あなたがあなたである時、私は私になれる

進学や就職、転職や引越しなど新しい環境に入る時、新たな人間関係が生まれる。

言葉使いを気をつける。立ち居振る舞いに気を配る。自分に気を使い、周りにも気を使う。気を張りすぎて疲弊する。

初めて入る環境では誰もが一度は経験した事があるかもしれない。

次第に様子も分かり、さじ加減がわかってくる。このメンバーだとこんな感じ。こっちの人たちとではこんなポジションで。

いつも間にか体に染み付いていた、七変化のような心の早着替え。

気づけは、最も身近な親兄弟に対して一番分厚い鎧を身につけ関わっていたりもする。

色んな衣に早着替えをして生きていると誰といてもリラックス出来ない。1人でいても、どれが自分かわからなくなってくる。

どれも自分でどれも自分じゃない気がする。

子供の頃にできた友人は長く続いていたり楽だったりする。きっとケンカして泣いて泣かされ、意地悪して謝って許して、そんなことを繰り返しながら良い所も悪いところも含めて認め合ってるからだろう。

大人になるにつれれて、優劣や善悪でものを判断することが増えていく中で、自分の心の声にフタをすることを覚えていったのかもしれない。

この現実社会で生きていくためには必要なことだろう。だから、いつだって自分が今いる場所は、自分の心が着ている服と同じ服を着た人達だ。

私が自分の心にたくさんの服を着込んでいる場所では、周りも心に重ね着している人達だ。

私はずっと、もっと楽しく自由に生きたいと思っていた。こんな環境じゃなかったら、、。いつも周りのせいにしていた。
でも、一番分厚い服を身に纏っていたのは私だったのかもしれない。

これまで私は、生きづらさは感じていたものの、何も気付かずにずっと自分の本質と逆行して生きてきた。不幸ではなかったけど、楽しくない。何を達成しても満たされない。ずっと前から自分の心は気付いていたみたいだ。

今、たくさんの物を手放した事でとても身軽になった。本当に不要な物をたくさん持っていた。
心の声に従った選択をすることで、自分が楽しいと思える事が増えてきた。そこでは、かなり薄着になれる。少し変わった私のいる場所には、個性的な人が多くなった。

私が私らしくある時、周りも自分らしくいられるのかもしれない。

色んな服を着ていろんな場所を楽しむことも素敵だ。でも、一箇所くらいは私でいられる場所をつくっておけるといいと思う。
私が私である時、きっとまわりも素の姿でいられるのだろう。

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