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ゴジラ-1.0はキャッチコピーの生きて抗えを徹底した作品だった

ゴジラマイナスワン 全米一位おめでとうございます‼️
今更マイゴジの良かったとこを思い付く限りにダラダラと。ネタバレあります。観た人ようです。ついでにマイゴジ好きな人向けです。批判を期待した方はリターン推奨。褒めてしかないです。
Twitterにのせたのを保管用にこちらにも。
長いです。お時間ある方は良ければお付き合いどうぞ。

以下、映画の内容に触れているためネタバレ注意↓↓


この作品、繰り返し効果による1本の筋が綺麗に通った作品だと思いました。
ゴジラ込みで、キャッチコピーの「生きて、抗え。」が徹底している。
私は演劇論には疎いので、類似性や同じ構図による繰り返し表現をどう呼ぶのかわかりませんが、ストーリーの構成がとても上手いなと思います。

以下抜粋


●機雷の除去任務とゴジラの駆除作戦

機雷もゴジラも戦争やその延長によって出来た今現在進行形で被害を生む脅威。機雷除去も海神作戦も二艘ワンセットでロープを張り共同で行う作戦。連携しないと成り立たないものであり、また艇長や海神作戦説明会にいた元海軍兵の「誰かがやらなくてはいけない」という思いも同じ。
文明の発展により人の手で作られた機雷に自然素材の木造船を使うこと、人が産み出した核の実験により放射線を帯びたゴジラに技術と共に水圧でもって倒すという、人が作り出した物は自然の力を使って人が処理しようとする類似的な関係性があるように見えました。

●ゴジラの襲撃と熱線

当たり前だけど、ゴジラが暴れる&熱線を吐くはゴジラ映画の醍醐味!
今回はただ暴れているだけで終わるのではなく、ゴジラの暴挙に対しての人間のリアクションが多数あることがゴジラの怖さをより引き立てているなと。
高雄の登場で安堵した後すぐの熱線による木っ端微塵、典子が助かったと思ったら容赦なく吹き飛ばされるという、ゴジラ登場時全て希望と絶望の緩急差が大きい。
三度目の熱線は、観客にとっては高雄と銀座で既に二回絶望を感じさせているので、そこへ新たに作戦指揮を取る雪風艦長と乗組員にリアクションさせることでゴジラへの脅威を継続させつつも、野田の作戦通りで希望も持たせている。しかし四度目の熱線フラグで更に諦めに至る絶望を、そこから敷島の特攻に繋がるというジェットコースターみたいな感情への揺さぶり方が短時間で繰り返される。ゴジラに対しても俯瞰ではなく登場人物と同じ主観で観ることができて、とてつもなくゴジラという存在が恐かったです

●エキストラ

敷島が東京に帰ってきたのは終戦の4ヶ月後。空襲の被害は甚大でも、寒空の下で疎らながら鍋を直したり残骸から薪を作ったりと、生き残った人達の描写を挟んでいるので空襲直後のような混乱は収まって生活が垣間見れる。また闇市の混沌さ、時間経過と共に人が増えて、バイクに乗る浩一を見に来る子供達等主要人物以外の生活もちゃんと描かれているのが良かった。
どんな作品も主人公は派手さ地味さに拘わらず他とは違う存在感を出していると思いますが、違いを出しすぎると浮いてしまう時もあります。今作は一般人と云うには重たいものを背負っている敷島ですが、再起していくなかで主要人物との関わりだけでなく、こういった描写からトラウマを持つ敷島の地盤が市井の中にちゃんとあることが分かります。だからこそ、典子や明子と普通の幸せを手に入れて欲しいと思えました。
またゴジラ上陸後の破壊された荒れ地に群がる群衆、安否を心配する人達を撮る記者、行方不明の旦那の名前を書いた布を掲げて探す子供連れの女性、それに苛立ってどなり返す男性等、一瞬しかない場面でのエキストラ演出により、時代感や状況、被害の大きさ、深刻さが分かるのが辛かった。
放射線の測定している場面では、原爆の授業で習う際に資料でよく見る三輪車で測定していたのも、初代同様ゴジラが核や戦争のメタファーであると細部から読み取れて良かったです。

●艇長と野田のやりとり

この二人は敷島や水島と比べて年長であるので、例え感情的になってもどこか落ち着いたモノの見方をしているなと。
艇長は口は悪いが人情味があり台詞回しも昭和感をかなり出してきたキャラクターだけども、性格的に未熟さがある水島、重度のPTSDを抱えている敷島、温厚だけどどこか浮世離れしている雰囲気の野田の中にあっては、あえてしっかり言葉にして示す役割というのは結構大事だったと思います。
大破された米軍艦を見た時に野田に「お前だって何もわかってねーじゃねぇか」って言う場面や、海神作戦の説明中に一番最初に野田に疑義を挟むところ、その延長の居酒屋でのやりとり等、彼らが仲間の距離感で異議を挟むことで、観客の不安要素や欠点を代弁しつつ、作戦チーム全体での険悪さを出さずに作戦や行動に移すことが出来たのもテンポ良かったです。
彼がいるので立案者の野田だけが突っ走る事も孤立することも無くちゃんと馴染んでいる。その分主人公の敷島の行動が際立ち、橘を呼び戻す流れもセオリーながらも王道的で好きです。

