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家族というもの

僕には家族がいる。

なにを当たり前のことを言っているのだ、と思われるかもしれないが、最近までいなかったのだ。

正確に言うと、いないものとして生きている期間があった。おおよそ3年と執行猶予2年ほど。

きっかけは結婚だった。
父が僕の結婚相手に暴言を吐いたのだった。
電話での出来事。向こうはお酒も入っていたのだろう。つい気が大きくなって言ってしまったに違いないが言ったことは事実。僕は、もう一度言ってみろと繰り返したが、罪の意識があるのか、父は同じセリフを言わなかったし、謝罪の言葉もなかった。

1時間ほど話しても埒があかなかったので、もうこれで最後な、と何度も念を押して電話を切った。

父のしたことは今でも許されるべきではない。
が、一定の理解はできる。不器用な父のアプローチはお酒に頼るしかなかったのだろう。形は良くないが親心というものか。

当時は全く受け入れられなかったが、今は少しだけ分かる気がする。今なら同じアプローチをされても、根気強く納得いくまで話ができる気もする。が実際にどうかは分からない。

それから月日が流れた。
新型コロナが流行って1年が経つ頃。僕たちは終わりを迎えた。

離婚をし、引っ越しをする段になって保証人のハードルが出てきた。職業柄、僕自身の信用情報だけでも確固たるものがあると自認しているけれど、不動産屋はどうしてもそれを求めてくる。まあ、当たり前か。

しかし困ったことに、僕には親というものが父と母の1人ずつしかいないのだ。それに、ことの経緯も話さなければならない。なんとも億劫だ。が、背に腹はかえられぬ。と父に電話をした。

父は黙って聞いてくれた。
子どもの頃からいつも決めてからの報告なの変わらんな、と軽口を叩かれたが保証人の話は承諾してくれて、すぐに免許証と飼ってる犬の写真を送ってきた。

不本意ではあるが、頼ってしまった。
頼ってしまったからには、最低限の誠意は見せなければいけないと思い、兄にはごく稀に連絡するようになったが、父と母のラインはブロックしたままだった。

そのため、母が悲しんでいると何度も連絡があった。だが僕も、1度出した矛を簡単に収めるわけにはいかないと、それだけは貫いた。よく分からない意地である。

そんな状態が2年続き、痺れを切らした一家は総出でGWに大阪へ出てきたのだ。

なんとなく、来るかもという話は兄から聞いていた。ただ兄は僕が苦手だから、はっきりと言わない。また僕が怒ると思っている。いつもはっきりしないから怒っているのに、とにかく怒ってるとの認識なのだろう。気難しい弟ですまんな。

次の連絡は、
いま大阪にいるけど会える?だった。

それにひととおりの説教をした後に、僕は家族の泊まるホテルへ向かった。

会いたかったのだ。僕だって。

それから、たまに母から写真が送られてくるようになった。無言で写真だけ。それにひとこと返事をするも、続きはない。母はそれで満足なのだろう。

今は実家にある僕の荷物を取り寄せようと問い合わせている最中だ。連絡をしたらすぐに精一杯の返事がくる。今ある情報、途中経過まで。きっと3人で大騒ぎしながらやっているのだろう。昔は落ち着きのない家族が嫌いだった。黙って考えてから喋れと何度も怒った。また家に戻るとうんざりするのだろうが、遠くから見ている分には良いものだなと感じている。

僕は昔からどこか冷めていて、
表の感情と内心が全く違うものだった。
本質的に社会性のない人間だった。
それを覆すのは結婚だと思った。
結婚したかったから、結婚をした。
でも、それは失敗だった。

僕は今、家族を持ちたい、と思っている。

簡単ではないだろう。僕みたいな子どもが産まれてきたら絶望だ。それでも、頑張ってみたいと思う。おじさんになった今の僕なら、なんとかなる気がする。というか、するしかないよね。


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