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多島斗志之『不思議島』後編~大島・大三島|佳多山大地・名作ミステリーの舞台を訪ねて【第6回】

文・撮影=佳多山大地

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大山祇神社の御田植祭の神事が始まる。御植祭は毎年、旧暦の5月5日に開催。

 取材二日目も上天気。ビジネスホテルで朝食を済ますと、午前八時から受付が始まる今治いまばり駅前サイクリングターミナルに向かう。朝一番からの利用は、事前に電話で予約済みである。GIANTジャイアントのクロスバイク[写真①]を一日二千円でレンタルし、いざ『不思議島』の舞台を自転車で巡る旅に出発だ。

写真① 自転車の色は、向こう任せのグリーン。併せて自転車用ヘルメットも貸してくれる。

 サイクリストならもちろんご存じ、広島の尾道おのみちと愛媛の今治を結ぶ西瀬戸自動車道(しまなみ海道)には、併設された長距離サイクリングルートがある。車道の左側に青色の導線ブルーラインが引かれていて、それに沿って進めば島から島へ、あやまたず渡っていくことができるのだ。本線のほかにヒルクライムや島の外周コースなどもあるので、そこは各人の目的次第である。

 朝の今治の市街地を抜けて、まずは長い長い来島くるしま海峡かいきょう大橋おおはしを走行する。自転車に乗るのに自転車用ヘルメットをかぶるのは初めての経験だが、見た目よりも軽く日射しはしっかりさえぎってくれるうえ風通しはいい。家に帰ったら、夏の帽子がわりに一個買ってもいいなと思う。普段と違う自転車に早くも乗り慣れると、大島火内鼻おおしまのひないばなに立つ白い灯台を左手眼下に見下ろしながら、海峡大橋を渡りきった。

 下田水の港の横に、火内鼻と呼ばれるちいさな岬がある。
 ゆり子が車で登ったのは、そこだった。握りこぶしを突き出したような形をしている。車を置き、草を踏んで先端まで歩くと、白い小型の無人灯台がある。灯台のそばからは眼下に来島海峡が一望できた。 里見は、低い小ぶりな松の幹に手をそえて海を見おろした。(中略)「なるほど、こうして眺めるとよく判る。砦の島が改札ゲートみたいに並んでいる。これじゃあ霧の夜ででもなけりゃ、村上海賊の目を盗んでここを通り抜けることなんてできるわけがない」

5節

 海峡大橋から大島に下りる歩行者・自転車道の途中、くるりと岬を回る手前に自動車がすれ違うための待避所のような膨らみスペースがあった。そこのチェーン柵に一ヶ所切れ目があり、向こうに道が続いているかに見えなくもない。自転車から降りて、ジーパンの折り上げていたすそを元に戻す。くだんの切れ目の先を藪漕やぶこぎしながらずるずる下ると、お目当ての灯台の色がふいに視界にちらついた。ほとんど勘だけを頼りに、ゆり里見さとみが訪れた「白い小型の無人灯台」に辿り着けたのだ。松の枝ぶりが邪魔っけだけれど、確かにここからなら来島海峡を一目いちもくすることができる[写真②]。

写真② 火内鼻の灯台の脇から来島海峡を眺める。 灯台の周囲は、歩き回れる余地もない。

 ゆり子が里見をここに連れてきたとき、来島海峡大橋は架かっていなかった。島々が飛び石のごとく並んでいる様子は、もっと見えやすかったはずである。まだ交際前の二人が「草を踏んできた」という道は、探しても見当たらない。海峡大橋ができたために、かえってここは気軽に行けるデートスポットではなくなったんだろう。自分が降りてきた道らしからぬ道は、灯台を管理する人しか使ってなさそうだ。

 朝から冒険まがいの寄り道だった。再びジーパンの裾を折り上げて自転車にまたがり、下田水しただみ港まで下る。今治港と下田水港を往来していたフェリー航路は今はく、桟橋に停泊していたのは観光客のための急流観潮船だけ。作中で下田水港のそばにあると書かれていた、ゆり子と里見が食事をしたレストランが入る「島で唯一の洋風ホテル」は、なんと介護付き有料老人ホームに居抜きされていて、時代の移ろいを感じた。

 それにしても大島は、その名のとおり大きい。島をほぼ縦断するサイクリングルートは、かなり起伏があって大変だ。大島北ICを尻目に宮窪みやくぼ地区を走行中、右手に明らかに学校とおぼしき建物が見えた。近づくと、ヒロインのゆり子が教壇に立っていた宮窪中学校である[写真③]。が、正門はとざされ、人気ひとけはまるでない。その場でスマホ検索してみると、宮窪中学校は二〇一五年に閉校し、吉海よしうみ地区にあるもうひとつの中学校と統合されたということだ。そうか、ゆり子先生、今は島にひとつだけになった中学校で教えているのかな? なんだか彼女、島の外に出ていくことはしなかったような気がするんだなあ……。

