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泣くきっかけになる考え方

今日、塾のスタッフさんに勉強方法やペースについて相談をしたあと、それを聞いていた母に、色々と聞かれ、最終的に大泣きしてしまった。

その中で、自分がどの状態になると泣くのか、少しわかったので、「どうして自分が泣いているのかわからない」という人に、この記事を通して、意見を共有していきたい。


きっかけその1 相手に自分の話を理解してもらえないとき

今回でいうと、塾のカリキュラムとして、用意してある授業がインプット系とアウトプット系の2種類あり、(便宜上授業①授業②とする)授業①→授業②に移行するという今までの勉強方法から授業②でわからなかった時は授業①に戻るというやり方をしようという結論に至った。

これについて、親的には、私の有する知識が偏ること(以前から何度もそれで失敗している)を心配したらしく、授業①と授業②を同時並行でできないのかと言われた。

確かにそれが王道に近いんだが、自分がやってみた体感として授業②に力を入れたほうが成長を感じられたし、授業①は私が直近で合格したい試験にとって必要な知識にしては多すぎるため、時間がかかるうえ、授業②だけで十分必要な重要知識は得られるクオリティであることから、それが最善という結論に至ったから、同時並行はしないといったんだけど、

それをなかなか親が理解してくれなくて、泣きそうになった。
たぶん、勉強しないとわからない部分とか、感覚とかもあるから、理解できないのは仕方がないかもしれないけど、聞いてくれたからには、ちゃんと納得してほしいという気持ちが出てきて、それが達成できないことがもどかしくて泣きたくなったのだと思う。

きっかけその2 自責

上の話でも出てくる感情なのだけど、親がなかなか自分の話を理解してくれない原因は、自分の話し方がへたくそだからなのではないかと思ってしまったことも泣いた原因なのだと思う。

あと、相談中に、現在の学習のペースや自分が話した計画は現実的であるか、ロー入試と予備試験を並行ですることは考えているかという話の時に、「体調が悪かったため」このくらいしか進められなくて焦っている。や「詰め込みすぎると疲れてしまい」、なかなか勉強できないときもあるから、詰め詰めのスケジュールだと厳しいかも。と
自分の体調や性質のことを話したら、それを断片的に聞いていた(主に「」の部分)らしい親が
『自分の体調は相談に関係ないでしょう。それでも踏ん張ってやらなきゃいけないこともあるし、周りも必死にやってるんだから、それは言い訳に聞こえるよ!そんなこと言われても「だからなに?」って感じだよ』と言われた。

これに対して、自分は「そんなことない!」よりも先に、『自分は言い訳をして逃げていたのか。相手に「だからなに。そんなことみんなやってる」と思われたかも』と落ち込んでしまい、泣いてしまった。(今も泣きそう。)

結局受験を考えていない理由や焦っている理由を説明するためにその事情を話したと言ったら、「言い訳とか言ってしまってごめん」と言われたけど、もしかしたら、今後「そんなの言い訳だ!」と言われるかもしれないと思うとまた泣きそうになる。
それでどの場合に「言い訳認定」されるのか聞こうとしたら、時と場合によると言われた。時と場合とは?結局言われないとサンプルたまらないのか。
言われるのを予防したいのに。そういうと、「まじめ」と言われる。んー。

なぜこう考えると泣いてしまうのか

上の考え方で共通しているのは、心に傷を負った ということだと思う。
理解してほしいのに、理解してもらえないという傷、言い訳をして逃げるようなダメな人間なんだという傷みたいな。それをひたすらぐりぐりしているから、なかなか泣きやめないのかもしれない。

泣かないための対策案

そもそも上の考え方たちに行きつく原因が「理解してほしい」「言い訳をしてはいけない」「逃げてはいけない」という願望や自分に対する制約だから、そこから自分を解放するために、「人のすべては理解できない」「言い訳はダメなことなのだろうか」という別の考え方をインストールすることが効果があると思った。

でもこういう長年染みついた考えから自分を解放することはなかなか難しいから、これからも研究していこうと思う。


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