探した。
 検索条件には、相手に希望する年収を設定する機能もあったが、あんまり高望みせずに検索していた。自分もそれなりのいい年で、めちゃくちゃ美人でもなく特技もキャリアもなく、相手に高い理想を求めることのできる身分ではないことをわかっていたのである。
 アプリを始めてみると、私の年齢でもマッチしてくれる人は意外といた。年上女性好きな男性が思ったより多い印象だった。(プロフィールでは精神疾患のことはクローズだった)
 1ヶ月ほど経った頃、マッチングからやりとりの続いた一人の男性と実際に会ってみた。
 大手インフラ系企業に勤める、20代後半のサブカル好きの青年であった。
 彼とは、一緒に演劇を見たり飲みに行ったりした。しかし、どうもいまいち話が盛り上がらない…。私があまりサブカルに詳しくないこともあったが、彼はよく「有名人の〇〇と会った、一緒に飲んだ」という話をしてきた。この手の話って別に面白くない…。そして毎回彼が好きなバー(というかスナック)に飲みに連れて行ってくれたのだが、どの店も小汚く、ママさんは可愛い若めの女の子、という店ばかりだった。デートでこの店選びってどうなんだよ。
 多分お互いにつまんないな…と思ったので、この人とは2回くらい会っただけで連絡を取らなくなった。もちろん、病気のカミングアウトはしていない。

5.夫との出会い編
 結果がなかなか出ないものの、アプリ上で複数の人とのやりとりは続けていた。
 現在の夫との出会いも、pa○rsであった。
 夫のプロフィール写真はかっこよくて私好みだった。やりとりは、ごく普通の会話だったと思う。そのうち実際に会うことになった。
 待ち合わせ場所で、私は見慣れたプロフィール写真の人を探した。でも…いない…。けれど、なんとなくこの人?という雰囲気の人がいた。帽子をかぶっていたので顔がよく見えなかったのである。
 あれ、意外と小柄だな…。と私は思った。私の中では170cmぐらいのイメージだったのだ。そして思っていたより無口な人であった。
 ひとまず会話が弾まぬままお昼を一緒に食べ、その後映画を観た。ジム・ジャームッシュの「パターソン」という映画だった。正直、私は全然その映画を面白いと思えなかったのだが、彼は気に入ったようだった。それから映画の話をしながら駅まで歩いて、その日は解散した。
 正直この時、この人と結婚することになるとは全く思っていなかった。意外と大人しい人だったな…という印象だった。でも、ミニシアター系の映画が好きそうな所を始め、お互いの共通点はありそうな気がした。
 後から考えると、この「共通点がありそう」という所はとても重要だった。私は、文化的なものは好きだが、その中でも割とマニアックなものが好き(いわゆる変わり者)である。そういったところが彼は似ていて、この初デートで同じ匂いをかぎとっていた。
 でも、それは後になってだんだんと実感してきたことで、この1回目のデートでは大してわからなかった。正直なところ、人間は、数時間一度きり会っただけでは相手のことをそんなに把握できないと思う。そもそも自分も初対面で上手に相手にアピールできるタイプではない。
 それでも駅で帰りの電車を待つ間、「私はこの人とまたデートするのかもしれないな」とのんびりと予感したのであった。

6.夫と交際するまで編
 夫の家は同じ県内ではあるものの、車で1時間くらいかかるところだった。
 2回目のデートは、吉野へ紅葉を見に行った時だったと思う。
 1回目のデートの後、次はどこで会う?とLINEで話していた時に、秋だしなんとなく紅葉を見に行きたかった私は、吉野でライトアップされた紅葉を見られるということを何かで知り、行こうと誘った。
 金曜の夜だったと思う。車で家に迎えにきてもらい、二人で吉野まで行った。
 しかし!着いたものの紅葉がほとんど見当たらない。ライトアップはされていたものの、肝心の紅葉がほとんどなく、見に来ている人もいなかった。完全に私のリサーチ不足であった。しかも山の中なのでめっちゃ寒かった。仕方がないので歩いて紅葉を探しながら、話をした。するとだんだん盛り上がって(状況に笑えてきたのもある)、私はとにかく笑い転げていた。この時、まだお付き合いしているわけではなかったのだけど、夫は私と結婚するのかな、と感じたようである。女性のみなさん…、男性はよく笑う女性に弱いよ←
 もう帰ろうかとなって、彼の車に乗ったものの、もなんとなく名残惜しくて発車せずに話をしていた。その時に彼と初めて手を繋いだ。きゃー!!!!!
 この時は結局付き合う話にはならなかったのだけど、後日夫から電話が来て「付き合ってください」と言われた。私はまだ出会ったばかりだし…、と一週間ほど悩んだ。自分の年齢(当時34歳)も気になっていたので、その次のデートの時に大阪でイルミネーションを観ながら、「私との結婚を真剣に考えてる?」と聞いた。夫の答えは「Yes」だった。私は「じゃあ…よろしくお願いします」と伝えて交際することに!一旦めでたしめでたし!!
 しかし大事なポイント、「双極性障害であることのカミングアウト」を私はこの時しなかった。まだ、もう少しお互いについて知って、きちんと愛情が育ってからだな、と思っていた。私は世間の人の精神障害に対する偏見が強いことを甘くは見ていなかったし、自分自身も精神障害者であることに負い目を抱いていたのだ。

