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古本屋になりたい:42 夏祭り②

 夏祭り①から続き。

 夏祭りの当日、朝から小学校に集まった各自治会の人たちは、照りつける日差しの中汗だくになりながらテントを組み立て、提灯を張り巡らし、手が空いた人は遅れているところを手伝うように先日の会議で言われていたにも関わらず、しんどすぎる!無理!自分のとこだけで精一杯!と、それでも手を抜かずに、早く終わらせたい一心で協力し合った。
 さすがにどの自治体も、比較的若い人たちを駆り出している。と言っても、四十代なら若い方、三十代はごくわずか、二十代はほとんどいないように見えた。
 何人か、同級生の見覚えのある顔があったが、わたしの顔は覚えていないんじゃないかしら、と思えて声はかけなかった。もちろんみんな四十代で、おっちゃんおばちゃんになっていた。当然わたしもその一人なのだ。

 運動場の真ん中にやぐらが建てられた。
 地面に杭を打ち込み竹を突っ立てて、提灯を巡らす。
 盆踊りは本当にひさしぶりだ。踊る時間はあるだろうか。
 各自治会と近くの子ども園などが白い屋根だけのテントを立てて、やぐらをぐるっと取り囲む。
 こっちのテントは人数の割に大きいから、あっちの自治会のと取り替えて!いやそれじゃなくて!みたいな感じであんまり意思の疎通がスムーズではないところも、まあ、町の人たちがやってるんだもんなと思うと腹は立たないものだ。スムーズじゃないなあ、とはしみじみ思うけれど。

 小刻みに休憩をとってスポーツドリンクを流し込みながら、お昼前には準備を終え、いったん解散。
 誰かが、スーパーでお弁当買って来てみんなでお昼食べようよ、と言ったような気がするが、帰りたい、涼しいところで休みたい、主婦はやることがある、と言った声に押されて、立ち消えになった。

 夕方四時に、運動場に再集合。
 集まった顔ぶれはお昼前までと違い、おばさま方が中心だった。
 みんなやけに大急ぎで、焼き鳥の準備を始める。主に男性陣が三台用意されたコンロで焼き鳥を焼き、焼き上がったものを、テントの女性陣がいくつものバットに流し込んだタレにつけて、どんどんパックに詰めていく。
 十本入りをいっぱい作っておこう、後よく売れるのは二本かな、四本と六本も作っておくか。
 まだ四時なのにどんどん作っていくのは、かなり売れるらしいのだ、我が自治会の焼き鳥は。
 用意した本数は、三千本。
 みんな、「紅の豚」の飛行機工場のお母さんたちみたいな働きぶりだった。

 開場の六時まで、とにかく焼き鳥をどんどん焼いて詰めていく。
 やぐらで招待された歌手がマイクチェックを始める。そういえば歌の時間があると聞いていた。オリジナルの歌と、流行歌と、流して歌ったり、本気で歌い上げたりして、喉とマイクの様子を見ている。

 とうとう六時、開場だ。
 その前から運動場には人がどんどん増えていて、この人たちはどこからやって来たのだろうとびっくりする。普段は本当に静かな町内なのだ。
 母から電話があり、弟家族がビンゴカード買いたいって言うてるけどまだある?と聞かれて、目の前の長い行列が、ビンゴカードを買うために並んでいる人たちだと気付いた。
 少し離れたところに住んでいる弟たちだが、毎年夏祭りにはやってくる。そういう、この町の住人の子どもたちなのだろうか、若い人がたくさん来ている。家族連れも、友だち同士も、カップルも。近くの他の町からもたくさん来ているのだろう。想像していたよりも何倍もの賑やかさだ。

 わたしは、子ども会の会長さんから、団地内の子どもたちに配るビンゴカードを預かっていたのだが、子どもたちの顔が五人ほどしか分からず途中でギブアップした。

 開場して間もなく、わたしたちのテントの前にも長い列ができた。
 みんなが大慌てで焼き鳥を準備したわけが、やっと分かった。売れると言っても、小さな町の一つの区域が出す焼き鳥よ?言うても知れてるでしょ、と思っていたわたしはかなり甘かった。
 お金お願い!と言われて、たまたまお釣りの小銭を入れた箱の近くに立っていたわたしが、なし崩しにお釣りを用意する係になり、そこから一度も離れることができなかったのだ。
 お客さんを相手に、何本買うかを聞いてお金を受け取るおばさまたちもほとんど休まず交代もせず働き続けていた。

