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心機龍
作品名:心機龍
制作年:2021
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こころの様子を描いた画。やや粗さの目立つ輪郭は、焦点がずれると全体像を見失ってしまうほど夢のように朧気で、未完成の印象さえ受ける。これは自らの意思が定まっていないことによるものといった未熟さの表現として解釈されがちだが、まったくの見当違いである。
もともとこころは常に細かく揺れ動いているものであり、決して定まることはない。不用意に乱れるのなら落ち着かせる必要もあろうが、時に大きく振れる必要のある場合もある。それは変容を迎える瞬間だ。さながら蛹が蝶へと生まれ変わるが如く、別の世界線へ移行するほど大きな出来事にはそれ相応の不調和を経験するのだ。その際にもっとも感じる不調和が、現実の希薄さだ。古い信念が外れかかっている様子といってもいいだろう。この龍はそういった変容を、こころを通して映した姿に他ならない。
源龍図にも同名の画があることが確認されているが、未詳。おそらく『南海州交龍雑俎』の【真心龍を見ること】をもとに描かれたもの解される。内容を要約し以下に引用する。
むかし岐州に龍を描く真という書家がいた。思いのままに揮毫しながら暮らしていたが、ある時ぱったり龍が描けなくなってしまった。思い悩んだ末に、描けなくて苦しむくらいならと道具ごと書の一切を竈に投げ込み火をつけてしまった。燃え盛る筆や紙をぼんやり見ていたら、たゆたう焔の中に龍が姿を現してこういった。
『おまえはうまくやろうとしている。相に囚われすぎている。こころの趣くままに揮ってみよ。それがおまえの唯一の仕事だ』
炎の中にいた龍はいままで描いてきたどんな龍よりも希薄で曖昧とした輪郭を伴っていたが、そのことばは心に迫るものがあった。もう一度筆を取ろうと決意した刹那、目が醒めた。部屋で寝ていたので慌てて竈に走ってみると、はたして火は消えていて道具も書もすっかり灰になってしまっていた。けれども決意した心に優るものはなく、竈の煤から墨を拵え、切った髪を束ねて筆とし、残っていた赤紙に龍を描いた。爾来、真はこころの趣くままに揮毫し龍とともに幸せに暮らしたという。
委ねる芸術家
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