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「なんか無理!」を受け入れてみる

こんばんは、久しぶりに記事を書いている高野豆腐です。

個人的に大きな発見というか、目からうろこな新発見があったので、
皆さんと共有したい!長くなりそう!
ということで書いている次第です。

とかいいつつ、あまり”新発見!”みたいな感じでもないものですが、忘れがちだなと思うので、自分のためにも書き残していこうと思います。

お時間がありましたら、最後までお付き合いいただけると幸いです。


きいさんの動画を見て、将来の夢は自分基準だったけど、進学先のことは親の負担にならないようにってばかり考えてた事に気づいた。
だから、自分を見つめ直すためにも、全部取っ払って考えた結果、

「穏やかな環境でしっかり勉強したい
競争し合うのではなく、協力して勉強したい
なるほど!が得られる所が良い
一人で勉強しても十分やって行けて(不安に思わず)、これが当たり前という無言の圧力もなく、気兼ねなく相談はし合える、そんな環境で勉強したい。」

という結論になった。

そこに至って、ふと今いる大学居心地悪くないか?と思い始めた。

思い始めたと言っても、前から思ってはいた。
ただ、それを自分のとらえ方や考え方の癖が原因だ、それを改善すれば何とかなるはずと思って、周りが原因だという考えを見ないようにしていたのだと思う。

何度か居心地の悪い環境にいたことはある。
でもそれは全部明確に居心地が悪い原因があった。
同じ部活の人に敵視されている、担任からいびられる、周りになんか一線引かれてると感じる、みたいな。

今回はそれに当てはまらなかった。
しかも、みんな「悪い人」ではなくて、逆にいい人たちばかりで、成果を残して、それでもなお驕ることなく努力できる人たちですごいなと思うところをいくつも持ち合わせている人たちばかりだ。
だからなおさら、そこに居心地の悪さを感じている自分の感性というか考え方が曲がっていたり、悪かったりするから、勝手に思い悩んでしまうんだと思っていた。

でも、そうやって改善していく中で、多く接する言葉。
「自分の感じることを否定しない」

特に勉強に対しての自己否定が強いと感じていた私は、勉強に対して劣等感を抱いたり、落ち込んだりしたときに、その言葉を思い出して、
「そう思ってもいいんだ」なんて言っていた。

それにも一定の効果はあったし、気分も安定し始めてはいたんだけど、やっぱり違和感がぬぐえなかった。

そして、そうできるようになってからも、環境に対しては、自分の感じ方をかなり否定していた。それに気づきもしなかった。

今書いてて思い出したが、親に「いい環境なんだから」と言われていたことも自分の感じた気持ちを押し殺していた要因になっていたかもしれない。それだけではないけど。

でも、進学先について考え直してみて、(志望校は変わらなかった)自分の感じたことを受け入れていいなら、環境に対するモヤモヤも肯定してもいいんじゃないかと急に思えた。

それに、少し前の私は環境にも夜ついているんだなとわかっても、原因が見つかるまではなぜかそれを受け入れようとはしていなかったように思う。
(ほぼ無意識だから変な言い方になってるけど)

でも、そんなことする必要あるのか?
こころの中なんだから、「なんか居心地わるーい」「よくわからないけど、もやもやするー」でよくないか?と思った。
そもそも、原因を見つけてからじゃないと自分の感覚は信じていけないって誰が決めた。許可制か?
いや自分で決めてたんだな。

そして、この気づきからさらに分かったことがある。

自分は居心地が悪い環境にいると力を発揮できない!

何度かの受験を通して、思い知った。
明らかにいる場所によって結果が変わっている。

分かってたのに何で気づかないのだろう。
人間だから同じ間違いは繰り返すか。しょうがない。

まあそうとわかるとだいぶ楽になった。
それに意外とまだまだ自分を押し殺しているなと気づけた。

これを機に、ジャンル問わず自分がもやっとしたことはなかったことにせず、否定もせず、「モヤモヤするんだなー」と思うことにする。
そのまま受け入れることも、ジャンル問わずそれをやることも難しいことは身をもって知ったので、少しずつで。

とりあえず、今の環境は理由は知らないが居心地が悪いことをちゃんと自分が認識できてよかった。


よくわからない終わり方だし、長い記事になってしまいました。すみません。
ただ、自分の中の枷がまた一つ外れたみたいで、なんだかすっきりはしています。
最後までお付き合いいただきありがとうございました。



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