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リアリティのダンス(2013🇨🇱)

原題: LA DANZA DE LA REALIDAD(2013、チリ=フランス、130分)
●監督:アレハンドロ・ホドロフスキー
●出演:ブロンティス・ホドロフスキー、パメラ・フローレス、イェレミアス・ハースコヴィッツ、クリストバル・ホドロフスキー、アダン・ホドロフスキー、アレハンドロ・ホドロフスキー

エル・トポ』、『ホーリー・マウンテン』以来(もちろんリアルタイムではないけど)、ホドロフスキー監督の映画をU-NEXTで観てみた。
(現在は配信停止になりましたが、また配信再開されるかもしれません)

ホドロフスキーのようなアングラ系の作品をこんなにも光のあたった高画質で観ることに違和感を覚えたが、CGも必要最低限のところでサラッと出てくる程度で、あとは異形の者たち、身障者たち、裸、小便、拷問など加工なし生身の衝撃映像・まさにリアリティのダンス状態。

ストーリーが先にあって映像があるのではなく、映像が先に来てあとからストーリーが付いたと言われても納得してしまう、「映画」という手法でないと絶対表現できないような凄味を感じる。

ホドロフスキーの少年時代を映像化している形式で、時折監督本人のナレーションも入るが、それに加えて現在の監督自身が少年アレハンドロの後ろに寄り添って当時の心情を語ったりしている。

父親ハイメはロシア系ユダヤ人の共産主義者で、息子に男らしさを押し付ける強権的な男。

母親サラはなぜか終始オペラ調で、歌いながら話している。単なるギャグなのか、物事を大げさにしがちな性格を誇張しているのか、とにかく歌いながら話すことには誰も触れない。

スラムの人々の集団、イワシの群れ、それに飛び掛かるカモメの群れ、そして鉱山事故で手足を失った身障者たちの群れ、犬の群れ。

あらゆる”集団”が映画を形作り、その中に魔女のような老婆、行者、サーカスの団員、売春婦、などなど多彩なキャラクターたちが毒々しく華を添える。

それから終盤に出てくるトラックに積まれた大量の椅子とか、『ホーリー・マウンテン』の大量のキリストのマネキンをなんとなく思い出したが、そういうのが好きなのかな?

映画の途中、アレハンドロはそのきれいな金髪を父親によって切られてしまう。

一方の父親も放浪の果てに髪は伸びて両手も動かなくなって別人のようになり、母親も中盤で自ら髪を切り、過去のホドロフスキー作品でもあったような”メタモルフォーゼ”のモチーフがここにも出現する。

映画中盤はハイメが独裁政権を敷く大統領を暗殺するため家族を残してひとり旅立ち、妻と息子と音信不通になってしまう。

その間、暗闇が怖いと泣くアレハンドロに対してお互い全裸になって墨を塗りたくって闇に溶け込ませることで逆に恐れをなくさせたり、ユダヤ人だと差別されて暴力を振るわれれば、「周りの人なんか気にしなくなる」と透明になる魔法をかけて、またまた自ら全裸になって酒場を練り歩いたりと、この母親もなかなかにぶっ飛んだ人である。

そしてハイメは助けを求めた神父からタランチュラを押し付けられたり女子高生たちからバナナを投げつけられるのを始め(多分この辺のシーンはギャグ)、いくつかの受難を受けながら流浪の果てにようやく家族のもとに帰還する。ここが映画のクライマックスとなる。

サラは両手が動かなくなってしまったハイメに、大統領とスターリンとハイメ自身の大きな肖像画を銃で撃たせることによって、治療を成功させている。

暗闇や差別を恐れたアレハンドロに対して行った手法にしてもハイメの疫病を”聖水”ぶっかけで治した(?本当に治ったのならただの奇跡だけど…)シーンにしてもそうだったけど、こういう行動科学的というか「痛いの痛いの飛んでけ」的な儀式的なものを通じて治癒する母親サラの、この家族にとっての重要性がより分かるシーンである。

そういう一種聖母性、神話性の属性を持っていることを表現するために、オペラ調という特徴づけをされているのかもしれない。

フェリーニのアマルコルド』とか寺山修司の『田園に死す』が好きな人にオススメ。

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