燃えつきた地図(1968)
燃えつきた地図(1968、勝プロダクション、118分)
●原作・脚本:安部公房
●監督:勅使河原宏
●出演:勝新太郎、市原悦子、大川修、渥美清、信欣三、吉田日出子、小笠原章二郎、渚まゆみ、中村玉緒、笠原玲子、土方弘、小山内淳、守田学、飛田喜佐夫、佐藤京一、藤山浩二、酒井修、田中春男、小松方正、三夏伸、梅津栄、西条美奈子、工藤明子、仲村隆
安部公房とカフカについて考えてみると『壁 ーS・カルマ氏の犯罪』が『変身』で、『砂の女』が『審判』だとしたら、『燃えつきた地図』は『城』だと思う。
堂々巡りの迷宮入り。蟻地獄の奥の底なし沼。ミイラ取りとのイタチごっこ。
主人公に勝新太郎はちょっとダンディすぎやしないかいと観る前は思ったけど、いざ始まると抑えた演技をしていてすごくしっくりきた。
勝プロダクション製作で、大映配給というデータもあるが、東宝マークからスタート。クレジットは全て英語だった。現在DVDボックスはプレミア化している。
タイトルが示すように小道具で地図が使われていることが多かった気がする。
小道具といえば失踪した根室の事務所にあった招き猫の灰皿(?)、次のシーンの町会議員の事務所にも招き猫があった。そしてダルマもあった。
次のシーンのラーメン屋の屋台にもまたダルマがあった。
その先はどうだったのか、もうあまり記憶がない。
鏡(あるいは鏡状のもの)を使うシーンも非常に多かった。
道路のカーブミラー。車のサイドミラー。走る車のホイール。
グラスに歪む渥美清の顔。
壁に飾られた鏡に映る、まるで画面の端に弾き飛ばされたような中村玉緒の顔。
ヌードスタジオのバーの鏡張りの壁。
ラストシーン、市原悦子が向かいの窓を見ていたと言う場面での部屋の鏡。
現実をそっくりそのまま映した世界が、時折くるりと反転して現実に顔を出す。
現実そっくりそのままの世界なのだから何も起こらなかったのと同じことだ。
音の出るおもちゃの銃で後ろから撃たれたのと同じこと。
現実そっくりそのままの世界なのだから何も起こらなかったのと同じことだ。
……でも、剥がす必要のないシールを剥がした後また丁寧に貼り直すような違和感。
その時一瞬垣間見えた奇妙な既視感。
依頼人である根室の妻を始め、その弟、根室の同僚、喫茶店の主人など、全く信用できない人物しか現れない。
いつまでたっても失踪した根室の元にはたどりつけない。
ヌードモデルでさえ、カツラを被って偽りの姿にふんしている。
そして主人公は再び根室の妻のいるアパートの部屋《ふりだし》へ舞い戻る。
まるで『砂の女』ならぬ『部屋の女』だ。
女が探しているのは本当に自分の夫なのか?
それとも「夫とそっくりそのままの誰か」なのか?
見つけた影がまるで自分そっくりだった時のような悪夢の予兆を感じさせながら、映画は終わりに近づいていく。
この時の市原悦子の演技は、小説の設定を超えていきそうな凄みがある。
ZAZEN BOYSの"YAKIIMO"という曲の中で『燃えつきた地図』が引用されていることが知られている。
「漂流している 秋から冬へさまよっている」という一節から始まる。
映画の終盤であった「何の音?」「石焼き芋」というシーンを見ながら漂流と失踪の違いはなんだろうと漠然と考えていた。
漂流は一人称であり、失踪は三人称。
漂流は進行形で、失踪は完了形。
漂流は喜劇名詞で、失踪は悲劇名詞。
そしてどちらも自動詞である。
すなわち、目的語《行き先》を持たない。
石焼き芋屋。
歌は聞こえるけど誰も姿を見ていない。
まるで失踪者にとっての実存が遺留品そのものであるみたいに。
行き先は誰も知らない。
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