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多様な顔を持つ「東南アジア諸国」

シンガポールは、超現代「都市国家」です

私は、50年以上、頻繁にシンガポールに行ったり来たりしていますので、この国の変遷を見てきました。知人・友人もいますからね。

この国は、おおよそ10年毎にものすごい変化をしています。
私は、50年前の、「中国人の屋台」で雑多に食べるのが好きでした。
いまはスマートに整理されて「衛生的」ですが、大好きな臭いがありません。あの匂いが大好きでした・・・。

建国の指導者リー・クワン・ユー氏の時代は「ツバを吐き捨てると罰金だ」という風紀の取り締まりから始まって、現在は高層ビルが立ち並ぶ「超近代的な街」に変貌です。

最近は「人材を集め、人材を育成すること」に熱心な国に変わりました。
マレーシアから、切り捨てられた時代が嘘のようです。治安も安定していて住みやすいです。私の家族も住んでいました。
 
<チョット寄り道> 国際交流都市
シンガポール大学のプレゼンを聴いたことがありますが、THEの「世界ランキング」で上位なだけあって、イギリス・アメリカの大学と提携して高度の学術研修も盛んです。南洋理工大学も素晴らしい大学です。留学先に良いです。各分野の人材が豊富ですね。
 

マレーシアのゴム園

クアラルンプールからシンガポールまで、汽車に乗って旅をしました。
車窓から眺める田園風景は、全く「異国」です。土産物店によって、スズでできたカップを購入しました。冷やしてビールを飲むと「うまい」です。

途中で下車して「ゴム園」を案内してもらいました。インド系の人が
樹木に傷をつけて天然ゴムを採集していました。
ここは、華人とマレー人が開発した地域であることも実感します。

「天然ゴム」と「スズの採掘」というよりも、植民地として「プランテーション」農業で農産物を生産し、輸出する国であったこともわかります。
インドシナ半島は、日本とは違う「熱帯」・「亜熱帯の地域」であることを実感します。最近の日本のように「蒸し暑い」です。
 
<チョット寄り道> プランテーション農業
マレーシアは、イギリス植民地時代からの「天然ゴム」のプランテーション・錫の採掘などが行われていました。が、マハティール首相になってから「ワワサン2020」を掲げて経済改革を進めました。
日本を手本にして、工業化と経済成長を達成したことで、国内産業が活性しました。最近はITの研究・開発に優秀な人材が集まっています。が、現実は「貧富の差」が大きく課題です。

タイで活動する「アジア自立支援機構」の拡大を

タイのチュラロンコン大学に留学中の学生が、「アカ族」の自立支援をしているという情報をくれました。

タイの村落地域の貧困解消に取り組む一般社団法人「アジア自立支援機構」代表理事で、国連食糧農業機関(FAO)元アジア太平洋局長を支援するボランティアをしているという話です。

山岳少数民族アカ族のメーチャンタイ村は、約20年前から麻薬の原料となる「ケシの栽培」をやめ、「コーヒーの栽培」に取り組んできたそうです。2018年以降「メーチャンタイコーヒー」のブランド化を進め、ようやく農家の平均年収4年間で25%増えたそうです。

<チョット寄り道>  助っ人=傭兵
最近は、サッカーの選手が海外で活躍していますね。
サッカー選手は、助っ人としてスカウトされています。だから、プレーが評価されない場合は、簡単に解雇されますね。いわば「傭兵」ですから、ヨーロッパのチームは、中・南米、アフリカ等から優秀な能力を持っている選手を高給で確保しようと一所懸命です。近年のアラブの国も同じで̪すね。
これは、どの分野でも言えることです。

「世界の中の日本」を考えるとしたら、タイのアユタヤ「日本人町」を抜きにすることができません。これは、昔の日本人の「傭兵」の街です。

16世紀~17世紀にかけて、東南アジアの各地に、日本人の居留地ができたのです。戦国時代が終わり、戦闘がなくなり、「働き場所」を失った浪人たちが、ここのアユタヤ王朝の「傭兵」として生活していたのです。
鎖国になってから消滅したのです。
現在は廃墟になっていますが、タイを中心としたあちこちの日本人町に、2000~3000人以上が住んでいたといわれます。鎖国しなければ、もっともっと発展していたでしょうね。鎖国は、日本の発展を遅らせました。

ベトナムのホーチミン市は、昔のサイゴン

ある日私は、ベトナムから日本に帰る飛行機を待っていました・・・。
雨が降りしきる飛行場のベランダに立って
ここはサイゴン・‥ここはサイゴン・・・」と、耳の底で叫ぶものがあって、私の顔は、涙に濡れました・・・。

むかし・・・南ベトナムを脱出しようと、ヘリコプターにしがみついた政府の高官たちの姿が焼き付いていたからです。
ベトナム戦争です。
強烈な「歴史の一場面」が、私の脳裏から離れないのです。
サイゴン空港は、タンソンニヤット空港と改名し、その端にいたのです。

歴史は、他人事ではなく、自分の人生であることを、痛感した場面です。

<チョット寄り道>  ラオスの現状と課題

ラオスは唯一の内陸国です、50余りの部族に分かれ、最貧国のひとつです。
貧富の差も大きく、優秀な人間は海外に出てしまい、
首都(ヴィエンチャン)にある国立大学にすら、進学する学生も少ないと聞いています。

部族間の対立と抗争は、混乱を収めるどころか、周辺の各国の思惑に振り回されているのが現状のようです。隣国のミャンマーも同じですね。

タイからバスに乗って首都に行った学生が、あまりの格差に驚いていました
インフラが未整備で、焼畑農業と自然採取を「主な生業」とする山岳少数民族が暮らす地域が多いからでしょう。

ケシ栽培を撲滅するには、転作のための指導を強化しなければなりません。貧困を削減するためには、長い時間がかかりそうです。

日本は、ODAで、たくさんの支援をしてきましたが「見える支援」が多く、学校をつくる、人材を育成する、技術支援をすることが、二番手になってしまい、施設の老朽化に伴い「見えない支援」を突き付けられています。
  

日本の将来は、東南アジア諸国の発展に関わっている

いま世界は大混乱の中にあります。
私は、現代の「三国志」にも書きましたが、大きく言って「三つの覇権国家の対立と分断」は、20年以上続くでしょう。
この中にあって、日本の生きる道は、東南アジア諸国の発展と深くかかわっていると思います。当面することは、地域課題の解決策、具体的には「貧困撲滅」だ思います。簡単じゃありませんが・・・

この地域では、日本の発展が「モデルとされた時」がありましたが、いまやモデルである時代は終わりました。
共に生きる」ことが最善の時代です。

バングラディシュのノーベル平和賞をもらったムハマド・ユヌスさんにお会いしたことがあります。彼の思想と行動に、私は感銘を受けました。

また、カンボジアに3つの学校を造った友人が長野県にいます。こうした実践活動が期待されています。

如何に地域の発展に貢献することができるか
貧困をなくすためには「教育」が不可欠です。文盲をなくし、健康・衛生管理に意識を傾けることができるか。4月から、知人がインドへいく準備に入ります。
課題は山積していますが、努力しなければ解決されないです。

 


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