沓掛時次郎 遊侠一匹(1966)
沓掛時次郎 遊侠一匹(1966、東映、90分)
●原作:長谷川伸
●監督:加藤泰
●出演:中村錦之助、渥美清、弓恵子、三原葉子、高松錦之助、那須伸太郎、志賀勝、結城哲也、中村時之介、小田部通麿、池内淳子、中村信二郎、東千代之介、堀正夫、尾形伸之介、阿波地大輔、江木健二、岡崎二朗、村居京之輔、飯沼慧、中村芳子、明石潮、阿部九州男、清川虹子
主人公、沓掛時次郎の股旅ものということで、佐原~鴻巣・熊谷~高崎あたりが舞台となる。
ものすごいローアングルからの幕開け。
空と人物しか映ってなくてどこかが分からないレベル。
絡んできたヤクザ者を切り倒す場面での迸る鮮血ももの凄い。
ストーリー全体を通じて時次郎(中村錦之助)は人を斬ることへの抵抗感を強く持っており、冒頭のその殺しの場面もフラッシュバックしている。
前半は一宿一飯の義理からヤクザ同士の抗争に巻き込まれ、弟分の朝吉(渥美清)を失う話が描かれ、後半はまたしてもいざこざの中でやむを得ず斬ってしまった男の未亡人、おきぬ(池内淳子)との悲しい恋が描かれる。
女郎屋での騒ぎだったり、出入りの場面にしても基本的にはフィックスショットが徹底されている。
例えばカメラの左手前に人物が配置され、奥の方からもう一人の人物がやってきて…というような構図、あるいはローアングルから人物の顔をあおるというか見上げるようなショットが特徴的。
どちらも奥行き(z軸)や高さ(y軸)を表現し、映画をより空間的・立体的にしている。
渡し舟で子連れの女から柿をもらったシーンの直後では突如人工的なセットへ変わる。
さっきまで川沿い(利根川だろうか)の開放的な野外撮影をしていたのだから、その流れでそのままロケ撮影でも良かったというかむしろそっちのほうが繋がり的に自然に見えるはずなのに、まるでここが異界シーンというか現実離れした異空間のように見える。
そこはちょうどまさに「分かれ道まで一緒に行きましょう」という場面であって、「あるべきはずだったもう一つの未来」を意味している。
そして時次郎たちの運命を決した三蔵との一騎打ちの場面はここがハイライトと言わんばかりにフィックスでの長回しで二人の一挙手一投足をじっくりと捉える。
病に倒れたおきぬを静養させるため、図らずも疑似家庭生活のようなささやかな幸せな日々がしばらく続いたのち、その日々は突然終わりおきぬと太郎吉は姿を消す。
一年後。
宿のおかみに「友人の話」としてこれまでの経緯を告白する時次郎。
そして感動の再会への静かなカウントダウンとばかりにここでもフィックス長回しが発動。
「人間の心なんて奴あ、てめえでどうこうできるもんじゃねえ。勝手に動き出しやがった」という台詞がジーンと来る。
ここで聞こえてくるのがあの時のおきぬの唄声。
雪の晩の再会はこのようにして感動的に迎えられるが、映画はここからクライマックスへと突き進む。
労咳に臥せるおきぬのため、十両もする薬代のためにまたしてもやくざの決闘に単身加勢する時次郎。
まさに命の灯が消えかかるおきぬの顔と、斬って斬って斬りまくる時次郎の姿が交互に映される。
愛する一人の人の命を救うため、何の関りも恨みもない者たちを殺しまくる。
渡世人の宿命とはいえ悲しく切ないラストであった。
参考:東映時代劇YouTubeで大友啓史監督による解説動画↓
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