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異形者たちの天下第2話-3

第2話-3 葦の原から見える世界

 その日、麹町御門に稀客が来た。
「やあ、半蔵殿」
 そう笑う男のいまの名前は庄司甚右衛門。いまの、と憚るのも理由がある。彼は前身が名のある人物だったからだ。
 風魔小太郎。
 箱根山に結界を布陣し早雲以来小田原北条家五代に仕えてきた稀代の忍ノ者である。風魔一族の棟梁として精強の忍軍を従えてきた彼も、北条家瓦解ののちは箱根山を下りて江戸の片隅に暮らしている。いまは主を持つことなく遊女屋を経営しているという。
「忍ノ者も遊女で食う時勢さ。もう風魔の技は儂の代で仕舞いだね」
「そういうなよ、服部も駄目さ」
「ほう」
 面白そうに庄司甚右衛門は身を乗り出した。
「考えてもみろよ、忍ノ者が主仕えすりゃあ腑抜ける。何事もなけりゃ黙っていても給金が出る。だったら危険なことをしたくないのが人の欲だ。欲を持ったら忍ノ者は駄目さ」
「だったら半蔵殿はなぜそうするのだ」
「戦乱を終わらせ大御所により天下泰平を築いて貰うためさ」
「そうか」
 庄司甚右衛門はにっこりと笑った。そして懐から
「土産だ」
と云いながら徳利を出した。半蔵は傍らの湯飲みを手繰り寄せた。欠け椀だが二人とも気にはしない。
「まことに戦乱がなくなれば、忍ノ者は無用になる。儂は北条家が絶えたとき、猿太閤の寝首を掻こうと考えたよ。しかし、止めた」
「うん」
「それで応仁の大乱から続く百年の戦乱が終わるなら、猿に任せるつもりだったのさ。でもその役目は、どうやら猿ではなかったようだ。だから儂は江戸に巣食っているのだよ」
「うん」
 饒舌な庄司甚右衛門と、対照的な服部半蔵。これで会話は一応成立しているのである。
「ところで、な」
 庄司甚右衛門は話題を変えた。
「去年の夏の終わり頃、江戸に蔓延る浪人どもの大将が磔にされただろ?ええと、確か……」
「大鳥逸平、大鳥組の棟梁」
「そう、そう、そう。さすが服部半蔵、年食っても物覚えがいいな」
 
 大鳥逸平、武州大鳥村の百姓の子。武士を望み江戸へ出た彼は、凄まじい浪人の数に絶句した。しかし俄大名の暴力に苦しむ者が多いことを知った彼は
「大鳥組」
という武家奉公斡旋組合を創立しそこの棟梁に収まった。俄大名たちはここを窓口にして人材を求め、浪人たちもここから就職した。これに属した浪人や傾奇者の数は六百を越したという。しかし大鳥組の真骨頂はただの口入れだけではない。大鳥組の党員は相互援助の精神を持ち盃を交わし誓いとしていた。すなわち俄大名の不当な暴力や理不尽に苦しむ者を、互いに助け合うという精神だ。それが事件に発展したのは慶長十七年六月某日、旗本・北河権兵衛は新規召し抱えの仕官侍を些細なことで手討ちにした。偶然これを目撃した同様召し抱えの石井猪助は突如刀を抜くなり主君を斬り殺してしまった。このことに対して石井猪助は悪びれもせず仲間の義理を果たしたまでと吐き捨てた。町奉行・土屋権右衛門由政はこの大鳥組について調べさせた。すると同様の事件がぞくぞくと明白になった。これにより大鳥組の幹部党員七十余人が捕らえられた。大鳥逸平はこの年七月に刑死して果てた。
 
