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古本屋になりたい:10 眼鏡をかける

 小学4年生から眼鏡を掛けている。

 視力検査で目が悪くなっているのが分かり、初めは、眼科で目薬を処方してもらった。
 目薬なんかで、落ちた視力が回復するとは思えなくて、どうせ眼鏡をかけることになるのだろうなと諦めていた。
 目薬が滲みるようなら言ってくださいね、と言われていたのだが、目が滲みても言わなかった。ちゃんと言っていれば、視力は戻ったのかもしれないと思ったこともあったが、たぶんそんなことはないだろう。

 寝る直前まで本を読んでいて、ページに指を挟んだまま寝てしまう。父か母が、電気を消しに毎晩部屋を覗きに来てくれていたらしい。
 ベッドの中で、横向きやうつ伏せの姿勢で本を読むから、近くを見過ぎて目に負担がかかっていたのだろう。

 黒板を見るときだけ眼鏡を掛ければ良いと言われていたが、あっという間に視力は落ちていき、お風呂に入る時と寝る時以外は、ずっと眼鏡を掛けている生活になった。

 高校3年生の時に初めてコンタクトレンズを作ってもらった。母は、眼鏡に真面目な顔つきの、年頃の女子高生なのにいまいち垢抜けない娘が心配になったらしい。

 眼鏡をしていない自分の顔は、何か忘れているような、パーツが一つ足りないような気がして、落ち着かなかった。
 マンガのような、眼鏡を外したら美人みたいな意外性はなかったが、何となく、自分も現代を生きている女子高生だという気はした。

 その頃のコンタクトレンズは左右で数万円もして、眼鏡よりかなり高価だった。私立に通わせてもらっているのに、余計にお金が掛かって、何だか申し訳ないような気がした。

 まだソフトレンズはあまり普及していなかったと思う。
 私が使っていたのはハードレンズで、薄くて小さくて、いつも失くす心配をしていなければいけなかった。
 風が強い日など、目にゴミが入ると開けていられないくらい痛い。涙で異物を流そうとパチパチしていると、コンタクトレンズそのものが目から飛び出して、道端に落ちてしまう。

 そういえば、落としたコンタクトレンズを探している人を見ることは、ほとんど無くなった。
 道ゆく人がコンタクトレンズ探しに付き合って、一緒になって地面に這いつくばっている、コントのような光景も見なくなった。

 仕事で福島県にいた頃、私は慣れない寒さでベッドで眠れず、2年目の冬にはこたつで眠るようになっていた。
 ある日、部屋でコンタクトを外す時に右のレンズを取り落としてしまい、あちこち探したが出てこなかった。
 もらったばかりの少ないボーナスで新しくコンタクトレンズを買い直したのは、痛い出費だった。
 春になってこたつ布団の下から見つかった時には、コンタクトレンズはカラカラに乾いて一回り小さくなっていた。

 その後、コンタクトレンズは使い捨てで、ソフトタイプが主流になった。値段もかなり下がった。
 私は、ひと月で使い捨てるもの、2週間で使い捨てるものをしばらく使った後で、毎日使い捨てるものに落ち着いた。

 人前に立つ仕事だったので、眼鏡で堅苦しく見えないように、目の調子が悪い時以外はずっとコンタクトレンズを付けていたが、年を取るにつれて、だんだん長時間の装着がしんどくなっていった。
 眼科で相談すると、コンタクトレンズを付けている時間を10時間以内にした方が良いと言われた。

 私は、コンタクトレンズのストックを仕事場のロッカーに置いて、眼鏡で出勤し、制服に着替えてからコンタクトレンズを付けるようにした。
 仕事が終われば眼鏡に替えて帰宅するつもりだったが、しょっちゅう忘れて、結局コンタクトレンズのまま、目をしょぼしょぼさせて帰りの電車に乗った。

 今から数年前、私はコンタクトレンズそのものをやめてしまった。
 付け外しが面倒なのと、目の乾燥が良くならないこと、価格が下がったとはいえコストがかかること。
 おしゃれな眼鏡が、お手頃価格で手に入りやすくなったこと。
 理由は色々あるが、一番は、眼鏡を掛けている方が私の本当の姿なんじゃないかとずっと思っていたからだった。

 身ぎれいにして、人当たりが良く、いつも明るくしている。そういう仕事用の自分が嫌いなわけではなかった。偽っているというほど、本来の自分からかけ離れているわけでもない。

 ただ、お化粧をしてパリッとした制服を着ている自分は、ここ20年ほどの姿でしかない。
 コンタクトレンズをつけ出した高校の終わりの、身なりに気を使いはじめた私より、背中を丸めて本を読み、誰かに呼ばれても気づかないで没頭している私の方が、歴史が長いのだ。

 ファッションは個性を発揮するもの、自分らしさをアピールする手段だが、同時に、違う自分になるためのものでもある。
 柔らかいデリケートな自分を保護する、膜みたいなものとも言える。
 何を見せたいか、どう見られたいかで、身につけるものは変わってくる。

 眼鏡は私にとって、限りなく素顔に近いものであり、同時に外の人が見れるのはここまで、という砦でもある。

 初めて眼鏡を持って学校に行った日、私は、いつもと違う自分を見せないといけないと思うと憂鬱だった。
 眼鏡はまだ、常に掛けていないといけないわけではなかったが、黒板を見る時にさりげなく掛けて、あわよくば掛けていることに気づかれないうちに外す、というようなスマートなことはできそうになかった。

 私は、始業のチャイムが鳴ると眼鏡を掛けて、教室の前の扉を開けて入ってきた先生に、
「見て見て、私眼鏡になった。」
と言ってみた。
 それほど自己主張の強いタイプではなかったので、私は自分の言動に自分で驚いたが、先生は私を見ると、おっ、眼鏡美人やね!と言ってくれた。

 ピンクがかった金縁の、オシャレでもなんでもない昔ながらの眼鏡は、自分でも全然似合っていないと思っていたので、先生の言葉は嬉しかった。
 これがお世辞というものかと、大人になったような不思議な気持ちがしたほどだ。

 私が頭の中でイメージする私は、いつでも眼鏡を掛けている。
 その眼鏡は私にちゃんと似合っていて、理想の眼鏡に出会えたらしい私を、私は羨ましく思っている。

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