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外れ籤としての東京五輪|千街晶之・ミステリから見た「二〇二〇年」【第4回】

文=千街晶之

第二章 外れ籤としての東京五輪

 自分では当たりくじを引いたつもりが、実はとんだ貧乏籤だった――という皮肉な事態が、世の中には時々起こるものである。日本という国にとって、二〇二〇年に東京で夏季オリンピック・パラリンピック(以下、東京五輪と略記)が開催されると決定した瞬間こそが、まさにそのような事態だった。周知の通り、コロナ禍と重なったことで予定は大混乱におちいり、開催が二〇二一年に延期され、あろうことか、新型コロナ第五波の真っ最中に競技が行われてしまったのである。

 もちろん、二〇二〇年にパンデミックが到来するなどとは誰にも予想できなかったことであり、それ自体は日本政府の責任ではない。だが、開催前からこの五輪には、さまざまな問題が生じていたことも事実であり、その責任の多くは日本政府および国際オリンピック委員会(IOC)、日本オリンピック委員会(JOC)などの関係組織に帰せられるだろう。

 世界的なスポーツの祭典として崇高な理念で飾り立てられた五輪だが、実際には、招致にまつわる金銭疑惑の数々、IOC委員ら関係者の貴族的な特権階級意識、環境破壊や関連施設建設予定地の住民の強制退去、スポーツとナショナリズムの結びつき、警備を口実とした反体制運動の抑圧、経済効果を期待して五輪を招致した国がかえって財政的危機に陥る現象(例えば二〇〇四年のアテネ五輪)等々、負の要素も必ずと言っていいほどつきまとう。

 では、今回の東京五輪ではどのような問題が見られたのか。まず二〇一三年九月、IOC総会において五輪の開催都市が一九六四年以来五十六年ぶりに東京に決定したが、そもそもこの決定からして、五輪招致をめぐる金銭授受の疑惑が根強くささやかれており、とうとう二〇一八年にはフランスの捜査当局が、贈賄容疑で当時のJOC会長・竹田たけだ恆和つねかずを容疑者とする捜査の開始を決定した。この報道を受けて、竹田は翌年にJOC会長およびIOC委員を退任している。また、招致当時の東京都知事・猪瀬いのせ直樹なおきは(五輪とは関係ないが)金銭スキャンダルにより、招致からわずか三カ月で辞任の憂き目を見た。東京五輪の開催決定は、最初からケチがついていたのである。

 東京五輪に関する諸問題がそろそろ噴出しはじめたのは二〇一五年だったと言っていい。というのも、公募で選ばれた五輪エンブレムに盗用疑惑が持ち上がって撤回され、また世界的に高名な建築家ザハ・ハディドによる新国立競技場デザイン案が総工費の問題を理由として白紙化されたのがこの年だったからである。また、安倍あべ晋三しんぞう首相(当時)は開催予定時期に猛暑が予想されたにもかかわらず経費節減のため客席の冷暖房設備のカットを指示し、有識者会議では打ち水や浴衣などといった失笑ものの暑さ対策が提案された。

 水泳競技が行われる予定の東京湾の水質問題や、五輪組織委員会がボランティアに参加した大学生に単位を与えるよう各大学に求めた件など、報道されて批判を招いた件は大量に存在する。新国立競技場の建設に伴って近くの公団住宅の住人たちが強制移住させられる事態も発生したし、二〇一七年三月には、突貫工事のしわ寄せにより下請けの建設会社社員が自殺している(新国立競技場の建設現場では、他にも事故などで三名が亡くなったと報道されている)。二〇二一年六月にはJOCの経理部長が自殺を遂げたけれども、五輪開幕を目前に控えて金銭問題とこの件を結びつけられたくないためか、JOC会長の山下やました泰裕やすひろは自殺説を否定した。

 東京五輪において、政府が掲げたスローガンは「復興五輪」である。だが実際には、五輪の予算が跳ね上がる一方、「復興五輪」の地元である被災地向けの予算は大幅に削られていった(政府の復興予算は二〇二一年度からの五年間で計一兆六〇〇〇億円になる見込みであり、それ以前の五年間の計六兆五〇〇〇億円に比べれば約四分の一である)。また、東京五輪を控えた首都圏での建設需要の高まりのせいで、工事の人件費や資材コストが上がり、東日本大震災を含む地方の災害復興が遅れるという現象も見られた。そのような政府の姿勢が不信を招いたからであろう、岩手・宮城・福島の被災地の一〇〇〇人にNHKがウェブ上でアンケートを行ったところ、五輪により復興が後押しされたかという質問に対して、「思わない」という回答者が六三%を占め、「思う」という回答者の六倍近くに達した(その他の質問でも、「復興五輪」への否定的な評価が肯定的な評価を上回っている)。また、二〇一三年、IOC総会における東京招致のプレゼンテーションで、安倍首相は福島原発の状況を「アンダー・コントロール(状況は統御されている)」と断言したけれども、この発言にも批判が集中した。「復興五輪」問題は、東京五輪をめぐる諸問題の中でも最も罪深いものと言える。

 IOC、JOCなど関係団体の幹部たちの、世間の批判などどこ吹く風と言わんばかりの殿上人てんじょうびとぶりは目に余るものがあり、中でもIOCのトーマス・バッハ会長の尊大な発言の数々や開催地から予算を吸い上げようとするような姿勢は「ぼったくり男爵」の悪名で形容されるようになった。また、五輪組織委員会初代会長の座に就いたもり喜朗よしろう元首相は、もともと暴言・失言を繰り返しながらも懲りない人物だったが、二〇二一年二月、JOCの会合の場で、女性が沢山いる理事会は時間がかかるという女性蔑視発言をしたことが報道され、国内外からの批判を浴びて辞任に追い込まれている。

