そんな母を認めない! 序章
「言ってきます〜。」と、家を安心して出かけられたのはいつ頃までだろう?
僕、妻、息子二人とおふくろさんの五人家族だったけども、子供達を育て終わり成人する頃に息子二人は県外就職し生活をしていて、少しホットして暮している。
過ぎてしまえば子供達の世話を焼いたり塾の送り迎えと忙しく、子供達をうるさいと思っていた頃が一番幸せだったのかも知れない。
僕と佐奈恵とおふくろさんは、急に静かになり何か“ポッカリと穴”のあいたよう気持ちの中で暮らして気付いた。
すっかり落ち着いてしまい大人だけが暮らす日々を過ごしていたが、少しずつ何かが忍び来ていた。
それは日常をなんとなく暮らす中、見逃してしまうような事から始じまっていたのだ。
こんな他愛のない会話の中で…。
「この間、コーヒー買い忘れた。」と、おふくろが言ったが、いつものコーヒーはたくさん有る。
僕は、「おふくろ、たくさん有るよ。」
よく有る“勘違い"や“物忘れ”だと、思いたくて自分に言い聞かしてしまう。
自分の母親だから、そんな事は無いと、“心が拒絶”する。
“物忘れや勘違い”が頻繁に有るなら気付くのだけれども、そんなに毎日有る訳では無くて…。
少しずつその違和感が期間を縮め、月に一回から2週間に一回てな感じで物忘れが増えていったが、まだ僕の心が認めたくないと…。
親が“ボケてきている”認めたくないし、そんな姿を他人に見られたくもない。
そんなある日の晩、妻の佐奈恵が「ねー、お義母さん少し物忘れが多くなったんじゃない?」と言ったが、僕は「歳とってるから、物忘れが増えたんだろ!」と……。
僕はきっと気づきながら、見ないふりをしたかったんだ。
佐奈恵が「晴也、違うと思うの」と言う事に僕は何か“確信”に触れられた気がして、佐奈恵の話しを聞くと「昨日ね、私と話をしてる時に不思議そうな顔をして、まるで始めて会う人の様に挨拶をして、“お名前は、なんと言うのかしら?」って…!
佐奈恵は幼い頃に実母を亡くしていて、僕の母を自分の母親の様に慕ってくれていたので、随分とショックを受けていた…。
そんな事を何度か繰り返しながらも、僕と佐奈恵は“認めたくない心”と目の前の母の現実に揺れながら暮していた。
他人から見たら“ボケた老人に過ぎない”事だけれども、僕にとっては大切な“年老いた母親“なんだ。
親が子供の名前を忘れてしまう様な時に……、少なくとも僕は認めたくはなかった。
そんなに人の心は単純じゃなくて、割り切れない想いばかりを抱きながら活きている。
あの春の朝は雲一つない爽やかな日曜日だった。
僕と佐奈恵が起きて僕の携帯電話が震え出し、「はい。」と言う間もなく、「高城晴也さんの携帯で間違い有りませんか?」と言われ、「はい、そうでが!」と答えると、「〇〇県警の✕✕派出所の佐藤です。」と…。
母を“保護”したと言う内容の電話に、佐奈恵が母の部屋に見にいったが姿がない、携帯電話も無い…。
電話で話しを聞きながら、遂に’この日が訪れた”のかと内心想った。
着の身着のままで、✕✕派出所へ行くと電話をくれた佐藤さんが僕達の自動車を誘導してくれた。
佐藤さんが真っ青な顔をした僕と佐奈恵に「大丈夫、ケガは有りませんよ。」と優しい口調で話しくれた。
佐奈恵が義母に「おかあさん、ケガは無い?」と、話しかけると少し遠くを見るような目で「どちら様でしたかね?」と…。
派出所で書類を書いていた僕の手が震え止まらない。
佐藤さんに母を見つけた場所を聞くと、自宅から30キロメートルも離れた場所で“携帯電話”だけ摑んで歩いていたそうだ。
普通は歩けない距離だけども、その感覚の無さは認めたくは無いが、やはり”ボケ“によるものだ。
佐藤さんはなんとなく“影”があり、苦労人の感じを受けとれて、母の話を話しやすかった。
僕は「お母さん、家へ帰ろう。」と言うと……。
母が“暫く間”を置いて、「有難うございます。」
僕は「晴也だよ、また冗談ばかり言うんたから…」と……………………。
青空なのに僕と佐奈恵の前だけ雨が降りだした様で、雨の様な涙の止め方を知らずにいた…。
地方の派出所は稀に住宅兼用になっていて、そんな派出所の奥の方から“おばあちゃん”が呼ぶ声がした。
佐藤さんが「はーい、今いくよ。」
佐藤さんが「私の“おふくろ”でして、少し身体が悪くて“一緒に活きてますよ”…。」
泣いていた僕等夫婦の涙をまるで自動車のワイパーの様に涙を払い除けてくれた…。
母親“ボケ"てしまうと、何故か自分が幼い時の母親の姿を"まぼろし"の様に見てしまい重ね合わせる。
若き日の母の姿と想い出が、目の前にはない事を知りながら…!!
そうして、母にゆっくりと話す。
「ね〜母さん、僕の名前は晴也だよ!」と繰り返す……。
…………………… 続 ……………………
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