写真家 ナダール

写真家ナダールの本を読んだ。


ナダールの名前は知らなかったが、
本を開くと見慣れた肖像写真ばかり。

ベルリオーズ


ロッシーニ


詩人ボードレールは親友だった。


厳かな雰囲気の肖像写真。

ナダールの経歴は異色だった。
18歳の青年はジャーナリズムと文学に興味をもつ。伝手も財産もないが、パリのカルチェラタンに住み、バルザック、フロベール、ボードレールなど後の高名な文学者たちと文学や芸術の世界を夢見て作品をつくる。

まずは女性モード紙の記事を書いていた。交流する人々の影響をうけナダールの惹かれる世界は、画家や版画などにも広がる。精力的に小説を発表する。
交流する思想家との語らいからか 政治熱に感染するとプロシア官憲に逮捕される。

解放されてからナダールは 風刺画の世界に身を置く。新聞に戯画を発表する。
政治家の逸話や批評をちりばめた風刺画。

世の中の時流を冷静に見つめて政治的、社会的なネタを含んだ荒唐無稽な風刺漫画を発表した。

この頃、政治家の肖像画シリーズも形付けられてゆく。その総決算が
「パンテオン・ナダール」
250人の作家、ジャーナリストたちの顔が描きこまれている。


この頃、王侯貴族は お金を払って肖像画を描かせることが流行していた。そして家に飾る。
鏡をもつ家庭は限られていた。
写真で自分の顔を初めて知る人も多かった。
1850年代 肖像写真は爆発的に流行した。
その時流にのりナダールは 写真という複製技術の魅力に開眼していく。

ナダールの肖像写真は 被写体の精神性を表現したものとして芸術的価値を評価され あらゆる場で多用されている。光と影を生かした明暗効果はレンブラントさながらともいえよう。

その後、光を必要としていた写真を光のない地下で撮るようになる。

上流階級を対象にした肖像写真から、新たに犯罪者も棲みつくような地下の世界、死者を埋葬する地下墓地の姿をナダールは記録におさめてゆく。

そしてまた その後、ナダールは空中写真や気球へと情熱の矛先が変わっていった。

なんという変わり身の早さを思うも、また後世に残るものを作り上げる才能の広さに脱帽する。

親友ボードレールは
「… 抽象的なものを除いてナダールがあらゆることで見事に成功するのを見て、私は彼に嫉妬した。」

私も同感。


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