 このことは大御所家康と大久保長安の件で忙殺された服部半蔵でもよく知っている事件だ。江戸城下を騒がせた、極めて不本意な事件ともいえよう。
「それで、そいつがどうしたって」
「大鳥組が瓦解して一年、おかげで江戸の治安がすっかり元通り、思慮分別なくなってよう。こういう事は遊女屋やっておかげでな、手に取るように判るのさ」
「本題に入れよ」
 焦れたように服部半蔵は急いた。庄司甚右衛門はそれを愉しんでいるかのように笑みを浮かべながら、湯飲みの酒を干して、ぽつりと
「改易されたキリシタン大名の家臣がかなり入り込んでいるな」
 服部半蔵は一瞬顔を強張らせた。キリシタン禁止令が幕府直轄領で発布されたのは岡本大八事件より間もなくのことだ。
「なんで江戸に集まるのかな」
「さあ、儂にもさっぱり……そうか、浅草か」
 いつぞや破却された聖堂を捨てたルイス・ソテロは現在浅草に留まり布教活動もせずに診療所を開いているという。表立ってミサをしていない以上、幕府は取り締まる事も出来ない。ましてや松平忠輝が庇護しているのだ。奉行所に出来ることはミサの現場を取り押さえてからの追放、それが叶わず歯噛みするのみであった。
 ソテロはフランシスコ会である。穏健な信徒であり無理に信者を誘致することを嫌っている。その従者であるペドロ・デ・ブルギーリョス修道士は医学に精通し、金品を取ることなく江戸の病人を診療している。最初は恐ろしがっていた民衆も、すぐに慣れ親しんで、この診療所は繁盛していた。
彼らの奉仕は善行の徳を積もうとする倭の僧侶のそれに酷似している。
 ここに集う病人はキリシタンばかりではない。時には普請場で傷ついた職人さえいる。南蛮医療は倭のそれより即効力があるから、評判は口伝てに広まった。だからここにいるのはキリスト教の導師と信者ではない。救済する医師と縋る患者だけだった。
 改易されたキリシタン大名家臣等がソテロたちを頼りに江戸に来ることは、ごく自然な話だ。が、それはそれでまた、大変危険なことであった。
ただでさえ江戸城下には浪人が溢れている。紛いなりにも去年までは浪人世界にも大鳥逸平という秩序があった。しかしいまはない。
まさに火薬庫に火種が転がるような状況だった。
「こうしてはいられぬな」
 呻くように服部半蔵は反芻した。
 庄司甚右衛門は遠くを見るような目をしながら
「徳川でも泰平はならぬかの?」
と訊ねた。
 服部半蔵は訝しげに庄司甚右衛門を見た。
「江戸の将軍に世が治められるか?駄目なら天下は再び乱れるのう」
「何がいいたい?」
「人心が大坂へ傾けば、徳川は人々に見捨てられる。今度は滅ぼされる側になるな。とんだ見当違いになっては困るでのん」
 服部半蔵はその言葉の内から、庄司甚右衛門の
(本気)
を感じ取った。しかしその言葉は、同時に服部一族への侮蔑にも通じた。服部一族では徳川を影から良き方へ導けないのか、と。しかし服部半蔵は憤慨する心を押さえ込んで、風魔一族の立場も同時に考えた。
 確かにそうだろう。
 泰平と引替えに忍びの秘術さえ捨てようとする彼らにしてみれば、それが幻となるならばいっそのこと、豊臣に荷担し
「もう一合戦」
と考えても当然だ。その秘術封印と引替えに望む泰平が叶わぬのなら、風魔一族は何も無理する必要はないのである。現に武田の旧忍ノ者は主家を失ってもなお牙を研いでいた。その多くは真田忍びとして、紀州九度山に幽閉されている真田幸村の目となり足となりて活躍している。だから泰平か否かは、風魔一族の棟梁として、行き先を占う大事であった。
「半蔵殿はまことに徳川で泰平を守れると確信してか」
 その言葉はまさしく試しそのものだ。
「この半蔵を舐めるものではないぞ」
 そのために死人となって生き長らえているのだと、服部半蔵は断言した。この言葉もまた、庄司甚右衛門にとっては予定調和だ。
「しかし江戸の将軍は阿呆だぞ。無能だ。家康が死んだら泰平は霧散するだろうよ」
「そうはさせぬ。将軍が駄目でも家老が手綱を締めれば、なんとでもなる。もしも儂が失望したなら、八郎殿を立てるよう闇から動く」
「上総介殿か。面白い御仁だな、あの人は。徳川の生まれをまったく意識していない。あんな人が天下を統べれば世の中も変わるかもな」
 庄司甚右衛門の口調が緩んだ。
 たぶん彼は、松平忠輝を知っているのだろう。だからその人柄をも知っているのだ。彼ならば泰平を任せてもいいという気もあるに違いない。だから口調の端端から棘のような緊張感は失せた。
「小太郎殿にひとつ聞きたいのだが」
 ふと、半蔵は思い出したかのように切り出した。
「稲荷信仰を奨励せよと大御所はいう。どう思うか?」
「稲荷?」
「なんで稲荷なのかのう」
 庄司甚右衛門は首を傾げた。その手に詳しい者がいるから、そのうち報せようと呟いた。風魔は箱根山に巣食ってきたから、権現山に代表されるように山岳信仰と密接な繋がりがある。その伝手から探ってくれるという。
「済まない」
 服部半蔵は頭を下げた。
「ははは、天下の服部半蔵ともあろう者が、そんな触れくらいで気を揉むのも、滑稽だな」
「年寄りだからさ」
「そうかい」
 含み笑いを浮かべながら、庄司甚右衛門は湯飲みを置いた。
「行くのか?」
「ああ、すっかり邪魔したよ」
 そして服部半蔵に背を向けながら
「半蔵殿が頑張るのならば、風魔も泰平に賭けよう。半蔵殿が死人として護る江戸を、民衆側から支えてやろうぞ」
 そういって笑った。軽く跳躍する所作をすると、もうそこには庄司甚右衛門の姿はなかった。さすがは風魔小太郎である。
「そうそう、上総介殿は近々伊達政宗と会うらしい。八王子の陣屋で、幕府に内緒でな。こんなこと、服部一族の棟梁ならとっくに承知だろ?」
 闇に庄司甚右衛門の声だけが響いた。
 服部半蔵は微動だにしなかった。この情報は全くの皆無だった。さすがは風魔よと、唾を飲み込んだ。
 彼らを敵に回すことがなくて
(本当によかった)
 背筋は冷や汗でぐっしょりだった。 
 
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