龍爪痕

2022年11月4日 19:32

作品名：龍りゅう爪そう痕こん
制作年：2021-2022

　爪つめ痕あとを残すとは、台風などの天災が及およぼした被害の程度を表現する際によく使われることばである。昨今では自らの存在を印象づける時などにも用いられ、時代とともにことばが変化している様子を伺うかがい知ることができる。
　龍の爪痕はしかし、そのどちらの意味も含んではいない。文字通りただの【つめあと】である。とはいえ、猫のように爪を研とぐために引っ掻かいたわけでも、ましてやイタズラの結果としてできた疵きずというわけでもない。もちろん理由があって残っている。いや、残しているのである。ただ、その理由を知るものは少なく、それゆえ爪痕の存在に気づくことも稀まれである。
　本作品は無数にある龍りゅう爪そう痕こんのうちのいくつかが、筆の感じるままに揮ふるった書として残されており、大変貴重なものとなっている。

　龍が描かれる時、時折その手に珠たまが握にぎられていることがある。その珠は仏教において意のままに願いを叶える霊れい験げんを表し、如にょ意い宝ほう珠じゅと呼ばれている。仏の教えの象徴であり、無限の価値があるとされる。如意宝珠と聞くと地じ蔵ぞう菩ぼ薩さつや如にょ意い輪りん観かん音のんの持物としての印象が強いが、実は私たちも同じ珠を持っている。そしてその珠を龍へと授さずけ、意のままに願望を叶えているのだ。龍がその珠を受けとった際に刻まれるつ﹅め﹅あ﹅と﹅こそ、龍りゅう爪そう痕こんと呼ばれる印しるしなのである。菩薩や観音のような覚かく者しゃでない私たちは、自身が持つ如意宝珠をうまく扱うことができない。そのため、龍の助けを借りて願望を実現させているのだ。よって、もし龍りゅう爪そう痕こんを確認できたならば、近々に願いが叶う合図と見てまず間違いない。

　龍りゅう爪そう痕こんの形状はさまざまで、願いの程度によってその表現も異なる。身に覚えのない傷や痣あざとして現れることもあれば、紙が破れたり皿が欠けたりすることもある。家電製品の故障も突然の転勤も同じである。願望の大きさによってそれ相応の爪痕が残ることもままあるため、そういう点では本来的な【爪痕を残す】ように見えることもあるだろう。けれどもそれは決して凶きょう兆ちょうではなく、むしろ吉きっ兆ちょうともいうべき事柄である。
　龍りゅう爪そう痕こんがさまざまな表現をとるように、我々のもつ宝珠の表現も無数に存在する。いわゆる言霊もそのひとつである。言霊によって願いが叶うというのは、ことばとして表現した珠たま＝霊たまを龍へ託たくすからである。またなにごとも愛をもって接すれば現実が変わって映るというのも、愛が宝珠であるからこそである。ハートのかたちを上下逆さまにすれば、それが宝珠の意デザ匠インとなっているのはそのためである。

　源龍図には『龍りゅう爪そう文もん珠じゅ』の作品がある。この作品は他に比べて特に難解だったようで『書しょ論ろん雑ざっ俎そ』や『画が龍りょう物もの語がたり』でも解釈に困っている。全体像として宝珠のようなかたちになっているという点ではどちらも共通しているが、なにが書かれているのかは判然としなかったようである。研究が進んだ現在では、龍りゅう爪そう書しょで書かれた合字であったという説が有力視されている。
　龍りゅう爪そう書しょは六朝時代に流行した雑体書のひとつで、王おう羲ぎ之しが好んで用いた書体とされる。龍が飛び交うような筆致は落書きのようにしか見えず、それが合字とあっては玄人目にも同じように映ったでことあろう。もしかすると龍りゅう爪そう痕こんのいくつかも、実は龍りゅう爪そう書しょ体たいの文字かもしれない。そういった解釈の可能性こそが、この作品の最大の魅力といえよう。

委ねる芸術家

https://www.instagram.com/sh.in3554/?hl=ja

Art shop

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか？