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発達障害、不登校、、の次女のこと

次女のことを少し書こうと思います。

家族のプライベートをアレコレ書くのはいかがなものか。
とも思いますが、

次女のことを話すと
「うちの子もそうなの。」
と胸の内を話してくださる方もいるので、
こういう話を聞きたい方もいるのかな、と。

🌸  🌸  🌸

幼稚園は、
野外保育は楽しく通っていました。
年長で普通の保育園に移ってから、
「音がウルサイ」
「人がぶつかってくる」
「叩かれる」
と言うことが増えてきました。

子供の甲高い声は、
野外では森の木々が吸収してくれますが、
狭い園舎の中では響きます。
(私も、参観の時にうるさいと思いました)

多分、元気の余っている子たちがじゃれて触ってくるのを
「ぶつかる」
「叩かれる」
と感じていたのだと思います。

いわゆる「感覚過敏」なのでしょう。


小学校に入ってからも同じで、
さらに、
先生がみんなを注意する声が嫌だ、と訴えていました。

家でも、
長女がやりたい放題で、落ち着かなかったと思います。

そんなこんなでストレスがたまり、
自律神経が乱れていったのか、

3年生ころから手汗でノートが濡れたり、
耳の後ろが痛いと言ったり、
足が痛い、ムズムズする
と言うことが増えてきました。

身体がつらいときは、保健室などで休んだりして
様子を見ていましたが、
だんだん欠席が増えてきました。

ムズムズ症候群や線維筋痛症を疑って
あちこち受診しましたが、
「特に問題なし」
と言われるばかり。。。


長女が発達障害の診断を受け、一時支援を利用するようになったので、
次女も検査を受けると、発達障害の診断が出ました。

そこで、支援級に行くようになりましたが、
支援級もまぁまぁウルサイし、
「先生の言うことを聞かない人がいる」
というのが次女のストレスポイントでもあり、
5年のころからほとんど学校に行かなくなりました。
6年の2学期からは完全不登校になりました。

中学は支援級に在籍し、1か月毎日登校しましたが、
5月に入ってダウン。
その後、一時支援に通うことで通学とみなし、中学は卒業しました。


中学卒業後の進路については、一時支援の先生から
「早めにあちこち見学するとよい」と話を聞いていました。
進学希望だったので、
中2の夏休みには寮のある高校や、通信制高校などいくつか見学に行きました。

中3になると、進路を考えること自体がストレスで、
体調が悪くなる、機嫌が悪くなる、
一時支援にも行けなくなる・・・

元気でいるのが一番だから、無理に高校に行かなくてもいいよ。
と私が伝えても、
「高校くらい行っておかないと、将来が心配。」
と言う。
でも高校に行くことを考えると、不安で頭がいっぱいになって具合悪くなって・・・

という状態を半年。

通信制の高校に入る、やっぱり辞める・・・
と繰り返し、
中学卒業間近になって、ぎりぎり通信制高校に入学を決めました。



通信制、といっても4月はスクーリングがあり、
最初のころはほぼ毎日、
その後も5月中旬ころまで週に2,3日は通学しなければなりませんでした。

完璧主義者なので、
「嫌だいやだ」と言いながら通学し、
レポートも几帳面に提出し、、、

6月の蒸し暑いある日、呼吸が苦しくなってパニック発作。

その後も立て続けにパニックになり、
「パニックになるのでは」という不安でさらに気が狂ったようになり、、、

何度か救急車を呼んだりして、

気が狂って暴れて呼吸できなくなるので、
安定剤を注射したり、、、

そして、精神科に入院しました。



自傷行為が激しくて、
病室に置いてはいけないものがいろいろ。
シャーペン、スマホのコード、ビニル袋、ガラスのコップなどなど。

そのうち、シーツで首を絞めようとするので、
シーツも没収されてしまいました。

7月から12月まで、入退院を繰り返しました。
退院しても、
窓から飛び降りるのでは?包丁は大丈夫?
と目が離せず、
夫と交代で仕事のやりくりをし、
必ずどちらかが家にいるようにしました。

高校は休学。
12月に退院後は小康状態となり5年。
高校は戻ることなく中退しました。


長くなったので、
現在の状況等はまた次回に。

🚶‍♂️      🚶🚶‍♂️

紀江先生のセッションの感想、
聞きたいけど次女から話してくれるまで待とう。

表情はとても穏やかになった✨

雪が降っていたけれど、
次女も一緒にウォーキング♪

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