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アオイの行く末とノートルダム大聖堂

誰もルールを知らない球技に勤しむ男女七人夏物語は、突然幕切れします。
駅の改札口で散開したあと、アオイ(もはや性別はありません)は自然にかえります。自然に。
それは何事もないかのように帰ったというよりもむしろ、大地に還ることにバトンを渡します。

テフロン加工を施された、ミシンのボディは飛べないロボットの歩行移動を連想させます。天秤にかけられたウマとロバが釣り合う場合のムードを化学工場で蒸留し、商店街で振舞います。

クーベルタン氏は「酸化することに意義がある」そう言い残した上で仕上がりました。酸化には一定の酸素が必要になります。
錆びついているものはもうそれ以上錆びない、という歩き方を天日干しして、人口に膾炙します。ジャムに塩を加えてノートルダム大聖堂を描くのに似ていますね。

脱輪した哲学行きのバスは強引な走行で、それでも乗組員の大半はスマイルの黒帯でした。

燻製とは怒りと安らぎの総和であり、落ちなかったフォークボールに少し似ています。みすみすレフトスタンドへの片道切符を配るようなものです。

【落ちるもの】とは、局所閉鎖空間の上方から飛来するブロック状の回転性多角形であり、X軸方向で満足するとその堆積物が消失します。満足→消失。満足→消失。満足→消失…… これは痛快ですね。

さて、消失とは何ですか? 本当に消失したのですか?

※変性
ここで臨時ニュースをお伝えします。
アオイがかえってきました。
(臨時ニュース終わり)
※常性

消失とは「もう会えない」としてのさよならの変奏ではありません。いまこことしては消え失せたとしても、そこにある/あったという舞台上の演出に他なりません。
ですから、もうお分かりですね。アオイはかえってきています。

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