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いまだから云える「頼朝伝」

連載がはじまった日は、源頼朝が竜島へ上陸した日。
房日新聞は、ちゃんと狙ってくれたんです。

安房国に心情を置いた、頼朝の物語。

安房国とりわけ鋸南では、頼朝人気です。
いつもお世話になることの多い鋸南に恩返しを……「頼朝伝」はそういうつもりでした。連載とは別に、どんどん皆様の中に入っていこう。そういうことも考察していたんです。

あの日までは。
痛々しい道の駅保田小学校。でも、大塚校長は逆境にも負けないパワーで、逆に勇気を貰った。
館山なかぱんにも元気を貰った。

偉そうなこと云ってるけど、あんなことがあったって、房総の人は強かった。しかし、日常に戻るまで時間がかかりすぎた。その間、連絡が取れず心配だったし、新聞はとても小説なんぞに割く余裕はなかった。再開されるまで、正直落ち着かなかった。

頼忠寺本堂が修復できず解体された場に立った時は、胸が圧し潰されそうになった。
でも、所詮は余所者のセンチメンタルであって、
暮らしている人は「同情するなら金をくれ」くらいに一杯いっぱいだった筈。

「頼朝伝」が単行本になったとき、連載時に描き切れなかった後日譚を追記したのは、
安房に回帰できるオチ
を模索した果てのことでした。
その後、本にもならぬ外伝を房日で連載しましたが、伝えたいことが空回りしていた気がします。
それくらい、台風で己を見失っていたと思う。

「真潮の河」は、仕切り直しのつもり。

醍醐新兵衛と菱川師宣というWキャストにしたのも、鋸南へもう一度向き合いたい気持ちありきのこと。ただ、思いは押しつけたらアカンものです。皆様の声が聞こえないのは、ご当地でないが故のハンデ。
まだ連載内容は、長い序章の折り返し、本編前のこと。
「頼朝伝」で出来なかったことを出来たら、嬉しい。そのためにも皆様に寄り添えたらと思う、今日この頃です。

鋸南のユーザーさん。声を聴かせて下さい。