7.夫との交際期間編
 夫と付き合い始めてから、LINEを頻繁にやり取りするようになった。とはいえ、当時の私は、職場で忙しいポジションについており、あんまり返事ができていなかったような気がする…。それでも夫はこまめに連絡してきてくれた。そのことに誠実な人だなと感じ、私の中で彼を大事に思う気持ちが高まっていった。
 夫とは、平日も週末もデートをした。デート場所は、二人の家の中間地点にあるスタバが多かった。夫も当時朝6時出勤の会社に勤めていたので、今思うと二人ともタフだ。夫おすすめの美味しいご飯屋さんにもあちこち行った。夫も私も「『食』を大切にしている」という共通点が発見できた。そこもよかったと思う。
 日帰り温泉に行って、帰りにイルミネーションを見に行ったデートもあった。その日、私は正直体調がめちゃくちゃ悪く、熱もあった。だけど、どうしても一緒にイルミネーションを観たかったのだ。しかも真冬で極寒の屋外…。根性で最後まで観た。しんどくて辛かったのと、綺麗だったのと、両方が強烈すぎてめちゃくちゃ印象に残っています…。

8.夫からのプロポーズ編
 夫と順調に交際を続けていたものの、私はまだ双極性障害であることを伝えられずにいた。カミングアウト、いずれはしないといけないけど、めっちゃ怖い。引かれて別れることになったら嫌だな。そんな気持ちがあって、なかなか言い出せずにいたが、やはりずっと頭の片隅に引っかかっていた。
 しかし、急転直下でカミングアウトのタイミングは訪れてしまったのである。

 付き合いだして半年程経ったGWに、一泊で兵庫県へ温泉旅行をした。この時は夫が宿を手配してくれた。「可愛い浴衣が着たい」と言った私のために浴衣をいろんな柄から選んで着られる宿を探して予約してくれた。
 旅は楽しくて、夜は部屋で二人で浴衣を着てお酒を飲んだ。夫はご機嫌で酔っ払っていた。夫のスマホで音楽を聴いていたのだが、二人とも大好きな曲、オザケンとスチャラダラパーの「今夜はブギー・バック」が流れ出した。そうすると夫は私の手を取り、でたらめに踊りだした。おかしくて笑いながらしばらく踊った後、夫の口から「結婚してください」というセリフが…。
 えええええええ!!!それ、プロポーズ?だよね?!?!?!?!
 私はテンパっていた。まさかこんなに早くプロポーズされるとは、全く思っていなかった。
 その時、なんて返事したのか、正直覚えていない。でも曖昧に濁したと思う。ついに持病のことを言わなければならない時が来てしまったのだ。でも、そもそも夫も酔ってるし、本気のプロポーズなん?と思った。私は、次の朝本気かどうか確認してからカミングアウトするか決めることにして、その夜は眠りについた。

