見出し画像

落ちたときに備える(1)

長男は中学受験に向けてこの夏も勉強一筋で過ごしている。春期講習中が荒れていたことを考えると、夏は想定以上にスムーズで、夏期講習になってからは、まだ一度も遅刻もなければ、忘れ物もしていない。

今週は父親が不在であるにも関わらず、私が声掛けを大してせずとも自己管理が完璧だ。親子の間での揉め事もゼロである。もちろん課題の進捗も申し分ない。

夏休みになってからを振り返ると、寝かせたつもりが、夜中にこっそりパソコンを見ていて、父親に見つかったら背中の下に隠してしらばっくれたことはあったが、こんなことは子供なら誰でもやるだろう。

もちろん親身にサポートしている側からすると隠れて嘘をつくなんてと腹も立つし、朝起きれないことで心配していたのにと言いたくもなるのだが、最近の長男の頑張りを見ていると、追い詰めることはしたくないと思う。

ことに課題の進捗が少しでも遅れようものなら容赦なく塾の先生から厳しい言葉が飛んでくる今、ここぞという時は親が子供を守らないといけないと感じている。

懸念

私の懸念は主に塾の中でも特定の先生の指導スタイルにあるのだが、だからと言って親が動くと、長男としてはそれはそれで親と先生との間で板挟みになるため困るようなのだ。逆効果になると長男がそれこそ悩みを相談できなくなるため、内容について家庭内では共有しつつも、余程の事がない限りそこで吸収するように努めている。

私も聞くだけで良いと言われても、さすがに長男が病んだ表情をしていたり、宿題を前にストレスで喉のつかえ(ヒステリー球)が苦しくクッションを喉に挟んで机に向かっていたりすると、先生は叱責するかもしれないが、もうそこまでで良いよと言わないといけない気がしてしまう。

普段の先生からの課題に対するコメントも、さすがにそこまで言う事はないだろうと思うことも多い。そういう時のコメントは長男に見せる前に問題個所をごっそり削除している。

先生の基準で頑張っていれば褒めて下さるが、基準に達しないとボロクソに言われる。ちょっとでもペースが落ちると、頑張った部分はそっちのけで、「これでは絶対に合格しない!明日は○○ページ、量質ともに揃えてやること!」と言われる。結局、そもそもの量が足りていないとこうなるのだが、量もできたらできたで増やされるため、褒められたくて頑張ってしまうと碌なことにならない。先生が増やさなければ今頃とっくに叱られるフェーズは過ぎていただろうと思う。

先生は褒めたとしても、「悪くないと素晴らしいとでは全く違う。まだまだ余力が残っている。この余力を無くすことが大切だ!」「欲張れ!」「今お前が望むのは何だ?」という言葉を発する。こちらが望むのは睡眠であるが、どうりでやってもやっても課題が増える訳だ。

こうやって追い込むと様々なところに歪みが出てくる。しかしもう何を言っても楽しんで食らいついてこいとしかならないことが分かったため、あまり何も言わず、〇〇ページと言われたけれど、〇ページでもセーフだったという感覚を得ながら、長男の体力と相談しつつ調節するようにしている。本来こんなに先生の顔色をうかがいながら勉強するなんてどうかしていると思う。

夫も最近は、「今日だけは気にしない。今日はベストを尽した。」と言うことが出てきている。塾の先生に同調しすぎないこのスタンスが、今家庭内の安定を保つ上で鍵になっている。

(2)につづく