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次男の成長を日々感じて(1)

長男だけ育てていたら意識することもなかったであろう親の教育観と、また次男がきっかけで夫婦で教育について話し合う機会が増えたこと、さらに次男の幸せの総量を考えた時、どのようなアプローチが良いのか試行錯誤していることについて書こうと思う。

兄弟の違いは当たり前でもそれを書くことには細心の注意を払いたい

大雑把に書くと、長男は勉強については親が教える必要がなかった。親の役割としては、長男の興味関心に応じて臨機応変に動くことだった。一方、生活管理や時折生じる人の期待とのミスマッチについては時間をかけて話し合う必要があった。

次男については、逆に対人関係や生活面での困り事はほぼない。学校からも電話は来ない。一方、学習面については放置しないほうが良いと思っていて、忘却曲線を意識した反復練習、類題をこなす、読書を促すなど、一般的に効果的とされる学習方法を取り入れることがプラスになると思っている。

加えて、次男には意識して「なぜ?」を問いかけるようにしている。例えば、次男がバナナの皮に爪楊枝で傷を付けると文字等が書けると知って早速試していたのだが、こういう時、夫はすかさず、「どうして色が変わるんだろうね?変わるとバナナにとって何かメリットがあるのかな?例えば人間は手を切ったら血が出て組織液が固まって瘡蓋になって、それはばい菌の侵入を防ぐためだったりするよね?そういう仮説を立てて調べてみたら良いんじゃない?」とアドバイスする。

アドバイスと言うと聞こえは良いが、こういった所に自然と意識が向くと良いし、自分で調べて欲しいと思っているのが夫である。やはり子供発で興味関心が広がる場合、勉強に限らずそれは強みになり得る。

私はどちらかというと、「へ~綺麗に書けたね!」で満足することも多い。長男は言わずもがな科学的根拠や世界がどうなっているかに関心が強く、最後に行き着くのは化学となる。次男はバナナが茶色になる事は所与として、綺麗に絵を描くためには爪楊枝以外にどんな道具を使ってみたら良いかと考え始める派だ。

長男と次男は二人ともそれぞれの楽しみ方を見つけている。それをひたすら尊重するに尽きるし、もしそれが出来ないなら親がポンコツなだけだと思っている。

兄弟を比較して書くことは弊害も多く、また子ども達が比較して書かれることを望むことは無いだろうと思う時、このテーマを扱うことは止めた方が良いかも知れないと思ってきた。ただ、これは優劣の話ではなく、それぞれの学習スタイルを尊重し、それに合せて親として何ができるか考えて試行錯誤している話として捉えてもらえたらと思っている。

少し話は逸れるが、以前、長男の担任の先生より、次男がとても素直であることを褒めて下さった上で、「お兄ちゃんと弟さんを足して2で割ると丁度良いんでしょうね・・」と言われたことがあった。でもそれではもはや長男でも次男でもない。親だからかもしれないが、長男を長男たらしめているもの、そして次男を次男たらしめているものを大切にしたいと思う。

雑に書くと兄が知的ギフテッドなら、次男はEQギフテッドと思えることがあり、よって上の子の時に上手くいった方法が下の子にそのまま適用できるわけではない。むしろ上の子を「普通」と思って接すると、それが下の子には悪影響になることもある。

特に勉強に関しては、親の中での期待値の設定が難しかったことは認めなければいけないと思う。長男を普通と思っていたため、その普通との違いにかつては目が行きがちだった。そして私よりも夫の方が早くから次男への手ほどきの必要性を訴えていたと思う。読書を中心に声掛けを保育園時代からするようになっていた。

(2)につづく


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