9.夫にカミングアウト編
 酔った夫にプロポーズされた翌朝。私は夫に、昨日のプロポーズは本気かと確認した。すると、本気だとのこと。困った。通常は喜ぶところなんだろうけど、私は困っていた。さすがにもう、病気のことを話さないわけにはいかない。
「あの、実は…。」
 私は、ついに自分が双極性障害であることを告白した。
 普通の人はそもそも「双極性障害」という病気がなんであるか知らないので、どんな症状があるかとかも説明した。
 そして、
「私の病気のこと、あなたの家族も心配すると思うし、結婚についてもう一度よく考えてみてほしい。」
と伝えた。
 婚活しといて、なんだそのプロポーズへの返しは?という感じだが、その時の私には、こう言う以外どうしようもなかったのである。
 私は、「結婚するならばちゃんと自分の病気のことを相手の家族にも了承してもらった上でしたい」と思っていた。双極性障害の原因はまだはっきりしていないが、遺伝的要因も考えられている。結婚して子供が生まれたら、もしかするとその子も双極性障害になってしまうかもしれない。夫婦二人だけの問題ではないのだ。
 その日、私は晴れない気分で1日を過ごした。本当なら、手放しで喜びたいところ。でも、病気のある自分は、そうはできなかった。
 しかし、翌朝早くに彼から送られてきたLINEには、
「病気があっても君とずっと一緒にいたいと思っている」
と書いてあった。 私は、やっとその時、ホッとしてじんわりプロポーズを喜ぶことができたのだった。

10.夫の両親に病気を説明→入籍編
 夫に病気を受け入れてもらい、ひとまずは安心した私。
ただ、夫のご両親に私の病気を伝えたところ、一度詳しく話を聞きたいから家に来なさいとのこと。
 わあ〜めっちゃ緊張するやん…。
 ドキドキしながら、結婚の挨拶も兼ねてお家に伺った。
 ご両親は私の病気の症状がどんなものか、通院はしているのか、など一通り質問した。
 結婚に反対するという雰囲気はなく、好意的な感じであったと思う。私は病気について義両親(予定)に理解してもらえたのだ、と思った。この考えは勘違いだったと後々わかるのだが、それはまた別の機会に…。
 その後、新居に二人で引っ越し、プロポーズから約半年後の12月24日、無事入籍したのだった。

11.なぜ、婚活して結婚できたのか?分析編
 私は精神疾患があって30代も半ばだったというのに、どうして結婚できたのだろう?と思い、分析してみた。
 辿り着いた一番の理由は、
「精神疾患があっても自分を卑下せず積極的に婚活したこと」
だと思う。
 もちろん、24時間365日、自分に自信があったわけではない。精神疾患であることを、恥ずかしいと思う気持ちもあった。でも、それでも自分は結婚できる、幸せになる権利があると思っていた。あきらめなかった。必ず自分に合う人が見つかると、信じて行動した。
 結局は、行動が結果を生む。恐れて引っ込んでいては、いつまでも幸せを手に入れることはできないのだと、婚活を通して私は実感した。

12.婚活中にしていた工夫編
婚活を成功させるために、工夫していたことがいくつかある。

・デートでは、できるだけおしゃれをする
 これは健常者にとっては当たり前のことのように思えるが、精神疾患があると、正直起き上がって顔を洗うのもしんどい日がある。それでも根性でメイクをし、センスに自信がないながらもファッション誌などで研究して精一杯のおしゃれをした。

・たくさん笑って相手に笑顔を見せる
 コミュニケーションに不安がある精神疾患者も多いだろう。しかし、デートとなったら、どうしても1対1で話さなければならない。そんな時は、無理に自分の話をする必要はない。相手の話を聞くことに徹し、できるだけ笑顔で楽しそうな態度を見せるのがいいと思う。こちらが楽しそうであれば、相手もほっとしてどんどん自分から話してくれるし、そうすると自分が話さなければというプレッシャーも軽くなる。会話力に自信のない方におすすめの方法である。

おわりに
 精神障害があるからといって、悲観して結婚を諦めなくても良い。当事者が思っているよりも、世間に障害を受け入れてくれる人はたくさんいる。ただ、初対面でいきなり病気のカミングアウトをするより、ある程度相手との信頼関係を築いてからする方がいいと思う。まだ親しくない状態では、精神障害持ちの相手にはやはり偏見を抱いて引いてしまう健常者の人が多いだろうと思うからだ。悲しいけれど。
 精神障害があると、体力も気力も健常者の人より少ないし、婚活は大変。でも、苦労の先には絶対に幸せが待っている。
 今回の私のnoteで、少しでも婚活に対してポジティブになる精神障害者の方が増えたらいいな、と思う。
 最後まで読んでいただきありがとうございました!

(校正 えれみ)

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