古本屋になりたい:32 「たけしの大英博物館見聞録」
2001年の秋の終わり、TBSで、作家の塩野七生とビートたけしが対談する番組が放送された。
塩野七生は「ローマ人の物語」を刊行中で、さらに年明けには文庫化も同時進行で始まるタイミングだったようだ。この記事を書くためにWikipediaで刊行年月を見て、そういうタイミングだなあと私が思っただけなのだが、ビートたけしとの対談は、やはりそれなりに話題になったのではないだろうか。
対談のテーマは、「イタリア 三つの都の物語」。
どの三都市だったのだろうか。多分、ローマと、フィレンツェと、ヴェネツィアか…。
番組の内容は忘れてしまった。
私が強烈に覚えているのは、二人が分かりあっていく様、特に塩野七生がビートたけしを受け入れていく様だ。
番組の冒頭、塩野七生の表情は硬かった。丁寧だけれど、どこか、なぜ私はこの人と対談することになったのか、と考えているように見えた。テレビ慣れしていないだけかもしれないし、観ているこちら側が余計な心配をしているだけだったかもしれない。
「ソナチネ」が1993年、「キッズリターン」が1996年。対談当時、すでに北野武は映画監督として名を成していた。
ビートたけしの芸人としてのデビューは、1972年。フライデー襲撃事件は1986年。バイク事故で瀕死の重傷を負ったのは、1994年のことだ。
塩野七生は、1970年からイタリアに在住している。日本との行き来はもちろんあっただろうが、芸能界、お笑いの世界には縁遠そうだ。もちろん、私の推測でしかないけれど。
ビートたけしの名は知っていたとしても、バラエティ番組を観ていそうでなく、北野武の名を聞いたことがあっても、映画を観たことがなさそうだった。
たけしの方は、いつも通りに見えた。「TVタックル」のたけしに近かった。
真面目とおふざけが入り混じって、でも基本的には真面目に話している感じ。塩野七生の前ではおふざけというよりは、ざっくばらんな部分を出していた感じだろうか。
時々テレビでも見る、知的な人なんだよなこの人、と否応なしにこちらが思わされる話し方。気後れせず質問をして、即座に消化し、しっかりお腹の中から次の言葉が出てくる。こもりがちでなめらかではないけれど、全部自分の言葉という感じがする話し方だ。
塩野七生と自分との間に壁があることは、たけし自身、当然感じていただろう。
私はと言えば、「ローマ人の物語」は読んだことがなく、ヴェネツィアを舞台にした「海の都の物語」を読んだことがあるだけだった。
馴染みという点で、私は塩野七生よりも、断然ビートたけしの側に立っていて、塩野七生がいつたけしの言葉に笑ってくれるか、ハラハラしながら二人のやりとりを見守った。
*
対談は、確か二日にわたって行われたのではなかっただろうか。
後半の様子を私の隣で観ていた母が、「この人、顔変わったな。」と言った。
塩野七生の表情が変わったことに、母も気づいたのだ。
たけしの言葉に頬を緩ませ、時には声をあげて笑っている。たけしからの問いに対するレスポンスも早い。
初日冒頭の強張った表情とは全く違っていた。
前半の途中からすでに、ちゃんと意思の疎通がスムーズになっているのは見て取れた。質問が的を射ていること、反応の確かなことなどに、もちろん塩野七生は早い段階で気づいたのだろう。
たけしの的確な質問や返しに、初めは驚きがあったのか、塩野七生の言葉は一瞬のためらいの後に発されるようだった。それが、対談の後半には、会話のテンポまで上がっているようで、私ももうハラハラしながら観る必要はなかった。
対談の具体的な内容は全く思い出せないのに、あの時の塩野七生の変化は良く覚えている。
異文化理解というには大袈裟すぎる。異文化というほど両者に隔たりはないはずなのだけれど、出会ってすぐの二人の間には、壁か、でなければ一跨ぎするには少し躊躇するような深めの溝があった。
何者かよく分からないと思っている相手と話すうちに、相手の知的な部分に触れ警戒が薄れていき、会話することにむしろ喜びが感じられる方に気持ちが変化する。
二人の関係性と、その変化を見せることまで制作側が想定していたならすごいことだ。
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私はこの場面を今も時々思い出すのだが、一度見たきりの映像なので、理想化してしまっているのかもしれない。元々和気藹々と始まった対談だったりして…と考えることもある。
それで、今一度あの番組を思い出したくて買ってみたのが「たけしの大英博物館見聞録」(新潮社 とんぼの本)だった。
塩野七生との対談だったのに、大英博物館であることに疑問を持たず、この本をあの番組の様子を書籍化したものだと思い込んで、ネットの古本屋で購入した。
ペラペラとページをめくってみて、あれ、塩野七生出て来ないな、と思うまで、自分の勘違いに気づかなかった。
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「たけしの大英博物館見聞録」は、ビートたけしが一人称「おいら」として大英博物館を探訪する、語りおろし風の一冊だ。
出版されたのは2002年だが、元は1997年、雑誌「SINRA」に連載された記事を、再編集・増補して書籍化したものだ。連載は、塩野七生との対談よりも前のことである。
塩野七生との対談で見せたような、知的好奇心を、大英博物館でもたけしは発動させている。
真面目な顔で展示物を観たり、歩き疲れてクタクタになっている写真も、いろいろ載っている。その真面目な顔つきは、テレビとは違う、映画の時ともやっぱり違う、ビートたけしの素に近い表情なのではないだろうか。
「ちょっくら大英に行ってくるよ」と始まる文章の全てが、ビートたけしが一から書いたものなのかどうか分からない。
展示物を観ながら感じたことをそのまま素直に書いて、時々マネージャーとのコミカルなやり取りを挟む。詳しい解説も、たけしの口調で語られる。
テレビで聞き慣れたハスキーな声が、脳内で語りかけるような作りだ。
奥付のページには、参考文献のほかに、「おいらが旅先に持っていった本」が載っている。
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残念ながら、塩野七生とビートたけしの対談は書籍化されていない。
なかなか読み応えのある本になっただろうけれど、今となっては難しいだろう。せめてまた映像を観たいなと思うにも、ちょっと時間が経ち過ぎてしまった。
「たけしの大英博物館見聞録」の方も、もう新刊では買えない。ちらっとAmazonで見たところ、古本で150円からとのこと。お買い得かもしれません。
(見出しの写真のイヨカンのカードは、「たけしの大英博物館見聞録」に、栞がわりに挟んだままになっていたもの。赤いネットの中にイヨカンと一緒に入っている、アレです)
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