オーバーワークは美徳ではない
限界まで頑張る人達がよく「偉い」と称賛されているのを見てきたものだから、ずっと力を出し尽くして働くことが美徳なのだと思っていた。
それ故、私も長い間随分無茶をしてきたものだ。
発達障害の故か、私は鈍感で、疲れてもそれを感じにくい。
限界の限界まできて、ようやくそれに気付くので、
「なんかだるいな…」を感じた時点で、
既にオーバーワークしている。
それでも「まぁこれぐらいなら」と踏ん張り続けるのだから、心身ともに大ダメージを受ける。
身体が動かなくなり、回復まで時間がかかるので、しばらくは普通の生活が出来なくなってしまうのだ。
駆け出しの勢いは良いが、長続き出来ない。
正直、自分でもこのような頑張り方は効率が悪いと薄々感じていた。
が、「美徳」だと思い込んでいた為、周りの人に心配かけっぱなしであるのにも関わらず、そのようにやり通していた。
けど、その考えががらりと変わる出来事が起こった。
ひょんなことから、とある大事な仕事を任された。
資料を編集し、必要なユーザーへ発信する簡単な作業であるが、単発ではなく、長期にわたって、定期的に行う作業であった。
一回でも資料を送れないと、ユーザーが大変困る。そんな仕事である。
責任の重大さを感じた私の脳内に浮かび上がったのは「無茶してもやりきろう」ではなく、
「絶対倒れてはいけない」
ということだった。
自分でいうのもあれだが、この作業を出来るのは今、私しかいない。
私が体調不良になったら、現段階、仕事を引き継げる人はいないのだ。
だからまさに「体調管理も仕事のうち」。
作業者である私の身体と精神状態が
仕事と直結するようになった。
よく食べて、寝て、時にはスポーツもして、身体の健康を維持し、
面倒くさい人間関係を断ち、不要な情報(悲しいニュース等)を取り入れないよう、精神衛生上良くないものも避けるようにした。
ただ「眠い」と感じていても、私にとってはもう倒れる寸前なのかもしれないし、
なんとなく頭がボーっとしているだけでも、実は精神状態がギリギリに達しているかもしれない。
「まだまだいける」という錯覚があることをしっかり念頭に置いて、回復出来るうちに積極的に休むようにした。
そして、引き受けられない仕事はきっぱりと断るようにした。
今受け持っている仕事がおろそかにならないように取り込められる体力が維持されるよう、最低限の休憩時間を保証する為だ。
もし私が仕事の故に倒れたら、周りは気の毒に思ってくれるかもしれない。
「全力尽くした」と認めてくれるかもしれない。
けど、そこから生まれるものは、何一つない。
時には仕方がなく健康を犠牲にしないと終えない仕事もあるが、それを除いて、もし
作業効果そっちのけでただ
「我ながら頑張ったという」自己満足の為に
仕事をしてしまうのは、
無責任なのではないかと思った。
「働き手をクタクタにする」というのが
仕事の目的ではない。
どんな作業でも、それを通して期待される結果というものがある。
その結果を達成することを目標にすべきだ。
オーバーワークは、決して美徳ではない。
(はてなブログ同時掲載:https://www.gifteddecoboko.com/entry/2019/08/06/080000)
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