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「慣れ」って優しくて残酷。

慣れって、良くも悪くも作用するものなんだなって。
実感している今日この頃について。ひとりごと。


五月病になっていない私

いわゆる就職っていう
レールみたいなものに乗っからずに

自分の道を自分でつくることに決め、
4月から走り出した。

5月くらいには
自由な生活が怖くなるんだろうなぁ。

そう思っていたけれど、

幸い、今のところそのような怖さを感じていない。


普通から外れることが怖かったけど、


外れてみると、思ってたほどには怖くなくて、


きっと、私は、
この生活に少しずつ慣れていている。

レールに乗っからない生活に。


なんかホッとしている。

大丈夫な自分に。


でも一方で、
「慣れ」に対する怖さもある。

これだけ恐れていたものを

容易に受け入れることができるのに大きく作用した
『慣れ』は、

きっと

私が好きでないものまでも
私に慣れされる可能性があるのだから。


まぁつまり、ダラダラと自分の意思なく動いてたら、その形にいつのまにか慣れてしまうのだ。
そんなのやだなぁ。と。

心地よい自由の量

社会の枠組みに囚われることをやめて、
自由に生きたい!!

私の周りには、
そう思うお子さんがたくさん集まってくる。

私自身もそう。自由に生きたい。

けど、自由を進んでいくと、

逆のことも感じるようにもなるよね。と、
よくそんなお話にもなる。

自由すぎて怖い。

結局は、0か100か、なのではなくて、

自分が心地よいバランスで


自由の中にも、目的や目標やルールを。

自分の中につくってあげて、
自分で自分のバランスを保ってあげないと、

きっと、結果的に自分自身は
残念な気持ちになってしまう。

そう思うのだ。


私はどうありたいのか


要するに、自分がどうありたいか

何に慣れたいか

自由の中で、

私は考え続ける必要があるのだろう。


なんかすごく、わくわくする。


焦燥感に駆られることなく、
何かに縛られることもなく、


いろんなことを考えられる、この感じに。


何が言いたい?そう思われる文章かもしれない。けれど、

自分で書いていても、なんだか未完成で、
これ、人が読んで理解してもらえるんか?って
自分でも思う。

けれど、そんな未完成な考えこそ、
私にはフレッシュ=新鮮に感じて、

垂れ流しだからこそ、文字にする意味が
なにかあるんじゃないかって

そんなことを思いながら、
つらつらーと思いついた時に思いついたことを。

これからも書いていきます。


さて、最後まで読んでいただきありがとうございました!

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では。


どいあやみ。

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