写真③ 校舎の中央部壁面のデザイン(青みはもっと鮮やかだったろう)など洒落ている。

 ようやく大島を縦断し、海に突き当たった丁字路ていじろを、右に曲がる。ここからサイクリングルートの本線を外れるのは、友浦ともうら港の沖合に浮かぶ九十九つくもじまを見にいくためだ。十五年前にゆり子が、誘拐犯によって軟禁状態に置かれた島である。

 謎の誘拐犯は、身代金五百万円を要求する。島の名家である二之浦にのうらにとって、それはすぐに用立てられる金額だった。ゆり子の父礼次郎れいじろうが一人で小舟を操り、犯人が指定した中渡島なかとしまおもむくと、そこの潮流信号所の門柱に「能島のしまへ回って次の指示を見るように」と張り紙がしてあった。身代金の受け渡しは能島でひっそり行なわれ、犯人が残したメモを頼りに九十九島に回航した礼次郎は、真夜中の無人島に一人放置されていたわが子を発見する――。

「あのとき、塾の帰り道に――」ゆり子は言った。里見は立ち止まったが、ゆり子がそのまま歩きつづけるので、あわててついてきた。
「クロロホルムか何か、そういうものを嗅がされたらしくて、気がついたら、どこかの磯に一人ぼっちで置き去りにされてたの。暗くて、霧が出てて、なんにも見えなくて、寒くて、頭がふらついて吐き気がして。それに磯には平らな砂地がほんの少ししかなくて、しかもちょうど潮が満ちてきてるときで、足元が水に漬かってしまうんじゃないかとおびえたわ。……そこが九十九島という名前の無人島だということは、あとで知ったんだけど」

20節

 大きく寄り道をして、友浦港へ。そこからバッチリ撮影した九十九島の姿を、しかしながら今回、お見せするわけにはいかない。べつに勿体もったいぶるわけじゃあないのだけれど、ここではただ九十九島を捉えてカメラのシャッターを切る僕の指先が、興奮のあまり震えていたことだけ書き留めておきたい。とにかく、ゆり子の誘拐事件には、至極メロドラマチックでトリッキーな裏が……いや、裏の裏があるのですよ。

 腕時計に視線を落とすと、もう午前十時半を回っている。先を急がなければ、お昼十二時半までに大三島おおみしま大山祇おおやまづみ神社に辿り着けないぞ。里見に誘われて、ゆり子の運転で二人がドライブデートをした伊予国一いよのくにいちみやに。

 伯方はかた・大島大橋に向かう途中、島そのものが村上むらかみ海賊の居城であった能島が視界に入る。急がば一旦休憩だ。自転車から降りると、ペットボトルの水の封を切り、能島を眺めながらゴクゴクと半分近く飲む。見る角度にもよるだろうが、こんもりとした木の間から石垣が覗く能島は、なんだか長崎の軍艦島ぐんかんじまを小さくしたみたい。この無人島で、ゆり子の身代金五百万円の受け渡しが行なわれたんだなあ。

 その場で簡単な体操をして、首や肩、背中と腰の張りをほぐす。あとは一気に、根性を入れて走りどおしだ。伯方島では脇目も振らず、大三島橋を渡って大三島へ。多々羅たたら大橋はスルーして井口いのくち港まで行くと、いざ大三島を横断する峠越えのコースに挑む。日射しは朝から強くとも、自転車を漕いで風を受けているため、あまり暑さは感じていなかった。けれど、両腕に目をやると、いつの間にか真っ赤に日焼けしている。能島のところで休憩したときは、全然こんなふうでなかったのに……。だんだんひどくなるお尻の痛みにも耐えながら、なんとか十二時十五分過ぎに大山祇神社に到着した。

 今回の旅程は、六月三日に大山祇神社を訪れることから決まったのである。去る三月、今治市役所のホームページを覗いてみれば、「大山祇神社御田植祭(一人角力ひとりずもう)」の今年の開催は「6月3日」と告知していたからだ。島の小学六年生の女の子十六人が、白衣に赤襷あかたすきをした装いで田植えをし、その脇では一力山いちりきざんなる力士が目に見えない〝稲の精霊〟を相手に角力すもうを取る――。お昼十二時半から始まる一連のお祭りに間に合うよう、必死に自転車を飛ばしてきたのだ。

 ところが、である。お祭りの行なわれる斎田さいでんの周囲に、あまり観光客の姿が見えない。首をひねりながら総門をくぐると、きらびやかな衣をまとった神職が集まっていた。そのなかの、白の着物に折烏帽子おりえぼうし、一人だけ裸足に草鞋わらじ履きの老爺ろうやをつかまえて今日のお祭りのことをくと、「遠くから来たん? そりゃあ、残念だったのう。三年続けて神事だけになったけん」

 まさか、そんな。地元の役所のホームページにだって、今年は例年どおりのように案内していたじゃないか……! 過去二年、コロナ禍のせいで大山祇神社の御田植祭が神事のみ行なわれたことは下調べ済み。しかしながら、いわゆる第六波が収束しつつあるなか、今年はフルスペックで催されるものと楽観していた。ああ、やはり神社に直接電話して尋ねてみるべきだったのだ。ハローキティ新幹線に乗れなかったケチが、ここ一番でまたついた。

