【小説】ミシュラン帝国 #2
これがフランスに向かう船か。
ミシュランの研修生が1,000人を超えるだけあって、近くで見るととても大きい。
ぼくは桜井さんから豪華客船に乗り込むと、受付と思われる人にチケットを要求された。
チケットを渡すとなにやらパソコンに数字を打ち込んている。
「柿本様この度はありがとうございます。柿本様の寝室は403号室です。船内のパンフレットもお渡ししておきますね」
「ありがとうございます」
受付を済ませると船内のロビーを見渡してみる。
高そうなソファーが至る所に設置してあり、研修生と思われるスーツに身を包んだ方たちがパンフレットやスマホを覗き込んでいる。
僕もどこかに腰を下ろして船内の施設を確認することにした。
この船は5階建てで上2階は研修生の寝室になっている。
その他にもレストランやバー、フィットネスジム、図書館、映画館までついている。最初は長い二ヶ月間になりそうだと思っていたが、案外暇を持て余すようなことはなさそうだ。
僕は一通り船内を確認して、自室である503号室に向かうことにした。キャリーバックの荷物も整理したい。
近くにあるエレベーターに乗り込み5階を押す。
まだ12時にもなっていない。
まだ船の出発時刻は午後1時。2時から大ホールで研修生を集めた社内説明会があると桜井さんが言っていた。
船が出発すれば後戻りはできない。つい最近まで料理人だった男が二ヶ月間の研修をうけてミシュラン調査員になる。
人生って何が起こるか本当にわからないな。
エレベーターから降りると503号室はすぐ近くにあった。渡された鍵を差し込み右に回すとガチャと鳴った。
部屋の中にはベットと冷蔵庫が置いてあった。まるでビジネスホテルのようだ。
シャワー室には浴槽がないのが残念だったが、パンフレットを見てみると温泉施設が3つぐらいあるので安心した。
初めての場所で緊張感が続いていたので、ベットに大の字で寝転んだ。
眠ろうと思えば眠れそうだ。
だが午後2時から社内説明会がある。今は12時10分。
アラームを13時30分にセットして僕は仮眠をとることにした。
~~~~~~~
ピピピピッピピピッ
自分のベット以外では寝れない体質なのだが案外眠り込んでいた。
僕はとりあえず顔を洗い、持ってきた水を一口飲んでホールに向かうことにした。
社内説明会とは言っていたが、一体どんなことを説明されるのだろうか。
おそらく二ヶ月間の研修スケジュールをざっと説明されるだろう。
ふと窓を覗くと船は出発していて、都内の明かりは米粒のように小さくなっていた。もう後戻りはできない。
急に日本が恋しくなった。
高校を卒業して実家を飛び出て一人暮らしを始めたときの感覚に似ている。
最初は寂しかったが、後に一人暮らしでないと味わえない楽しみがあったので寂しさは知らない内に消えていた。
桜井さんによると2ヶ月間の研修を受けた後も、フランスで研修を2年受けないといけないと言っていた。
ホールに向かっているとホールに向かっている研修生も増えてきた。
料理人やサービススタッフなのだろうか・・・。みんな桜井さんのようなミシュラン調査員にスカウトされたのだろう。
ホールに入ると椅子やテーブルはなく、みんな自由な場所で立ち尽くしている。
ステージにはマイクが用意されているので、そこでミシュランの役員が演説をするのだろう。
スーツを着た研修生が続々とホールに集まってくる。みんな不安と期待が入り混じったなんとも言えない表情をしている。
午後2時になったと同時に司会役が話し始めた。
『本日はお集まりいただきありがとうございます。・・・』
思っていた通り今日は2か月間の研修の全体像を説明されるらしい。
『それでは次にお手持ちのスマートフォンで「FLOW」というアプリをインストールしてください。このアプリから皆さんに研修スケジュールを配布します』
なるほど、ミシュランなだけはあるな。実に近未来的だ。
「FLOW」をインストールして自分のメールアドレスと携帯番号を打ち込んでアカウント登録を完了させた。
すると画面に自分の個人情報が顔写真付きで出てきた。
なんと出身の専門学校まで書いてある。周りも驚いているのかざわついている。
『インストールできましたら右上に通知マークがありますので、そこをタップしてください。ミシュランから研修スケジュールが送られているのを確認してください』
通知を見てみると研修スケジュールが届いていた。一番上には「あなたはDグループです」と書かれている。
『2か月間の研修はA~Dの4グループに別れてもらいます』
Dグループの研修内容を確認してみると、午前中は8時から研修がスタートするのだが12時までフィットネスと書いてある。
その後、昼休憩をはさみ英語の授業を2時間、料理の歴史を2時間と書いてある。
8~12 フィットネス
12~13 昼休憩
13~15 英語
15~17 料理の歴史
中々のハードスケジュールだ。午前中に4時間も運動をするのか。
だらしない体型は許されないのだろう。
