菅谷良明

仏教やインド思想を書いていきます

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ブッダ・心のことば ウダーナ第1章2わかりやすい版

1 菩提の章 1. 2 第二の菩提の経(1)   頑張って修行するひとに   ものごとが見えてくる   ものごとには、もとがないならないと   知ってしまえば真理への疑いが消える  あるとき、お釈迦様はウルヴェーラーに住んいた。  ネーランジャラー川の岸辺にある菩提樹の根元で悟ってすぐのころ、七日のあいだ瞑想姿で坐っていた。  悟った、お釈迦様は七日過ぎに、瞑想から覚められて、夜の中ごろのあいだものごとが、縁によって生じることわりを逆に確かめられました。 これ

    • ブッダ・心のことば ウダーナ第1章1 わかりやすい版  

      1 菩提の章 1.1  第一の菩提の経(1)   頑張って修行するひとに   ものごとが見えてくる   ものごとには、もとがあると   知ってしまえば真理への疑いが消える  あるとき、お釈迦様はウルヴェーラーに住んでいた。 ネーランジャラー川の岸辺にある菩提樹の根元で悟ってすぐのころ、七日間、瞑想姿で坐っていた    悟った、お釈迦様は七日過ぎに、瞑想から覚めて、夜の初めのあいだ、ものごとが縁によって生じる、ことわりを順に確かめられました。 これがあるからあれ

      • アビダンマッタサンガハまとめノート

        第一義 心 所縁を知る本質、認識するはたらき、機能 「知ること」 物質と生物   を区別するはたらき 心所 心に相応して生じる本質、認識と一緒に生まれる感情、受・想・行  色 例えば冷熱の温度などによって変化する本質・物質 涅槃 すべての苦の静寂という本質               Ⅰ. 摂 心 分 別   心の主体としての心法を説いたもの  欲界心54   欲界に入って在る心 欲界心は眼耳鼻舌身の世界「三次元の心」「五根  を通るから欲が生まれる」 不善心 12

        • 瑞龍鉄眼禅師 仮字法語 第六章 識

          瑞龍鉄眼禅師 『仮字法語』 『第六章 識』 【六の一】 第五に、識というは、これすなち色受想行の四つのもといとなりて、三界六道を生じて人々の身より森羅万象、天地虚空までを生ずるまよいの根本なり。 この識は全体本心にて、体には差別なしといえども、無明のわずらいある故に識という。 もし無明のわずらいなければ、すなわち本心なり。 識は幻夢のごとくただこれ一心と圭峰ものたまえり。 第五に、識というのは、色受想行の四つのもとのこと、三界六道を生じて人々の身や森羅万象、天地虚空、あ

        ブッダ・心のことば ウダーナ第1章2わかりやすい版

          瑞龍鉄眼禅師 仮字法語 第五章 行

          瑞龍鉄眼禅師 『仮字法語』 『第五章 行』 【五の一】 第四に、行というは、行は遷流を義とすとて、わが心の生滅して、うつりかわるをいうなり。 こころに妄想のおもいあれば、その心刹那もとどまる事なくして、しきりにうつりかわるなり。 たとえば水のながれて、しばらくもとどまらざるがごとく、燈火の刹那刹那にきえて、またたきの間にもとどまらざるに似たり。 人々の朝(あした)より夕べにいたるまでとやかくと思いつづけて、うつりかわるところを、意(こころ)をつけてよく見るべし。 さなが

          瑞龍鉄眼禅師 仮字法語 第五章 行

          瑞龍鉄眼禅師 仮字法語 第四章 想

          瑞龍 鉄眼禅師 『仮字法語』 『第四章 想』 【四の一】 第三に、想というは、思想とて、人々の心中に日々夜々におこる妄想なり。 昼は妄想となり、夜は夢となる。みな人、夜の夢ばかり、実(まこと)なきいつわりのものにて、昼おもう事は、みなまことなりと思えるなり。これ大いなるあやまりなり。 まよえる人のおもう事は、昼おもう事も、夢に同じくして、すべて跡なき妄想なるを、知らずして実(まこと)と思えるなり。 第三に、想というのは、思想として、人々の心の中に日々夜々におこる妄想のこ

          瑞龍鉄眼禅師 仮字法語 第四章 想

          お釈迦様の戦争の終わらせ方

          現在、悲しいことですが戦争が止みません。  争論は、言い争いという意味ですが、戦争と読んでも、いいです。 お釈迦様が争いを終わらせる方法を説いていることにかわりはありません。そこで、11争闘経を取り上げます  スッタニパータは中村元先生が「ブッダの言葉」というタイトルで翻訳された広く知られたお経です。  パーリ語の仏典としては明治以降に日本で初めて知られ、現在では最古の仏典として、お釈迦様の肉声に最も近い言葉と言われています。  スッタニパータは、日本ではわずかに引用されて

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          鉄眼禅師 仮字法語 第三章 受

          鉄眼禅師 仮字法語 『第三章 受』 【三の一】 第二に、受というは、納領を義とすとて、ものをうけおさむることなり。これは眼耳鼻舌身の五根に、外の六塵の境界を、うけおさむるをいう。眼には色をうけ、耳には声をうけ、鼻には香をうけ、舌には味(あじわい)をうけ、身には触をうけおさむるなり。 第二に、受というは、納領(納め受ける)という意味、ものをうけおさめること。これは眼耳鼻舌身(感覚器官)という五根に、色声味香触法という六境を、うけおさめることをいう。眼には色をうけ、耳には声

          鉄眼禅師 仮字法語 第三章 受

          瑞龍鉄眼禅師 仮字法語 第一章 

          瑞龍鉄眼禅師 仮字法語 第一章 【一の一】 心経にいはく、五蘊みな空なりと照見すれば、一切の苦厄を度すと。 この意は、五蘊本より空にして、なきものなる事をさとりて、その理をあきらかにてらし見れば、一切もろもろの、生死の苦患厄難を度脱して、法身般若の体にかなふという意なり。 お馴染みの般若心経には、「五蘊はみな空と見極めれば、苦はなくなる」と書いてある この意味は、五蘊(人)本当は空であると、実態はないものとさとり、あきらかにして見れば、人はすべての、生死の苦しみ、患い、災

          瑞龍鉄眼禅師 仮字法語 第一章 

          鉄眼禅師 仮字法語 第二章 色

          鉄眼禅師 仮字法語  鉄眼禅師は、江戸時代に一切経を多大な辛苦の末に出版した人物。 はじめ浄土真宗を学び、のちに黄檗宗の禅僧となった。 『第二章 色』 【二の一】 第一に、色というは、我この身なり。また世界の天地草木にいたるまで、形のあり、色のある物はみな、この色のうちなり。楞厳に、一切衆生無始よりこのかた、己にまよいて、物として、本心を失いて、物のために転ぜらる、といえり。 第一に、色というのは、身体のこと。天地草木、などなど形あるもののこと。 楞厳経によれば、「

          鉄眼禅師 仮字法語 第二章 色