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苦しみは、苦しみを理解する為にある

 教会に、「病の百貨店」と呼ばれる程、たくさんの病気を患っていた牧師先生がいた。


 頭からつま先まで、健全な部分はほぼ何一つなく、挙げ句の果てには妻にも、家族にも見捨てられた。
 その期間は何と7年。
 病気が完全になるまで、7年もの寂しい日々を過ごしてきたのだ。

 

 その後、すっかり健康になったその方は、今や聖徒さんの「心のカウンセラー」のような存在になった。
 信仰の問題はもちろん、身体の具合等についての訴えも親身となってしっかりと聞き入れた。

 

過去にたくさん苦しみを受けたので、
相手の苦しみを十分理解出来るようになったのだ。

 

 しばしば苦しみは人を強くすると聞くが、苦しみはまた、人を優しくする。
 辛い思いをしてきた分、同じ辛さを受けている人の気持ちを心で感じるようになり、寄り添ってあげることが出来るのだ。

 

 完全無欠な人より、多少欠陥がある人の方が、より人間味があるのもこのせいだろう。

 

 打たれた心は柔らかく、
 傷ついた心はより広くなり、多くの人を包めるようになれるからだ。

 

 何一つ無駄なものはない。
 苦しみもまた、苦しみを理解する為にあるのだ。

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