 事前に積み上げていた十本パックはあっという間に無くなり、今焼いてまーす!十五分くらいかかりまーす!と叫んでも誰も列を離れない。
 開場前、焼き上がりの初めの一本を、中まで火が通っているか確かめるために食べさせてもらったが、確かに美味しかった。
 二本で百円、同じ団地内の人には十本まで交換できるチケットが配られているから、お金を出してもチケットで交換しても、お得なのは間違いない。加えてなかなか美味しいとなれば、この行列もうなずけた。
 弟たちも列に並んで、私があげたチケットで十本パックと交換して行った。ビンゴカードが買えたか、聞く暇もなかった。
 何度もお釣りの小銭が足りなくなり、焼き鳥をパックしたり焼いたりしている町内の人たちに、たまった千円札を小銭と交換してもらった。二本百円の焼き鳥を買うのに一万円札を出してくるヤツなんぞもいて、あんたなあ!と心の中で毒づきつつ、来年は三倍は百円玉を用意しとかないと、と心に決めた。

 何度か焼き上がり待ちの中断を繰り返し、どんどん焼いてどんどん売り、それでもまだまだ行列は短くならない。
 三千本のうち半分くらいは捌いたかな、というところで、遠くで雷がゴロゴロ鳴り出した。傾いてはいたがまだ陽がある、七時くらいだっただろうか。
 これはマズいかも、と思った途端、大粒の雨が降り出し、あっという間に土砂降りになった。並んでいた人たちは、用意の良い人は傘を差し、ほとんどの人は列を諦めて小学校の校舎や体育館の少し屋根があるところへ避難した。

 私たちはテントの下に集まり、肩を寄せ合って呆然と土砂降りの雨を眺めた。
 数分に一回、テントを押し上げて溜まった雨水を下に落とす。テントからどばどばと流れ落ちる雨水が体に跳ねて服がびしょ濡れになっても気にならないくらい、とにかくすごい雨量だ。
 ゲリラ豪雨は、二十分以上続いただろうか。

 乾いている時は風が吹くと土埃が舞う運動場だが、今は泥で田んぼのようになってしまった。
 それでも、雨が上がると瞬く間に焼き鳥を求める人たちの列は復活して、わたしたちは焼き鳥を焼き、詰め、焼き上がるのを待ち、またひっきりなしにお金をやり取りした。

 八時。
 歌手の歌の時間があったが、あまり誰も聞いていない。申し訳ない気もするが、仕方がない。若者が、歌手の名前を大声で連呼してはやし立てているが、応援というよりは茶々を入れているのだろう。

 八時半。
 お待ちかねの花火の時間だ。花火が始まりまーす、とアナウンスが入る。
 この時間は、売るのをやめて花火を見て良いと決まっているそうだ。売り子をしている町の人たちが花火を見られないのはおかしい、と不満の声が上がって、花火の時間は売り買い禁止、とルールができたらしい。
 列を作っている人たちもよく分かっているようで、並んだまま、花火が上がる方を見上げている。
 しかしなかなか一発目が上がらない。
 しばらくしてようやく打ち上がり、歓声が上がった。ぽんぽんと立て続けにいくつか上がる。
 再び間が空き、みんなの顔に疑問符が浮かぶ中、またぽんぽんと続けて上がった。
 わたしはこの花火を見るのは初めてだったが、どうもいつもと違ったらしい。位置が低かった、と後から聞いた。

 なんとなくテンポが悪いまま花火はしばらく続いて打ち上がったが、急に一つの花火が横っ飛びしてあらぬ方へ飛んで行き、しんとなった。
 突然、場内に「花火が危険な上がり方をしたので、今回はこれで終了とします」とアナウンスが流れた。
 予想外の大雨のせいで花火が濡れ、うまく打ち上がらなくなってしまったのだと言う。これも後から聞いた話だが、ちょうど消防がチェックに来ていて、運悪くというのかタイミング良くというのか、横っ飛びしてしまった花火を見て危険であると判断し即中止を求めたのだそうだ。

