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2/17刊行『老いた殺し屋の祈り』訳者あとがき公開

先日、下のツイートでもお知らせしましたがまもなく(20日ではなく17日の模様です)僕の新しい訳書、マルコ・マルターニ作『老いた殺し屋の祈り』が出ます。

2021/02/04追記 版元ハーパーコリンズ・ジャパンのNoteで試し読みも始まりました! 2章まで読めるようです。よろしくお願いします!


版元の解説にはこうあります。

還暦をとうに過ぎながらも組織一の殺し屋として名を轟かすオルソ。ある日心臓発作に見舞われて生死の境を彷徨った彼は、40年前に生き別れた恋人と娘に一目会いたいと願うように。オルソは忠実に仕えてきた〈組織〉に楯突き、二人が暮らすというイタリア中部の小さな町へ向かうが、道中の列車内で男に襲われる。その男の連れにはどこか見覚えがあり──。イタリア映画界の旗手が放つ慟哭の傑作ノワール。 

ちなみに本書の評価を版元のハーパーコリンズ・ジャパンに求められてレジュメ(リポート)を製作した際、僕が書いた読後感はこんな感じでした。

読後感
 とてもおもしろかった。ページをめくる手が止まらないという感覚をリーディング作品では久しぶりに味わった。極上のノワール作品だ。原作は四百ページを超える長編だが、途中、中だるみするところもまったくなく、評者は実質、二日もかけずにひと息に読んだ。テレビドラマや映画の脚本も五十本以上手がけ、イタリアのテレビ業界で活躍しているベテランプロデューサー(50)が書いた初の小説というだけあって、今時のエンターテイメント作品の勘所をいい意味でつかんでいるのだろう。
 事実、章立ての短さも、回想シーンが少なくて時間の流れがあまり前後しないテンポの速いストーリー展開も、スピード感のある読書体験を可能にしており、作者が映画化を前提として書き進めたであろうことは容易に想像がつく。描写はとても視覚的だが、主人公の内面の動きも緻密に描かれており、まさに映画を見ているように主人公がリアルに読者に迫ってきて、〝悪人〟への不思議な感情移入を可能としている。
 (後略)

全文転載しようと思ったのですが、物語の胆となる部分があれこれあったので略します。訳したい気分ばりばりの読後感ですね。これでは冷静な評価とは言えません(笑)

でも、とにかく面白いです。ではお約束通り、訳者後書きをお届けします。校正前の原稿なのでもしかすると最終版とは細部が異なるかもしれません。あしからず。

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訳者あとがき

 本書はイタリア人作家マルコ・マルターニのCome un padre(二〇一九年三月)の邦訳である。
 主人公はイタリア生まれの寡黙な殺し屋、オルソ。年齢は六十過ぎ、身長一九五センチ、独身、好きなものは恋愛小説と大麻、苦手なものはスイーツとうるさいガキ。服の趣味にはうるさい、苦味走ったいい男だ。
 フランスはマルセイユに拠点を置く国際犯罪組織のボスの右腕として、オルソはほぼ半世紀にわたり殺戮を繰り返し、不死身の殺し屋と恐れられてきた。物語はそんな彼が病院のベッドで目を覚ますところから始まる。
 不意の心臓発作を起こして緊急のバイパス手術を受け、なんとか一命をとりとめたオルソだったが、医師には絶対安静を命じられ、病床でこれまでの人生を振り返る。
 今でこそ冷酷非情なプロの殺し屋として有名なオルソにも、実は過去にたったひとり、心から愛した女性がいた。およそ四十年前、若かりしころに生き別れになったアマルだ。ふたりのあいだには当時一歳になったばかりのグレタという娘もいた。
 まだ二十四歳だったオルソは、天使のようなアマルと出会い、彼女と人生をやり直したくなった。だから〈組織〉を捨て、愛の逃避行に出た。しばらくは幸せに暮らしていたが、やがてボスに潜伏先がばれ、アマルと娘の命が惜しければ、ふたりのことは忘れて〈組織〉に戻れという脅しに屈する。それ以来、彼はアマルたちの安全を思えばこそ、ボスの前ではひたすら忠実に振る舞い、長年、感情を持たぬ殺人マシンとして生きてきた。でも心の中では片時もふたりのことを忘れたことがなかった。
 死ぬ前にひと目でいいからアマルとグレタに会いたい——狂おしいほどの思いにオルソはふたたびボスを裏切り、ひとりイタリアへと旅立つ。だがその行く手には数々の敵と新たな愛が待っていた……『老いた殺し屋の祈り』はそんな、人生も晩年にさしかかったひとりの不器用な男の、魂の再生を描いた物語だ。

 作者マルコ・マルターニは一九六八年ウンブリア州スポーレート生まれ。今日まで五十本を超えるテレビドラマや映画(『マフィアは夏にしか殺らない』『神様の思し召し』等)の脚本を手がけてきたベテランの脚本家だが、小説作品は本作が初めてだ。
 若いころからチャンドラー、エルロイ、ランズデールといった英米作家の犯罪小説を愛読してきたマルターニは、「自分が読んでみたいと思う、読者が夢中になれる小説を書きたかった」とインタビューで告白している。本作が多くの書評記事で〝イタリア人の作品では珍しくアクション要素の強い、チャンドラー的なノワール〟として高く評価されていることを見るに、その試みは成功したと言えよう。
 ちなみに原題Come un padreは「ひとりの父として」という意味だ。
 父として愛ゆえに家族を捨て、父として家族を守るために罪を重ね、そして死の淵からの生還を機に、また父として愛する者たちを探し求め、封印してきた感情を取り戻していくオルソ。この物語には彼に限らず、ひとりの親として善もなせば悪もなす人物が幾人も登場するが、まさにそうした光と陰の両面を備えるがゆえに、彼らの姿はリアルな人間として読者の眼前に活き活きと浮かび上がってくる。脚本家として三十年以上、多くの人物を描いてきたマルターニならではの筆力に違いない。
 なお本作の映画化のための権利は、『アベンジャーズ/エンドゲーム』を監督したルッソ兄弟が立ち上げた映画制作会社AGBOによって早くも発刊前から購入されている。
 常にチームワークの脚本作りとは異なり、孤独な執筆作業を作者はとても楽しんだという。『オルソもの』の第二作を求める声に対しては「安易なシリーズ化は避けたい」として明確な答えは示していないが、小説はこれからも書き続けると明言している。〝小説家〟マルターニの今後の活躍に期待したい。

二〇二一年一月
モントットーネ村にて

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なお、以下のリンクから本作(以外でもいいみたいですが)をご購入いただくと、貧しい訳者のふところにコーヒー一杯分ほどのお小遣いが転がり込むようです。ちなみに「Amazon.co.jpで購入する」とありますが、リンクを踏んでも商品ページに飛ぶだけですのでご安心ください。Grazie mille!



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