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ギフテッドに学習支援は必要ない?

いつも読んでくださっている方々には「何をいまさら自己紹介を、、」
と思われるかもしれませんが、改めて。

私は、CO-Ringという団体にて活動を行っています。
その中でも現在はメンター家庭教師事業(ringOスクール)に力を入れてい
ます。

一緒に教科学習をしているお子さんもいれば。
哲学的な対話の時間を共有しているお子さんもいれば。
数字ゲームに取り組むお子さんもいれば。

ひとりひとり「自身が楽しいと思える学び」を追求してもらっています。

子どもたちと「学びとは何か」を考えることは
非常に面白い(interestingのほう)です。

情報はコチラ↓


しかし、活動を行う中で、
「ギフテッドなんだったらなんでもできるでしょ。」
「ギフテッドには支援なんて、ましては学習支援なんていらないでしょ。」
そんな声をしばしば耳にします。


そのような言葉を耳にしなければいけないのが、個人的にとても悲しい。

果たしてそう言い切ってしまっていいのでしょうか。

今回は『ギフテッドに学習支援は必要ない?』そんなテーマで
つらつらと書いてみようと思います。



めまぐるしく高まるギフテッドの認知度


近年、ギフテッドについての認知度は大きな高まりを見せています。

私が高校時代、ギフテッドについて知り、
ネット検索を始めたころとは大違い。


様々な意見が飛び交うようになり、議論も活発になってきました。

そんな状況が嬉しくもあり、悲しくもあり。複雑。


それはちがうでしょ!と声をあげたくなる意見
そういったものをみる機会も増えたから。


ギフテッドについての認知度が高まっているものの、
ギフテッド=「できる人。いいよね、結局」という
理解がされていることもまだまだ多く、
勝手に凹んでしまうこともしばしばです。



ギフテッドにも学習支援を。

そんな今だからこそ、主張します。

私は、ギフテッドのお子さんにも学習支援は重要だと考えます。
(”重要”という言葉を使います。”絶対必要”という意味ではありません。)

”ギフテッド”だから必要である/必要でない
は結局のところ一概に言えないものであると思うのです。

もちろん、
自分にどんな学びが必要で、楽しくて、
それを得るためには何をしていけばいいか

自分で得ることのできるお子さんもいらっしゃるでしょう。

けれど、そのようなお子さんばかりではない。
(ギフテッドも例外ではない)


知らない。選択肢がない。

そのような状況において、

”学び”を”支援する”こと。
それが非常に重要なのではないでしょうか。


ギフテッドかもしれない。
そう語られる人々も、人間です。

完璧なロボットではない。

右往左往しながら道を決めていく。
その道の中で時には立ち止まる。

ギフテッドとよばれる人々も
そんな人間のひとりだと思うのです。



支援=きっかけの種を提示し続けること


学習支援とは、きっかけを与えることではなく、
きっかけの種を提示すること。

私はそう考えています。

結局、成長や変化のきっかけは本人にしかつくっていけない。
進む道を最終的に選択するのは本人です。

けれど、きっかけの種を見つける作業は、
一人だとなかなかむずかしい。

実はその手前で、きっかけの種を提示し続けることは他者でもできるのではないでしょうか。
だからこそ、そういう部分での支援は重要だと思うのです。


学習という言葉を定義づけずにお話を進めてきましたが、

学習、学び、とは、
いわゆる教科学習的な側面だけではおさまらないものであると思います。

個々人があらたに気づき、吸収する。
それらすべてが学びと捉えられるべきであると考えます。



支援という言葉をみつめる。


改めて、

ギフテッド支援とは、きっかけの種を渡し続けることなんだと私は考えます。
(ギフテッドに限ったことではないと思いますが、)

というかそうありたい。そうあってほしい。


「支援」という言葉

それだけで非対称な関係を想像してしまって
ネガティブな印象を持つ方もいらっしゃるかと思いますが、

果たしてそこで諦めていいのでしょうか?


ギフテッドってこういう特性があるよね
こういう良さがあって、一方でこういう難しさがあるよね

そのような

ギフテッドはこうだから!
〇〇だから違う!

そのような極端な議論が生じることも悲しさとしてあります。


それは、ギフテッドに限らず、
様々な立場のマイノリティの人々が感じてきたことを
再生産しているだけ。

自分の特性、社会とのズレの中で
困ってきた部分/いまだに困っている部分はたくさんあります。

しかし、それを怒りに変えても何もいいことは起こらない気がしていて。
難しいことなんだけれども、
一呼吸おいて、ある意味ゆるやかに

現状の問題を捉え、向き合っていくことができればいいな。
そんな生き方がしたいなと思っています。

そして、そうやって自身の人生に向き合っていくお子さんたちの”支援”を
私は今後も続けていきたい。
今は前向きにそう思っています。

久々にしっかりじっくり文章を書いてみました。


私の文章はくねくねしていてわかりにくい。
自分でもそう思います。

私の脳内。このくらいカオス。
でも最近はそれすらもおもしろいと思えているからまぁいいかな。

そんな文章を最後まで読んでいただきありがとうございました。




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それでは。


どいあやみ。(あみ。)


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