 三十回の記念の花火は消化不良に終わってしまったが、花火の後、また焼き鳥には行列ができた。
 九時過ぎ、三千本の在庫に終わりが見える頃、並んだのに買えない人がいては困るので、終了の宣言を早めにして、少し残った分は交換チケットを使いそびれた団地の人たちがもらえるようにした。
 お釣りを用意する以外にも、わたしの役割がここにもあった。販売や接客の仕事をして来たことが役に立ったかなと一人で小さく満足した。

 疲れ切った団地のみんなが残った焼き鳥をパクついたり自分たちのために買ったりしているところを、まだ買えますか?と遠慮がちに買いに来た人にも、すみません売り切れましたあ、と心を鬼にして帰ってもらった。

 お客さんが帰ってももてなす側は終わりではない。みんなでおおまかにテント内を片付けて、わたしはお釣りとして受け取ったお金をざっとまとめて自治会の仕事に慣れた人に託した。
 焼き鳥の横でビールや酎ハイも売っていたのだが、とにかく焼き鳥を売るのに必死でどれくらいの売れたのかも分からなかった。暑すぎたのと途中雨が降ったのとで、アルコールは思いの外売れなかったそうだ。

 テントやテーブルなどはそのまま運動場に置いておき、明日朝から片付ける。
 夏祭りは、明日、小学校の運動場をまっさらに戻すまで終わらないのだ。
 さすがに今日は疲れた。
 まだお酒を飲んだりしてうだうだおしゃべりしている人たちもいるけれど、わたしはこの辺でそろそろ上がらせてもらおう。
 テントの中を照らしていた明るすぎる白いライトを片付けたあと、提灯の灯りの暗闇に近い中でくつろいでいる人たちに、目だけで挨拶をして小学校を後にした。

 翌日の後片付けも、炎天下でとても大変だったが、そのことはもういいか。
 しんどかったけれど、倒れる人も出さず、楽しく元気に乗り切った。少しはわたしの顔も覚えてもらえたかもしれない。団地で暮らすには、やはり顔を知っていてもらう方が生活しやすい。

 後片付けの後、集会所で打ち上げがあったのだけれど、ちょっと昼寝しようとゆっくりして起きたらもう夕方で、出られなかった。
 まあ、おじさんたちが飲んでるだけだから、出席しなくてはというものではない。
 ところが、ぼんやりとこの二日間のことを思い返していて、どえらいことに気づいてしまった。

 盆踊りをしていない。

 誰も踊っていなかったし、踊りましょうの合図もなかった。そういえば場内には河内音頭や炭坑節や、江州音頭や地元の音頭がずっと流れていた。
 しかし誰も踊っていなかった。

 昔は、町内に踊りの先生がいて、盆踊りの会場に行けば、すでに浴衣を着た先生をはじめ女性たちが何人も輪を作って踊っていた。
 盆踊り大会の前には公民館で、子ども向けの踊りの練習もあった。ドラえもん音頭、アラレちゃん音頭。二十一世紀音頭というのもあったっけ。シャーララシャーララ…。
 夏祭りの中心は出店ではなくて盆踊りだった。

 わたしは焼き鳥を売るのに集中しすぎていて、夏祭りが盆踊り大会ではないことに、今の今まで気づかなかった。

 夏祭りから一週間後、お盆で実家に来ていた弟に、盆踊りってもう誰も踊ってないん?と聞いてみた。
 弟が言うには、これまでは歌手の歌と花火の間くらいに、踊りましょうみたいな声がかかっていたらしい。
 今年は雨と花火のイレギュラーで、盆踊りのタイミングがなくなってしまったようだ。
「でも、いつも、あんまり踊ってる人おらんよ。」とのことだった。

 終わるまで思い出さなかったくせに、踊らない夏祭りってなんなのよ!とわたしはちょっとぷりぷりしてしまった。
 来年はちゃんと踊る時間があればいいのだけど。
 そういえば、花火までに焼き鳥を売り切る、と誰かが理想のタイムスケジュールを話していたっけ。あれは、そうしないと踊れない、という意味だったのかもしれない。

 ちなみに、消化不良に終わった三十回記念の花火は、日を変えて開催されることになりそうだ。
 花火師たちは、同じ日に他の会場で同じ会社の別のグループが打ち上げを成功させており、ぜひリベンジしたいと意気込んでいるという。

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