 粛々と神事が進行するなか、田植えを一人きりで行なったのは、僕が話しかけた老爺だった。そうか、田んぼに入るから、足袋たびを履いていなかったのだ。おそらく、あのお爺さん、氏子総代うじこそうだいとかなんだろうな。

 神事を見終えて、一旦神社の外へ。すぐ近くのラーメン店で、豚骨とんこつならぬ猪骨ししこつから出汁だしを取った塩ラーメンをすする。豚骨スープより全然クセがなく、むしろさっぱりとさえしているのに驚くと、店主曰く「島のイノシシ、山で良いもの食ってるからね」と。食べている間に、カメラのバッテリーの充電までさせてもらってありがたい。

 昼食後、再び大山祇神社の神域へ。ようやくのことお参りを済ませると、里見がすこぶる興味を持っていた「日本でただひとつの女物のよろい」を見にいく。

 大三島の中心にある大山祇神社。瀬戸内水軍が守護神としてあがめた神社だ。その宝物館には、鎧、刀剣、槍、弓など、国宝や重要文化財に指定された武具が数多く陳列されている。里見が見たがっていた女物の鎧もそのひとつだった。「なるほど、まさしく女の鎧だ」里見が陳列台のガラスに顔を寄せて言った。
 鎧の胸にはふくらみがあり、腰もくびれている。
「女性のからだの線に合わせて造ってある。こんなのを見るのは初めてだ。話には聞いていたが、なにか、ちょっとセクシーだな」
 鎧の銘板には『紺糸裾素懸威胴丸こんいとすそすがけおどしどうまる』と書かれている。このあたりの海の色から取ったような、深みのある紺色である。十一枚に分かれた草摺くさずりが、プリーツスカートのようだった。

22節

 女物の鎧は、大山祇神社の大宮司だいぐうじ大祝安用おおほうりやすもちの娘鶴姫つるひめのものだとされる[写真④]。戦国時代の中期、繰り返し大三島に侵攻した周防国すおうのくに大内おおうち氏と戦ったと伝わる鶴姫は、じつに実在したかどうかも疑わしい人物であり、彼女が着用したという紺糸裾素懸威胴丸(国の重要文化財)が本当に女物であるのかについても異論反論が多く出ているらしい。


写真④ 創元推理文庫版『不思議島』と女物の鎧 (絵葉書)。そして腕時計の跡が残った左腕。

 そんな鶴姫をめぐるマイナスの情報は前もって仕入れていたものの、かの鎧をいざ目の前にしてみると、これはもう〝戦闘美少女〟のコスチュームだと思えてならない。普通の鎧だと草摺は四枚から八枚ていどであるのに、ずいぶん多めの十一枚に分かれているのを「プリーツスカート」にたとえた多島たじまはオシャレだ。やっぱり、大三島の姫君が身に着けた鎧と信じるほうが、断然ロマンがあるのである。ちなみにだが、僕は観ていないのだけれど、元祖国民的美少女・後藤ごとう久美子くみこが鶴姫を演じたテレビドラマ『鶴姫伝奇』も制作されている(一九九三年十二月二十八日、日本テレビ系列で放送)。

 空調のよく効いた宝物館から出ると、外は炎天下と呼びたいくらい。里見とゆり子も見た「女物の鎧」は、期待していた以上に胸を高鳴らせるものだった。とはいえ、せっかく御田植祭の日に来訪したのに、「一人相撲」なる慣用句の語源とされる重要行事を観覧できなかったことがどうにも心残り。愛媛県の無形民俗文化財になっている一人角力について、なぜか『不思議島』の中ではいっさい触れられない。大山祇神社と聞けば、僕などは一番に一人角力を連想するのだけれど。あの全面的に頼るべきでなかった今治市役所のホームページにだって、「大山祇神社御田植祭(一人角力)」と紹介されていたくらい。

 この有名な行事について、作者の多島はわざと書かずして伏線にしたと僕は考える。『不思議島』を読み終えてみれば、悲しいかなヒロインのゆり子の恋は一人相撲だったというほかなく、それに少女時代の彼女に暗い影を落とした誘拐事件もまた読者の予想を見事に裏切る形での一人相撲だったわけで……。

 さあ、本土今治にゆっくり戻ろう。今日は自転車で、往復約七十キロメートルを走破することになる。もう生涯で、こんなにペダルを漕ぐ日はあるまい。

《ジャーロ No.85 2022 NOVEMBER  掲載》

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『不思議島』多島斗志之

■あらすじ
二之浦ゆり子は青年医師・里見に誘われ、瀬戸内海の小島巡りに同行するが、その際、ひとつの無人島を目にしたことで、過去の悪夢が甦る。彼女は15年前誘拐され、その島に放置されたことがあるのだ。里見と交際を始めたゆり子は、彼とともに過去の謎と向き合う決意を固めるが、浮かび上がってきたのは驚愕の真実だった。『症例A』の著者が贈る、ドラマとトリックが融合した傑作。



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