ゴジラにおいては初代一作目から学者枠は無くてはならない存在で、重要な作戦やストーリーに関わることが多い。大体の場合作戦は決行されるけども、失敗や悪化する場合もある。今回野田も後半のキーマンとして作戦立案をしていくが、作戦自体はゴジラが強すぎて敷島が特攻しなければ失敗でした。
ただし、初めてゴジラと対峙した際に機雷を口の中で爆発させることを提言したのも野田。敷島がゴジラへの特攻を思い付く要因であるのに、野田本人は海神作戦では回りくどい程にゴジラとは距離をとった作戦を提言していました。例のスピーチを聞くと、敷島のような作戦を一度は考えたかもしれないけども、確実に犠牲が出る成功よりも例え何万分の1の確率でも死者が出ない方を選んだのかなと。海軍工廠で兵器開発をし、そのことで戦時を思うと眠れないことがあると言っていた彼の戦争への決別の付け方だったのではと感じました。

●水島の戦地非経験

視聴者層の大半は戦争を生で知らず、ドラマや映画等での活躍を見て、戦争それ自体ではないにしても軍艦や戦闘機やストーリーを通して戦時を一種の浪漫と感じている人もいると思う。私も軍艦好きですし。
水島は新生丸のなかで若手という以上に、戦地を知らないが故の憧れや好奇心、無邪気さを持っています。ある意味視聴者の立ち位置の彼がいることで、艇長の「戦争に行ってないってことは幸せなこと」であるという戦争経験者ならではのメッセージを伝えると同時に、戦地のトラウマを持たない未来を担う明るい世代としての役目があったのだろうなと。そんな世代だからこそ死ぬかもしれない任務に同行はさせないし、もしも自分達が帰れなくなった時を考えて後を任せようとしたのではないんじゃないかと思いました。

●典子と明子いう希望

敷島が生への罪悪感を背負っているなら、典子は生への肯定と希望を象徴するようなキャラクターだと思います。盗みから始まる登場も生きていく為であり、死に急ぎそうになる敷島を何度も留めて支えたりするのはもちろん、孤児の明子を育てるというモチベーションは典子や敷島だけでなく、子を失って荒んでいた澄子に立ち直らせる切欠になりました。隣近所皆で子育てをしていた時代、特に戦後はこういった代わりに育てることが救いになったりしたのでは。

機雷除去の仕事の話の際には典子が、ゴジラ襲撃の際には敷島が「死んではだめだ」と言いますが、目の前で自身の死を否定してくれる人がいるのは困難な時程心の助けになると。反面、大戸島に続き自分に関わったことで典子を失った敷島の絶望がどれ程だったか…

●生きることへの肯定

時系列順に
1 大戸島駐在の整備兵(斉藤)の特攻から逃げた敷島への理解
2 母の手紙
3 典子
4 海神作戦における野田
5 脱出装置の説明をする橘

今作主人公は本人含めて生き残ったことへの非難もありますが、それ以上に戦中でも戦後でも生きていても良い、生きていくべきというメッセージを送る人がいることで、この映画のテーマでもある「生きて、抗え。」をより強固にしているなと思います。

また橘は唯一戦時からの付き合いがあり、大戸島でのゴジラの惨劇を生きて共有する存在でもあるので、立ち位置としては敷島とは同じかなと。だからこそ最後に彼から生きろと言われたのは、敷島にとっては自身を許すための言葉になったんじゃないだろうか。脱出は自分でレバーを引かなくてはいかない以上、敷島がするかしないかの最後の決定を持っている。典子を失った絶望感、ゴジラへの復讐心だけならあのまま帰ってこなかったと思います。
あの射出席にはドイツ語で脱出席について記してあります。野田のスピーチ後にわざとこの席をアップにし橘が席を気にかけている描写があるのも、敷島の覚悟が決まる前の時点で、橘も死んでではなく生きてゴジラとそのバックにある戦争の蹴りをつけるつもりだったのではと思いました。


●典子とゴジラ

典子の生存確認とゴジラ細胞の再生で終わったのも全編通して生きる、生き残るとは?を考えさせる映画だった。ゴジラもまた、核により人類に生態を変えられた生物として生きて抗っており、典子もゴジラの因子によって何かを変えられた、その先にどうなるのかと気になる終わり方でした。

タイトルの意味は公式でアナウンスされている以外にも、タイトルコールをみていると初めて人類に負けたゴジラの黒星の意味にも見えるし、細胞の再生とメインテーマの効果で再戦があるように見えるのも面白かったです。


●総括


第二次世界大戦における日本、また戦後日本というのは、私達現代日本でも様々な見方や意見がある時代だと思います。その時代を戦争によるサバイバーズ・ギルトに悩まさる主人公を中心に、異質な脅威というだけではない、初代同様に戦争や核という背景を持ったあの時代特有の越えなくてはならない脅威としてゴジラが描かれていたのがとても良かったです。存在感がすごい…。
類似性や入れ子構造的な繰り返しにより、作中のメッセージが1本の流れとして完成しているのもゴジラを普段見ない層にも見易くてお勧め出来て嬉しかったです。
開始5分内で時代や主人公の立ち位置を提示しつつゴジラも出現し暴れるので、掴みのテンポが良く最後もゴジラの咆哮で締めるので最初から最後までゴジラを見たなっとなる映画でした。
音響もとても素晴らしいのでIMAX上映中はまた何度か行きたい作品でした。

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