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あと何回桜を一緒に見れるのかな

今年も桜の季節がやってきた。
桜はわかりやすく季節の訪れと時間の区切りを教えてくれる。
だからなのか自分が年を重ねる度に残された時間の指標にも感じるようになり、ただきれいに眺める対象でなくなってきた。
例えば、自分の親とあと何回一緒に桜を見に行けるのか、飼っている犬とあと何回一緒に桜の木の下を散歩することができるのか。いろいろと残り時間のカウントをしてしまう。
一見さびしく感じるこの思考は忙しない日常を生き、どうしようもなく時間に追われる僕たちにとって、かけがえないのない人と時間が永遠ではないという当たり前を教えてくれるとても大切な考えだと思う。

桜の季節、10代、20代のころは新しい出会いと別れの季節だった。
当たり前だ、進級や入学、卒業を繰り返すんだから。
僕はいま30代に差し掛からおうとしているが、この季節の意味が変わってきていることに気づいた。この時期よく電車や街で見かける気なれないスーツを着て緊張と希望を内に秘めている新社会人、入学式に向けて手をつなぎ優しい眼差しをしている親子。
このような風景を見て、当時の自分はどうだったかなと思う。
昔はただ「前に突き進む季節」だったが今は「立ち止まり後ろを振り返る季節」になったなと感じる。

とにかく強制的に自分を見つめなおすことができるこの季節が大好きだ。
街中に希望と緊張、優しい眼差しがあふれる状況で時には後ろを振り返り、そして前に広がる有限なものたちの存在を嚙み締めたい。



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