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20200521 鳥とSNSと、それから私

時刻は7時を回っている。
今日は、在宅勤務日。
たっぷりと7時間半の睡眠。

10時前に学校へ。
やけに教職員が多い気がする。
私のように、本来「在宅勤務」の人もいる。
密を好んで来ているのか?
まさか、プーさんではあるまいし…。
※それは蜜。

来ないと明日の準備が間に合わない。
課題の起案は済んでいるが、印刷を終えていない。
印刷のためだけに出勤…という状況。
仕方ない。

印刷のついでに、他にも仕事をいくつか。
教室でできることは教室で。

退勤。
自転車を漕ぐ。

耳には白いイヤホン。
口には白いマスク。
左腿には白い鳥の糞。

…やられたぜ。
いつ襲撃されたかは記憶に無い。
ただ、ついさっきまで私の左手がイヤホンから流れる音楽に乗ってリズムを刻んでいたのは覚えている。
たしか、太腿をドラム代わりにしていた。

左手に目をやる。
白いモノが付着。
間違いない、手のひらにも…感染。

こうなると、左ハンドルは握れない。
グリップまで糞まみれになるのは御免だ。
後輪のブレーキが操作できない状態。
安全運転を心がける。

帰宅してから、いつも以上に入念に手を洗う。
身に着けていたモノも全て脱ぎ去る。

運がいいのか悪いのか。
中学校の入学時。
その帰り道にて、初めて袖を通した学ランの肩に空飛ぶ鳥から予期せぬ〈落とし物〉をもらったことを思い出す。

あれから20年以上。

拝啓 12の僕へ…
大人になった俺も、変わらない人生を過ごしているよ。


ちょっとしたことからSNSについて思うところあり。

「残業こそ素晴らしい」という文化。
「残業」という姿は、目に見える。
頑張っている感が伝わるという側面がある。

でも、残業せずに定時で帰れる人こそ、本当は「デキる人」だったりもする。
一概には言えないが。

何が言いたいかというと、表立って目に見えることが賞賛されて、目に見えにくいことは賞賛されない。
でも、これは至極自然なこと。
目に見えてこないんだから、仕方がない。
相手に伝わらなければ、何をやっても「無」と同じ。

SNSもそれに似ているわけだ。
SNSとは、そもそもがそういう場。
表立っている人たちの集まり。
そこにだけスポットが当てられるのは当然のこと。

光っている部分だけを見ようとする文化。
でも、影ながら光をもっている人だって存在する。
そういうところにも目を向けられるような人でありたい。
人として。
そして教師として。

そんなことを思う。

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