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ブリジット・ジョーンズと、私と清美

 高校時代、友人と映画同好会みたいなものを作っていた。お互いに興味のある映画を探してきては映画館で鑑賞し、帰りに感想を語り合うというシンプルな会だった。良かったところや理解できなかったところを発表し合ったり、考察を述べたり、意見が合わない時には白熱して討論を繰り広げたりした。答えのない問題について、自分が持たぬ価値観を知ることが楽しかった。

 ある日の活動で、「ブリジット・ジョーンズの日記」という話題の恋愛映画を観に行くことになった。

 その映画を観たがったのは清美の方で、私はというと予告編をチラリと観た程度の情報しか持っていなかった。恋愛映画は嫌いではないが、個人的にはコメディよりシリアスなものの方が好きで、ハッピーエンドよりバッドエンドを好む傾向があるので、予告編からして興味は薄かった。とは言え、当時大人気だったキャメロンディアスやヒューグラントが出演するような王道のラブコメはほとんど鑑賞していたし、そもそも自分の知らない新たな世界を発見するための映画同好会だったので、人が提案してくれた映画こそ積極的に観に行くようにしていた。

 今日はどんな新しい価値観と出会えるのだろうとワクワクして臨んだが、上映が始まって少し経つと、私はあまりの退屈さに画面から目を逸らした。退屈と言うとやや語弊がある。私の価値観と、主人公ブリジットの価値観がまるで合わなかったのだ。

 映画の中でブリジットは、ダイエットをすると言いながら食生活には気を使わないし、日記を書くと言って三日坊主で終わってしまうし、男関係にだらしなくて好きな相手に自分の意見の一つも言えやしないし、何というかダメな女の典型だった。ダメな部分なんて誰にでもあるものが、ブリジットはとにかく、努力をしないで誰かが幸せにしてくれるのを待っているような人だった。少なくとも私の目にはそう映った。

 映画鑑賞後、この日は珍しく、時間の都合で座談会を催さなかった。途中から観る気を失った私にとっては、かえって都合が良かった。

 しかし事件は翌日学校で起こった。

 授業の合間の休憩時間に清美が目を輝かせながら私の元へやって来て、「昨日の映画めちゃくちゃ良かったね!」と声を掛けたのだ。良かったところなんか一つも見つけられなかった私は、清美の肯定的な映画感想に狼狽した。あの清美が、思慮深くて広い見識を持っていて勉強も部活も習い事も真面目に取り組みきちんと成果を上げているあの清美が、何故、あんな自堕落な生活を送るブリジットを支持しているのか訳が分からなかった。

 共感を求められても到底寄り添うことができなかったので、いつも通りに映画の感想と私見を述べた。申し訳ないけど、私はブリジットには何一つ共感できなかった。ダイエットにしろ日記をつけるにしろ何にせよ、自分で決めたなら達成するよう努力すべきだし、努力するつもりがないのなら端から口にするべきではない。あんな格好悪い人間には絶対になりたくない、と。

 反対意見を戦わせるのはいつものことで、マッチしない考え方を二つ合わせて、こねくり回して形を変えてみたり角度を変えて遠くから眺めてみたり、何かを足したり引いたりしてまたお互いに戻して持ち帰るのが醍醐味だった訳だが、この時清美は初めて、私の意見に何も言い返さなかった。ただショックを受け、まるで縄文土器で頭をガツンと殴られたような顔をしてフラフラと教室から出て行った。そして次の授業をすっぽかした。

 私は益々訳が分からなくて、清美にメールをしたり話し掛けたりしてみたが、清美は笑って「大丈夫だよ、でも今はブリジットの話はしたくないかな」と言うだけだった。

 それからも私と清美は変わらず映画を観に行って感想を語り合ったが、ブリジット・ジョーンズの日記に関する話題は禁句となりお互い触れることはなかった。
 何だか悪いことをしてしまったような罪悪感を抱えた私は、友人に相談してみたり映画を観た人に感想を聞いてみたりして、何故そんなことになってしまったのかの謎解きを始めた。そして驚きの事実に辿り着いた。世の中の大半の女性は、あのブリジットに共感をしているのだ。ダイエットをすると公言しながらついお菓子を食べてしまったり、勉強をすると言いながら何時間もゲームをしてしまったり、自分にも身に覚えのある現実を重ねて慰められていたのだ。「みんなそんなに強くないんだよ」と嗜められてようやく分かった。世間からズレていたのは私の方だった。

 意見や生き方に正解はない。私はこの件に関してたまたま少数派の意見を持っていた訳だが、その事実を知ったからと言って意見を返るつもりはさらさらない。今でもブリジットに共感することはできないし、多分それは今後も変わらないだろう。それでいい。

 この件で学んだのは、意見の伝え方を間違えると時に相手を酷く傷付けてしまうということ。特に真逆の意見を伝える時には、相手を思いやって言葉を選ぶ必要がある。

 私と清美は、今も時々映画を観に行っては近くのカフェで何時間も他愛ないおしゃべりをしている。

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