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下載清龍

作品名:さいせいりゅう
制作年:2022

下載清龍

 中国の仏教書『へきがんろく』にさいせいふうのことばがある。積み荷を降ろした船が清らかな風に吹かれるさまをいい、悟りの姿を現しているとされる。悟りと聞くと常人には達せない神秘領域のような印象があるが、決して神々しいものではない。下載のことばのように、不必要なものをすべて取り払った姿をいい、かんげんすれば元に戻った状態のことである。それを清風のすがすがしさにたとえて説いたのが下載清風の語であり、龍の軽やかな動きで表現したのがこの画である。船首のようなデザインなのはそのためだ。

 現代人はなにかとこうでいし、執着し、依存して生きている。恵みとして受け取る以上に、それを所有し決して失わまいと必死になる。それが物でも考えでも同じである。なにかに『とらわれている』状態は、不要な荷物を積んだ船と同じで、いつ沈むともわからない。身体が重い、気が重いとはまさに重量オーバーしたサインである。これしかない、こうしなくちゃいけない、これがないとなにもできない……そういった思い込みにとらわれて自ら重たくしているだけで、人はもともと純粋でとても軽い存在である。

 ただ、重いから不要だからといって手放すのがよいかといえば、そうとも限らない。船は人や物を運ぶためのうつわであり、乗組員や受取手のいる荷物がなければ、船は船としての仕事をまっとうできない。そうではなく、嵐で流されたら大変だからといかりを三つも四つも積んだり、以前に浸水した経験があったからと使い方のよくわからないしゅうぜん工具をとりあえず持っていったりといったような、不安や心配といった感情に『とらわれている』状態こそ不要な荷物に他ならない。さい以前に、はじめからとうさいしなければ船はいつでも清風の中を進むようにできているのだ。

 源龍図には類似の画は見当たらないが、『しんげんざっ』にはしんえんの奥の院にあるふすまついての記載があり、それによれば襖絵として青龍と呼ばれる画が描かれているそうだ。件の襖は非公開であり、奥の院自体悟ったものだけが踏み入れることを許されているため詳細はわからない。『りゅうげんせい』には【清龍、青緑を得て青龍となる】とあり、清龍はもともと東方の守護神としての力も備えていると解される。事実、以下に載せる青龍の画はこのさいせいりゅうをもとに改めて描かれたといういきさつがあり、そのあふれる神気のうちにどこか清々しさを感じるのはそういった理由によるものだろう。

青龍


委ねる芸術家


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