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繰り返す赤い世界

写真は乾浩先生から提供された国後島。
こんなに近い固有の領土は、現在も実効支配中。
さて。

以前、歴史研究687号で「北のひめゆり」という寄稿をした。旧ソビエトのルール無視を浮き彫りにしたつもりだ。
当時の指導者であるヨシフ・スターリンは、ロシア史上最も血塗れと称される。実績や成果を見る限り、とてもヒトラーを非難できるような人物とは思えない。そのスターリンを手本にしているのではと揶揄されるのが、ウラジーミル・ウラジーミロヴィチ・プーチン。
2022年、ウクライナに生じた問題は、第三次世界大戦と囁かれる出来事だ。無関係でいられる国は、ほぼほぼ無い。ウクライナに宣戦布告もなしで侵攻したプーチンの流儀は、日本人の忘れかけた記憶を鮮やかに蘇らせたことだろう。

昭和二〇年(1945)八月八日。
日ソ不可侵条約を結んでいた筈のソビエト連邦は、突如、満洲へ侵攻した。宣戦布告の通告はない。
関東軍は不可侵のルールを信じ南方に軍を移動させていた。その隙に、火事場泥棒のように攻め込み、非戦闘員である民間人から奪い、殺し、犯すだけの〈あらゆる〉を重ねた。捕虜の扱いも人道にもとる有様だった。このことは、未来永劫忘れることの出来ない、道義なき侵略だった。
それ以上の出来事もあった。
しかし、そのことを多くの日本人は知らないだろう。

八月一七日、占守島。
千島列島最北端の島に、日本の守備兵がいた。昭和天皇の玉音放送を聞いた兵たちは、粛々と武装解除を始めていた。この時点で、全千島列島ならびに南樺太は日本領であることが国際法上認められていた。
その武装解除を急ぐ島を、深夜、ソビエト軍が砲撃した。占守島の指揮官は日本陸軍のシンドラーと称される樋口季一郎中将。終戦後のこの戦闘を自衛のものと判断し、彼は抵抗を決断する。
当時のソビエトは、小さな島を占領する戦闘を一日で終える予定だった。
ところが日本軍の反撃は凄まじく、ソビエト側が後退を余儀なくされた。最前線で活躍したのは人望に厚く優れた指揮官で知られる池田末男陸軍大佐。その活躍が、九万対九千とさえ例えられる劣勢を引っ繰り返したのだ。ちなみに池田末男は徴兵された司馬遼太郎にとって、戦車学校時代の上官とされる。
この戦闘について、大本営からは例え自衛とはいえ全ての戦闘行為を停止するということが通告されたが、現実的には厳しい状況だ。樋口季一郎中将はソビエトの戦闘行為の中断を要請、このことは大本営からマッカーサーへ伝えられた。マッカーサーは直ちにソビエト国防部軍参謀長アントノフへ停戦を促したが拒否された。
日本軍優勢でありながら、戦闘行為を中断したため、占守島はソビエトに奪われる結果となった。このルール無視の行為の背景は、スターリンの北海道侵略の意図があったためと考えられる。一日で占守島を攻略し、千島列島をすべて手中にし、あわよくば北海道へというシナリオは、精強な日本軍のために頓挫したのである。この〈八月一五日以降の出来事〉を、多くの日本人は知らない。
樋口季一郎中将の抵抗には、大きな意味がある。
敗戦国となった日本へ、火事場泥棒のように実効支配を目論んだスターリンの欲望を浮き彫りにし、それを白日の下に曝し、かつ阻止したことである。北海道へアメリカの進駐軍が入ったため、スターリンの野望は失敗に終わった。代わりに、周辺の実効支配が展開された。八月二八日に択捉島、九月一日に色丹島、二日に国後島を占領した。すべて八月一五日以降の出来事である。
なお、武装解除した多くの日本兵には、過酷な報復が待っていた。
捕虜という国際ルールの適用しない残虐行為。最たるはシベリア抑留だった。南樺太における非道は、687号に記したとおりである。
 
このソビエト軍の動きは、今日のロシア軍によるウクライナ侵攻と重なることが多い。
短期間で侵略を完成させる見込みが、結局は失敗している。ウクライナは停戦命令されることがないため、今日でも国際世論の支持を背景に戦闘を継続している。これだけが、当時の日本との大きな違いだ。
そして奪えるだけ奪うというロシア兵の精神、非戦闘員ほど威高々に蹂躙する残虐性。その根底にあるものは、先の大戦と一切変わるものではない。指導者として戦争を命令したスターリンとプーチン。自己の権力のための戦争と云うのも、どこか似ている。
歴史は繰り返すというが、これほどまでに悪しき歴史を重ねる愚行を顧みぬロシアの様は、如何であろうか。
 
ウクライナとの戦争のさ中、ロシアのセルゲイ・ミロノフ下院副議長は
「一部の専門家によると、ロシアは北海道に全ての権利を有している」
との発言を報じた。
北海道への野心を、ロシアは今でも抱いているのだろうか。妄言と信じたくても、信じ切れないものがある。赤い歴史は繰り返されるとしたら、日本人はもう一度、自分の事は自分で守るという意識だけでも奮い立たせなければいけない。その時期は、今ではなかろうか。
これは特定国の非難でも否定でもなく、日本人の意識啓発のための散文である。(初稿2022年2月)


この話題は「歴史研究」寄稿の一部であるが、採用されていないので、ここで拾い上げた。戎光祥社に変わってからは年に一度の掲載があるかないかになってしまったので、いよいよ未掲載文が溜まる一方。
勿体ないから、小出しでnoteに使おう。
暫くはネタに困らないな。
「歴史研究」は、もう別のものになってしまったから。