#手記文学
夕陽との往復書簡(創作)
→往路→
許された文明に常に認められるように、カヌーがゆるやかに流れていきます。カヌーとは、壊れかけたラジオから漏れるかすかな声に近い、声ではない声であり、あぶりだしでしか確認できない【滑り】を意味します。コウモリは私たちが予想するよりも善良な生きものだと信じます。
スローカーブを投げた後に、なんの変哲もないストレートを投げますが、それは緩急投法であり決して投手の手指の【滑り】ではありませんで
アオイの行く末とノートルダム大聖堂
誰もルールを知らない球技に勤しむ男女七人夏物語は、突然幕切れします。
駅の改札口で散開したあと、アオイ(もはや性別はありません)は自然にかえります。自然に。
それは何事もないかのように帰ったというよりもむしろ、大地に還ることにバトンを渡します。
テフロン加工を施された、ミシンのボディは飛べないロボットの歩行移動を連想させます。天秤にかけられたウマとロバが釣り合う場合のムードを化学工場で蒸留し、商
ピンクマカロンと濾過
息の荒いピンクマカロンを撫で回していたところまでは覚えているのですが……
彼は眠い目を擦りつつ喋り続けます。
もうずっと前に長靴を克服していたのでデリダの声を聴くことができます。
テッポウウオに選挙権を与えても、麻婆春雨を炒めようとはしません。それは旨味のあしたを決めるのがオセロの角に置かれた球体関節人形の吐息であることを巡るゴシップでした。
アップリケスタイルと呼ばれる決意は森のくまさんに