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写真がスキ!

noteを利用し始めて、ひーふーみーまでは行かないか

二日目の今朝、嬉しいことがあった。

わたしの記事が読まれています、の表示が。

ひとりごと日記でええわいとやさぐれつつも内心、

読んでもらいたかったんだなー、自分。

基本、わたしは素直じゃない。

根性ひんまがってると思ってもらっていい。

でも我が人生において、幼き日々より今日こんにち

まで、罵詈雑言、罵倒のシャワーを浴びせかけられて

来た経緯からすると、ここまで持ちこたえられたこと

は、少しぐらいは認めていただきたい気もする。

それにつけても、読んでくださった方がいる。

なんて、嬉しいことだろう。

日記なら、本物の紙のノートに綴っていればいいじゃないか、そうなんです、そうしていたらですね、

膨大な量のノートの山が出来ましたとさ。

これをわたしの死後、子どもたちがゲラゲラ笑いながら読むと思うとおそろしくなって、ビリビリに破いて
捨てるのに、ものすごい労力を使った経験から、

なるべくコソコソ書こう、と思いまして。

わたしがどんな奴か知ってもらうためには、

やはり何が好きかをお伝えするに限る。

おとなでもこどもでも、心底好きなモノの話になると

ふだん寡黙な人もたちまち饒舌になり、目は本当に

お星さまがキラキラ光っているような少女漫画の

主人公のような輝きが、どんな人にも宿るのです。

わたしにとって、好きなモノは写真。

カメラじゃなくて、写真。

機材のことも、レンズのことも、フィルムでも

デジタルでも、スマホでも日光写真でもかまわない。

記録写真でも、ピンボケ写真でも問わない。

大切なのは、その写真と目が合ったとき。

どきん。

心臓が震える。

そんな写真を撮る人が必ずしも著名な写真家ばかり

とは、限らない。

里山で静かに子育てに専念している主婦の方だったり

する。

胸の内に秘めた彼女の桟橋への思い。

それは、彼女いわく、

「わたしは桟橋を舐めるように撮りたい」

という言葉に凝縮されている。

あまりにも凄い写真を見ると、言葉をうしなう。

言葉に出来ないから、写真がある。

わたしがファインダーを覗いて、シャッターを切るとき、無心、無我、夢中だ。

わたしは自分が撮影した写真より、写真を撮影する

ことを好む。

写真は、楽しい。

むずかしいことは、何もわからない。

シャッタースピードと絞りぐらいしかわからない。

何しろ、キットレンズの望遠レンズですべてを

まかなっているのであるから。


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