ふさふさ

うつ病ぶり返して自宅療養中です。

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最近の記事

ふたとおりの人生

ふたつの人生がある。片方は「子どものいる人生」 もう片方は「子どものいない人生」。 どちらがしあわせか。一概には言えない。 ひとことでは語れない。 昨日ずっと言えなかった言ってはいけないとわかっていたのに、素朴な疑問として彼女に尋ねてしまった。 「出来ひんかったんか?」 彼女は即座に顔を曇らせた。「いらんこと言うた?」 「ウン」「誰が?わたしが?」「ウン」 彼女はご主人と二人暮らし。70代半ばで持病のある ご主人を気遣い、若い頃は仕事にも行って、猫を大事に育ててご近所の顔役

    • お昼ごはんは成城石井のハンバーグ丼。

      眠い。今わたしは2台の扇風機の風を受け、 南の縁側を開け放ち、やわらかアイスノンにタオルを巻いて寝そべっている。自然光で十分明るいので蛍光灯はつけていない。 台風が来ているようだが、関西地方は影響を受けないようだ。 わたしは精神障害2級だ。障害者手帳は交付してもらっていない。今は安定しているがいつ悪化するかわからない。なぜなら、自分の努力で良くなるものではないからだ。 好きで障害者になる人はひとりもいない。 それに、病院に行ってないだけ、診断名がついていないだけで今すべての人

      • Z世代がわからない。

        まず、Z世代の定義を検索してみた。 1. 対立を怖がる 2. ストレス耐性が「かなり」低い 3. 精神的に幼くプロ意識が薄い とのことだ。 わたしは、Z世代がわからない。 まずZ世代とは、具体的にどの辺りに位置する年代なのであろうか。 ジェネレーションZ……それは、 ホギャアと生まれたその瞬間からインターナショナルテクノロジーに囲まれて育った、生まれたときからインターネットが利用可能であった 最初の世代……1998年~2010年初期生まれの人たちのことを指す。 わたしはZ世

        ふたとおりの人生

          秘境の海へ。いざ、

          秘境の海へ。いざ、

          夏と言えばこの花だろ。

          夏と言えばこの花だろ。

          なぜこのタイミングで。

          夜11時。やっと幼い二人を寝かしつけた、と思ったそのときに、鳴り響く黒電話。 「遅くなるから。」 「あんた誰?」 「パパ。」 そうだった。仕事で帰りが遅くなるときは、電話して欲しいと伝えたばかりだった。 別れてもらうのに14年かかった。 好きと思ったことなんて一度もなかった。 愛してなどいなかった。 子どもたちの父親、それだけで。 その子どもに手を上げたのだから、 わたしは子どもたちを連れてすぐ家を出たのだ。 パパのおっ母ァは三人の子どもたちを置いて 家を出た。小学5年生の

          なぜこのタイミングで。

          Local×Local Room001~全部吹っ飛ぶ旅に出会った。

          今回のわたしたちの旅行の目的は、 ①ローカル×ローカルさんの青いお部屋に宿泊する ②秘境「ヒリゾ浜」に行くこと(天候次第) ③温泉もいいな ④はじめてのシュノーケリング体験 ⑤海鮮を堪能する なかなか、欲張りな旅ではありませんか。 次女に差し出された5万円を使って、これらを全てとまでは無理がありますが、(シュノーケリング体験は次女のみ参加で別途本人が支払いをすることに)今回の旅行は当初、「海がみたい。」という次女のことばから発想を得て、青い部屋なんてあるかな?→検索→ありま

          Local×Local Room001~全部吹っ飛ぶ旅に出会った。

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          キラキラ

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          南伊豆の美しい風景に心洗われる。

          南伊豆の美しい風景に心洗われる。

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          例え明日が来なくても。

          目覚めるのが朝だとは限らない。夜勤明けで朝陽に目を細めて家路に着くひと。朝も夜も介護や育児に追われて合間にうたた寝するひと。精神を病んで一睡もしていないひと。立場は違っても等しく朝は、来る。 なんのために? だれのために。 例えば、わたしが今から忽然と消えたとして、 それでも地球は回っている。街は動いている。山も海もそれぞれの営みを止めはしない。 でも、「わたし」主体で言えば、世界は終わっている。 だが、受け取ってくれる手があるならば、託すことが 出来る。そのためにこの星を守

          例え明日が来なくても。

          「パラサイト 半地下の家族」

          エンドロールの黒い画面に映る眼差しは、幾すじかの涙をながしながら、たしかに怒りをあらわにしていた。わたしは怒っていた。それが何に対しての慟哭なのか、わからないまま。 韓国の映画である。舞台は現代。ここにもご多分に洩れず、激しい格差社会が残酷なまでに貧富の差がそのまま、一生を左右するシビアな世界、 キム家もまた父、母、娘、息子家族4人とも無職で「半地下」と呼ばれるその名の通り、地上での暮らしも許されない、貧民窟の住人である。 4人怠けてきたのではない、ただ諦めきってしまった

          「パラサイト 半地下の家族」

          マルケスの「百年の孤独」を日本人寺山修司が映像化したら、こうなった。

          そのタイトルは、ーーーーーー ーーーーーーーーー「さらば箱船」。 わたしは、マルケスを知らない。 原作の和訳を読んだことは、ない。 マルケスが南米出身のノーベル文化賞作家 だということも知らない。 わたしは、寺山修司を知らない。 名前ぐらいはどこかで聞いたことがあるかも 知れない。 その程度。 だから、まずなんの色眼鏡もなしに、 「海の日」という祝日がいつの間にか カレンダーに記されていて、外は雨、 U-NEXTで観てみましょうとなったのだった。 ひとことで言うと、

          マルケスの「百年の孤独」を日本人寺山修司が映像化したら、こうなった。

          他人事

          「お金じゃない、って言うけど、いくらだったら 許せるの?1円でもいいの?」 約束の時間に5分遅れたことは、最初に謝罪した 弁護士からしたら、時間厳守が当然、信用第一 だろうから、それはわたしに非がある。 その日は雨だった。わたしはちゃんと起きて 出かける支度もしていた。 あそこで特急に乗り換えていれば、早く着いたかも知れない。地下鉄を一本逃した。 雨の中でも小走りに事務所をめざせばよかったのかも知れない。 わたしの膝が痛くなければ。 今年に入って右ひざがポキポキ鳴るようになり

          わたしはわたしのために生きる

          過去と訣別するために、わたしは兄に対して 10年前に他界した父の遺産相続遺留分請求を 法テラスを利用して、弁護士事務所の弁護士さんに相談した。 正直、財産と呼べるような物はない。 しかして、死後10年の時効の数日前に 母がうっかり口を滑らせたのは、何か虫の報せの ような気がする。 わたしが6歳、兄が中学生のときから、それは 始まった。 暴言暴力性的な……。 わたしはお兄ちゃん子だった。 お兄ちゃんが小学校から帰って来るのを玄関で 今か今かと待ちわびていた。 兄が戸を開けて家に

          わたしはわたしのために生きる