「まじめ」に含まれる意味
今日は自分のツイートを深堀して書いてみる。
私は、「真面目」という言葉にあまりいい印象を持っていない。
この単語だけ聞くと確かに誉め言葉のように聞こえるし、実際誉め言葉として使っている人も多いだろうが、文章の中でこの言葉を耳にすると、意味が変わって聞こえてしまう。
前の記事の話を例にすると、自分の性質や当時の体調を相手に伝えることは時と場合によっては言い訳に聞こえると母に言われたので、そういう風にとられることが今後あるかもしれないと思って、「どんな場合に言い訳になるの?」と深堀して聞いたら、「豆腐はまじめすぎるんだよ。そんなの時と場合による。」と言われた。
あとは、中学生のときに、怒られたくないし、やらないと後がめんどくさいし、そもそも言われたことだからと先生の言うことを聞いて行動していたら、渋い顔で「真面目だね~」と言われたり。
そんなことを10何年言われ続けると、「真面目」=融通が利かない・頭が固い奴・変な奴みたいに聞こえてきて、なんだか嫌味というか嫌な言葉に聞こえてきて、自分で「真面目じゃない、真面目じゃない」と否定するようになった。
そしたら、今までコツコツ課題をこなしたり、実直に目の前のことに取り組むことができていた気がするのに、なかなか勉強が始められなかったり、すぐ結果が出ないことにイライラするようになった。
そう気づいて、どこか自分の良さが一つ消えた気がした。
なぜだろうと思っていたところ、多分そいつ、今ごろパフェとか食ってるよ。の中で
という話を見つけた。
まさに今の自分だと思った。
たぶん「真面目ではない」という脚本を演じることで本当に自分が考える「真面目ではない」=目の前のことに真剣に向き合わない役を演じていたのだろう。
そもそも、自分が「真面目」を嫌に感じるようになったのは全部外部的な要因からだった。家族や友達から言われたときのマイナスな雰囲気、真面目で完璧主義な人が鬱になりやすいとか。
確かに真面目に考えすぎて落ち込むこともあるし、人の何倍も泣いてるし、人に言われたことを素直に受け取って悩んでしまうし、とにかくマイナス面は多い。
でも、それは、「○○さんには注意されたけど、これは自分自身にではなく、この行動に対する注意だ」と考えを転換させたりすることでカバーできるし、考え抜いた結果何年も使える対処法を編み出したり、同じように悩んでいる人(同じ仕事をしている後輩とか)に教えることだってできる。
それに、コツコツ続けることで、成果を出すこともできていたし、それを自分でも誇りに思えそうだった。
そう考えると、そんなに眉を顰められることではないと思うし、自分で否定することもないと思う。
だから、自分の脚本を「真面目な人」と書き換えて、修正するときは、そこに新たな考えを書き足せばいいと思った。
まあ、ほかにも勉強に向き合えなくなった理由もあるから、それはまた別の機会に書こうと思う。
それではまた。
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