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【読書感想】川のほとりに立つ者は①


私はあなたのことをどれだけ知ってるのか。


私が最初にこの疑問を持ったのは中学生の頃だった。

小学生の時同じマンションに住んでいた女の子の友達がいた。クラスは違うけど一緒に帰って最低週2回は遊んでいるくらい仲が良かった。
いわゆる親友だ。お互いの家の電話番号も暗記しているし、私たちの母は私たち2人を実の娘の様に扱ってくれていた。

彼女は少しあざとくて明るかった。
そしてすぐに泣く私を慰めるお姉さんでもあった。

ふとした瞬間に冗談のつもりで私を小突いてくる事もあったが、
ひとりで本を読んでいた私をクラスまで迎えに来て声をかけてくれる優しい一面もあった。

私は彼女の涙を見たことがなかった。
そんな彼女は小学生の時クラスでいじめを受けていた。


その事を知ったのは、私が中学生の時で、しかも母伝いだった。
前から学校では一緒にいるの?と聞かれることはあったが、「クラスが違うから一緒じゃない」と冷たく返した気がする。


その時にはもう、母親同士で情報交換をしていたのだろうが、そんなことを知らない私は
私の見える世界でしか彼女を見ることができていなかった。
彼女は明るかった。


私は彼女の家族全員の誕生日を知ってるし、彼女のおばあちゃんの家まで知っているのに

何も知らなかった。
彼女が悩み、泣いている事を親友なのに知らなかった。


作中にこんな一文がある。

川のほとりに立つ者は、
水底に沈む石の数を知り得ない。

所詮人間は、たとえ恋人同士であっても家族であっても全てを知り得ることは不可能だ。
川のほとりに立つ者だけが知らないのではなく、その川自体も水底の石を知らない。

だから知り得ないのだ。
知らないと「知り得ない」は違う。

誰がどう頑張ってもわからないのだ。


ふとした瞬間に現れる石、ここで言う新たな一面を誰も否定する事はできない。

ほとりから見えている石だけをみて、人を判断するのはとても傲慢だ。ましてや、現れた一面でショックを受けるなど浅ましい。

今でも私は他人を間違ったフィルターで見てしまう事がある。

男なら、女なら、大人なら、子供なら、
私の明るい親友なら。
枠にはめ込んで見てしまう。
本作はこの部分について大切な事を伝えようとしてくれている気がする。

無意識にフィルターを通して人を見てしまったと後悔する時に、これから何度も思い出すだろう。

私たちは、知り得ないのだと。

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