ミシュランに入社するための基礎中の基礎を叩き込んでやるといった気概をそのスケジュールから感じ取れた。
『それでは明日から本格的に研修をしていくので今日はゆっくり体を休めてくださいね。それでは以上で終了とさせていただきます』
といって、最初の研修は終了した。
社会人になってから仕事ばっかで運動などろくにしていない。部屋に帰ったら軽くスクワットでもしようかと思いながら部屋に帰った。
部屋に着くとベットに腰を下ろし、スケジュールをもう一度確認してみる。
どうやら食事は研修を行っている時間以外で自由に済ましたらいいみたいで、就寝時間、起床時間も特に決まっていなかった。
とりあえず明日は6時に起きてレストランで食事をしてから、8時前に指定場所の第一体育館に向かうことにした。
パンフレットで船内の地図を見てみると、レストランが4箇所もあり、すべてがビュッフェ形式になっているようだった。
今日は朝食をコンビニですませたが昼は何も食べてない。とはいってもレストランで勤めているときは、毎日15時ぐらいにまかないを食べていたのでそこまで辛いわけではない。
「まだ16時か・・・。」
することもないので、船内を散策することにした。
ドアを出た同じタイミングで違う部屋から人が出てきた。
あちらも気づいてコクリと頭を下げてこちらに近寄ってきた。
「もしかして暇を持て余してます?」
僕よりも背が少し高いその男性は丁寧な口調で話しかけてきた。サービスマンだろうな。
「はい、食事をするにはまだ早いですし、船内でもぶらつこうかと・・・」
「あ~、一緒だ。僕もご一緒していいですか?」
「もちろん、大丈夫ですよ」
本当は1人で気楽に散策したかったが、慣れない土地で仲間がいると心強いということで承諾した。
「照川大輝といいます。都内のホテルでサービスをしていました」
やはりサービスマンだったか。
「僕は柿本智春です。都内のレストランで料理人をしています。年は24です」
「僕は今年28歳です。あ、でも同期ということで気は使わなくていいですよ」
「わかりました。でも会って初日なので敬語は使わせていただきます」
僕は年関係なく誰にでも敬語を使うことにしている。
「とりあえず散策してカフェでも行きませんか?」
照川さんが提案してくる。
「はい、そうしましょう」
~~~~~~~
船内を一通り歩きまわり、大人の雰囲気が漂うカフェに2人で入った。
「柿本さん、何飲まれます?」
照川さんに言われなくてもメニューを見て決めるつもりなのだが、職業病だろう。
「ホットコーヒーにします」
「じゃあホットコーヒー2つですね」
と言って、照川さんは手を挙げウェイターを呼んでコーヒー2つを注文した。
1分もしないうちにコーヒーが運ばれてきた。
お互いずるっと音を立てながら一口飲んだ。
「照川さんもミシュランの方にスカウトされたんですか?」
「あぁ、そうだよ。いつも通りホテルのフロントを歩き回っていたら声をかけられてね。その時は電話番号だけ渡された」
「そして後日その人から食事に誘われたんだ。そこでミシュランにスカウトされたよ」
どうやらミシュランはレストランで相手を口説くみたいだ。
「僕も似たような感じです。レストランで食事をしながらスカウトされました」
「まさか自分がミシュランに入ってお店を評価する側になるとはね」
どうやら照川さんは自分に酔っているようだった。
「たしかに、いろんなお店を食べ歩きできるなんて楽しみですね」
本当はシェフにミシュランの情報を流すつもりなのだが。
僕みたいにスパイとしてミシュランに潜り込んでいる輩はどのくらいいるのか、ふと疑問に思った。
ただ、それを他人に聞くと僕がスパイであることがミシュラン側に知られる可能性もある。
バレた際はどうなるのか。途中で太平洋に投げ捨てられるのだろうか。想像しただけで恐ろしい。
「そういえば照川さんは何グループですか?」
「僕はDグループだよ。柿本さんは?」
「あ、同じですね」
「午前中のフィットネスが山場だろうね」
「僕もそう思います」
照川さんもフィットネスに興味を持っていた。
「照川さんはホテルのサービスマンなので英語は得意なんじゃないですか?」
「あぁ、大学生のころから英語には触れているから問題ないと思うよ。仕事でも毎日使っているからね」
「僕もスカウトされてから英語を毎晩聞いているのですが、一項に聞き取れなくて焦っています」
「英語は毎日の積み重ねで上達するからね」
「ミシュランに入社したあと僕たちはどうなるんですかね。フランスに到着しらさらに研修が2年間あると聞いたんですが・・」
「僕もそう聞いているよ。その研修を受けた後、僕たちがどうなるのかはわからない。日本で働くことになるのか、それとも世界のどこかか・・」
「秘密が多い組織なので情報も最低限しか渡されないですね」
お互いコーヒーを飲みながら、これから自分がどうなるのかを不安に思いながらその日は解散することにした。
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