希死念慮 2

先日まで尋常じゃないくらいの希死念慮におそわれ死にかけていた話。
元々希死念慮はずっと抱いている人間であり、それについて以下の記事でも触れています。

特に何かあったわけでもなく、自殺願望があるわけでもなく。でも尋常じゃないくらい死にたいと思うのだ。
明確な理由なく死にたいと思うことは異常なのだろうか。それとも口に出さないだけで大多数の人間が抱いている感情なのだろうか。

自身が日々、希死念慮を抱いているということが当たり前なのでちょっとやそっとでは別に何ともない。私にとって死にたいと漠然と思っていることは呼吸と同義である。それなのに先日は希死念慮に押しつぶされそうになり、実際に自身の中では過去一危ういところまでいったのだ。
もちろん、いつも通り何かあったわけではない。確かに小さな積み重ねはあったがそれでもそこまで追いつめられるほどではなかった。
寒い時期だったから、世間的に悲しいニュースが続いたから、と挙げようと思えばいくらでも理由はあがるがどれもやはり明確な理由ではない。

恐らく、私が希死念慮を抱いてしまう理由を考えること自体が間違っているのだと思う。どうしたって抱いてしまうのだ。なら、その感情が肥大化したときの対処法や気をそらす方法などを考えるべきなのではと思い至った。

かといってまだいい対処法は見つかっていない。希死念慮にかられているときはだいたい思考回路が尋常じゃないくらい高速で回っているときだ。何も考えないようにする、何か他に熱中できることに着手する(読書や音楽を聴くなど)などは無意味だ。過去の経験則的に思考がぐちゃぐちゃになっている際にほかのことをすることは不可能だと悟っている。何も手につかなくなる。そこで1つの対処法として思考を書き出す、見える化するという方法を最近はとっている。やはり内に留めておくことはよくない。どんな形であれ吐き出すことでちょっとすっきりしたり、思考が収まったりする。
私は人に話すことの方がかえってストレスになるのでこうして文字に書き起こす。文字はやはりいい。うまく言語化できずにもやもやすることもあるが、どう言語化するかを考えるときにより自分の感情と客観的に向き合える。そうして書き出した文字を見返すことで、自分の現状を把握し冷静になり他のことに着手したり、寝てしまうことができる。

私なりの思考整理、ストレス発散方法はやはり「文字」にすることだとここ1年ほどで強く感じるようになった。こうして形となった私の思いが私に新しい何かをもたらしてくれるのかもしれない。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?