瑞龍鉄眼禅師 仮字法語 第一章
瑞龍鉄眼禅師 仮字法語 第一章
【一の一】
心経にいはく、五蘊みな空なりと照見すれば、一切の苦厄を度すと。
この意は、五蘊本より空にして、なきものなる事をさとりて、その理をあきらかにてらし見れば、一切もろもろの、生死の苦患厄難を度脱して、法身般若の体にかなふという意なり。
お馴染みの般若心経には、「五蘊はみな空と見極めれば、苦はなくなる」と書いてある
この意味は、五蘊(人)本当は空であると、実態はないものとさとり、あきらかにして見れば、人はすべての、生死の苦しみ、患い、災害、困難を脱して、人はこの世で悟りをえる、ということ。
【一の二】
五蘊というは、色受想行識の五つなり。五つのしなことなりといえども、唯(ただ)身と心との事なり。
人(五蘊)というのは色・受・想・行・識という五種類と仏教用語ではいうが、要するに身体と心ということ
鉄眼禅師 『仮字法語』
【一の三】
はじめに色というは身なり。のちの四つは心なり。一切衆生は本より涅槃常楽の体にして、法身般若の智身なれども、此(この)五蘊の色心に迷ひ、ゆえに凡夫となり三界に流浪するなり。五蘊といい、色心の二つといえども、すべてはただひとつの迷いの事なり。
はじめに「色」は、身体のこと「受・想・行・識」は心のこと。人々は本来、仏の心と体をもっていて仏の智慧を宿した身体であるが、この五蘊(一般人)は欲にまみれて迷い、世の中を歩きつづける、五蘊(人)とは、身体と心の二つなのに、ただひとつの迷いのために、こだわり、さまよう。
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