天災は 忘れたころに やってこないで
9月1日は防災の日。
今年は、色々な意味で大きい節目となっている。
関東大震災から100年。
いわゆる関東の大地震周期は70年とか囁かれていましたが、30年も遅れた。その分、蓄積された太平洋プレートの反動も倍返し状態に大きなものになる。
東京ドームシティは、もともと水戸藩の後楽園なる庭園を有する藩邸。安政大地震で幕末の有為なる人材藤田東湖が家屋に潰されて圧死したことで知られます。
この安政大地震。
当初に相模湾トラフ型の大地震が発生、直後に南海トラフ型に連動し、年をおいてから江戸直下型が発生した連動式地震と呼ばれたもの。幕末の江戸を大混乱にした出来事です。それでもインフラ的にシンプルだから、人命優先でどうにか対処できた。
関東大震災は、安政大地震からおおよそ70年後の大正末期に発生しています。
インフラやITや電子・電化、大正の時代とは比べ物にならない社会情勢になった21世紀ニッポン。
東日本大震災のような被害が、首都圏の至る場所で発生することは想像に易い。その瞬間と、余震におびえるだけで済むなら、まだいいのですが。
たぶん、そんなに楽観視できないと思われます。
デートスポットで知られる山下公園も、関東大震災で大量に発生した瓦礫処分の埋め立てで誕生した場所ですもの。
文明にどっぷりと侵された私たちは、未曽有のサバイバルを体験するかも知れません。
でも、いつかは分からないどこかで、きっと、必ず、震災が発生することだけは間違いないのだろうと思う。
生き残った人が、被災された方の分も責任もって、力強く生きてより良い社会を構築するしかない。その責任を例外なく背負わされることを自覚しなければいけない。
理性ある生き物として。