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家族思い

丁度お正月の時期、夫と下の2人は夫の実家に帰省、長男と私だけが家に残っていた。長男とは受験勉強の傍ら、時々息抜きをしながら過ごしていた。

1月1日、夫からLINEが入る。そこに「地震大丈夫だよ」とあり、その頃、自宅でも引き戸がカタカタと鳴り続けていて不穏に思っていた所だった。すぐには気づかなかったが地震だった。

夫からLINEがあったということはそっち方面で揺れが強かったのではないかと思った。急いでNHKをつけるとアナウンサーの緊迫感のある声が聞こえてきた。

震源地からは少し離れてはいたが、夫や子供達は相当な揺れに遭遇したはずだった。何より津波が心配になってきた。祖父母宅からは歩いて海に行ける。

「こっちもかなり長く揺れたよ。津波大丈夫?」と返したところ、しばらく返信が無かった。最初のLINEから10分ちょっと経過したころ返信があり、「念のため避難中」そして「高台に移動完了」と連絡が来た。

それから1時間以上は高台で待機していただろうか。今度はしばらくして一時帰宅するとの連絡が入った。この判断には私もだが長男の方が心配し、そこから勉強になかなか集中できなくなってしまった。

問題を解いている時も、NHKをつけっぱなしで、「家に戻らない方が良いんじゃない?」と、なんとかお父さんを説得できないかと、しかし自分は離れていて何もできないことにもどかしいといった風だった。

夫に長男が心配していることを伝えると、「やるべきことをやりなさい」と返ってきた。親はいつだって親のことは良いから自分のことをと言うものだ。

私の方も震源地からは離れているとは言え、より強い揺れがくるかもしれないと、室内に自転車用ヘルメット、上履き、部屋のドアは揺れでゆがむといけないので開けっぱなし、非常食もすぐ出せるように準備した。

長男からは、『NERV』というアプリを入れてくれと言われ、夫にも長男が良いアプリだと言っていることを伝えておいた。


夜寝られない

夜になっても長男は不安そうだった。それまで長男は自分の部屋で寝ていたが、この日は私と同じ部屋で寝たのを覚えている。

長男:なんで自宅に戻る判断をしたかね・・高台に残るのは難しかったのかな。その辺に泊まれたら良かったんだけど。

私 :うん、お母さんも同じように思うよ。けどこういうのってさ、判断に口出されてるみたいで、向こうからしたら嫌だってこともあるかもしれないから、なかなか言いづらいよね。

長男:まぁね

私 :お母さんさ、エラーとかミスに関することに興味あって前読んだんだけど、病院で医師の指示が誤ってるって気づいた看護師が、それを指摘しようと思ったみたいなんだけど、思いとどまっちゃったんだって。それで、防げたかもしれない事故が防げなかったと。看護師さんが指摘できなかったのは、医師の気分を害するのが怖かったり、まさか自分の方が正しいわけがないと思おうとしたからだったかな。そういうこともあるから、おかしいと思ったら言えないといけないね。

夫にはとにかく長男が心配していることは伝えていたが、夜中に地震や津波が来るとまずいから高台に戻ったらとまでは言えていなかった。

長男と話していたところ、『NERV』から緊急地震速報が出た。見ると震度7とある。凍り付いてしまった。高台に残っていれば良かったのにと思わずにはいられなかった。

夫に様子を訊こうとLINEした所で『NERV』から先ほどの地震を取り消すという通知が来た。どうやら誤報だったらしい。慌ててLINE削除である。幸い既読がついていなかったので寝ていたであろう夫達を起こさずに済んだ。

気象庁は1日午後11時過ぎ、石川県能登で最大震度7の地震を観測したとの「震度速報」を発表したものの、直後に誤報だったとして取り消した。 この周辺で起きた地震の震度速報を出す際、誤って約7時間前に起きた地震の内容を流したという

1日深夜、2度目の震度「7」は誤報 能登半島地震で気象庁が訂正


ところで長男の心配する様子はそれなりに印象的だった。それで思わず、どうしてそんなに心配なの?と訊いてしまった。

長男:だって○っても家族でしょ。

○の中には少々インパクトのある言葉が入っていたので伏せておこうかと思うが、長男の言い方には愛があった。決して不快感ではない。

思えば中学受験に専念するようになってからというもの、学校から戻るや即塾へ、そして帰宅は23時近くだったため、家族との接点がほぼない生活だった。そんな中では、ここまでストレートに長男の思いを知る機会もなかったのかもしれない。

でも時々「俺もみんなと一緒に夕飯食いてー」と言っていたりと、そんな時は新鮮だなと思いながら聞いていたのを思い出す。そういう思いがあるんだなというのは、特に親子関係が荒れていたり、弟や妹とは特に会話する時間もほとんどない状態が続いていた中では印象的だった。

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心配し続けている長男を安心させてやらねばど、その日届いていたじーじからの年賀状で、住所をもとに標高を調べてみることにした。

丁目によって結構標高に差があるようだった。そしてじーじ宅はというと、残念ながら5mなく、町内でも最も標高が低かった。

長男:お父さん一人なら何とかなるかもしれないけど、ぼーぼ(次男)と姫子(長女)がいるからね。

弟と妹を助けながらの避難は難易度が上がるため、なおさら心配になっていたようだった。

無事帰宅

夫たちは無事に我が家に戻ってきた。

長女:お兄ちゃんなんでそんなに心配してたの?

長男:なんでって、そりゃあんたらが4mの所におるからじゃ!

夫 :無事に帰ってきたんだから無事に合格しろよ。

長男:はい、わかりました。

夫に聞けば、地震発生直後、夫と次男が高台への避難を主張し、じーじ達を説得したようだった。じーじはというと、大丈夫大丈夫と言って、最初は避難するつもりはなかったらしい。

高台に着いたら他にも避難してきた人が何人かいたらしいのだが、ある人の旦那さんが「わしゃ絶対に動かん、絶対に避難しない」と頑固でどうにもならず、致し方なく置いて一人で避難してきた人がいたらしい。

長男の受験予定校を選ぶ際には、災害に強いかという観点は入れていなかったが、以降、どうしても気になってしまったことは覚えている。