 こうした数々の疑惑や醜態が積み重なった果てに、とどめを刺すように到来したのがコロナ禍だった。二〇二〇年の予定だった開催は翌年に延期されたが、二〇二一年こそは前年にも増して新型コロナが猖獗しょうけつを極めた年であり(当初のアルファ株からデルタ株への置き換わりが急速に進んだ)、八割以上の国民から開催中止または再延期を求める声が上がったけれども、政府とIOC、JOCはそれを無視して、第五波の真っ最中に開催を強行した。IOCのジョン・コーツ副会長は、緊急事態宣言が出ていても東京五輪は開催されるべきであると述べ、すが義偉よしひで首相(当時)は、コロナ禍が終息しない状況であるにもかかわらず「人類がウイルスに打ち勝った証」として五輪を開催すると幾度も繰り返し、田村たむら憲久のりひさ厚生労働相(当時)は、五輪開催に伴う新型コロナの感染拡大リスクをめぐる政府対策分科会の尾身おみしげる会長の警告を「自主的な研究の成果」と一蹴したのである。

 雨宮あまみや処凛かりんのレポート「貧困の現場から見えてきたもの4」(もり達也たつや編著『定点観測 新型コロナウイルスと私たちの社会 2021年後半』所収)によると、コロナ禍の状況下、住まいのない人々や生活保護を申請している人々がホテルに滞在できるようになっていたが、五輪開催直前の二〇二一年七月、彼らはそのあおりでホテルから退去を求められた(その際、はっきりと「オリンピックがあるから」と言われたケースもあるという)。この状況を受け、支援団体はホテルの確保を東京都に求め、都からは「困窮者を受け入れるホテルは十分確保している」という回答が来たが、五輪が原則無観客となったからいいようなものの、当初の予定通り有観客の場合にホテルの確保は果たして可能だったのだろうか。

 東京五輪開幕後、国内の感染状況はそれまでになく悪化し、八月五日には都内の新規感染者が五千人を超えた。医療崩壊が発生し、自宅療養中の死者も増加した。これに対し、五輪参加選手や関係者の感染は限定的であり、大会開催との因果関係を科学的に分析するのは難しいとの立場から、政府は五輪による感染拡大はなかったと主張している。しかし、五輪関係者の中でクラスターは発生しなかったにしても、五輪開催のお祭り気分が人流の活性化を促し、感染拡大に拍車をかけた可能性は否定し難い。五輪さえなければ、デルタ株の脅威に対して政府・自治体・医療関係者はより効率的に対処し得たのではないか。私が冒頭で東京五輪を「貧乏籤」と表現したのは、そういう意味である。

 アスリートたちの活躍から励ましを与えられた人々が多くいたことは事実である。しかし、これまで述べたような負の事象を無視してはならないとする立場からは、東京五輪は二〇二〇年前後の日本にとってコロナ禍と並ぶ一大ピンチだったとしか言いようがない(ここまで長々と記した通り、仮にコロナ禍と重ならなかったとしてもこの五輪にはろくでもない話題が多すぎるのだが)。ならば、フィクションの世界でも、前章で触れたコロナ禍のように、五輪騒動を取り扱った作品が急増したのだろうか。

 現実は、そうはならなかった。コロナ禍を背景にしたミステリが今なお続々と発表されているのに対し(前号でコロナ・ミステリについて論じた第一章が完結してからも、阿津川あつかわ辰海たつみ『入れ子細工の夜』赤松あかまつ利市りいち『東京棄民』のような作品が刊行されている)、開催前こそ五輪をモチーフにしたミステリが散見されたものの、開催後はほとんど見られなかった。


 何故か。そこには、コロナ禍とは全く異なる東京五輪特有の事情が存在していたからである。

 だが、その事情に具体的に触れる前に、東京五輪を直接描くのではなく、時代背景として間接的に描くか、または前回――すなわち一九六四年東京五輪をメインに扱ったミステリに言及しておきたい。

 一九六四年東京五輪を背景にしたミステリ小説といえば、二〇〇八年に刊行され奥田おくだ英朗ひでお『オリンピックの身代金』が最も有名だろう。第四十三回吉川よしかわ英治えいじ文学賞を受賞し、後にドラマ化もされたこの長篇は、秋田県から上京した青年が、東京と地方の経済格差をの当たりにし、東京五輪を人質として八千万円を要求する物語であり、一九六二年から一九六三年にかけて世間を騒がせた未解決事件「草加くさか次郎じろう事件」から空想を膨らませている。もちろん、この作品の刊行時点では、東日本大震災も起きていないし二〇二〇年東京五輪も決定していないけれども、ここで奥田が描いた、五輪が華々しく開催される東京の繁栄と、その陰で置き去りにされる地方という問題が、二度目の東京五輪でも繰り返されてしまったことは、先に触れた、岩手・宮城・福島の被災地の人々を対象とするNHKのアンケートの結果からも明らかだ。


 その奥田英朗が二〇一九年八月に新潮社から刊行した『罪のわだちは、『オリンピックの身代金』の前年(一九六三年)を舞台にしており、実際にあった「吉展よしのぶちゃん誘拐殺人事件」をモデルにした事件を、前作に登場した警視庁捜査一課の落合おちあい昌夫まさお刑事らが捜査する物語だが、一九六四年東京五輪に向かってゆく世相を背景にしているものの、五輪との直接的な関連性は薄い。


 一九六四年東京五輪をより正面切って描いたのが、二〇一五年九月、講談社から刊行された競作集『激動 東京五輪 1964』である。参加作家は、大沢おおさわ在昌ありまさ藤田ふじた宜永よしなが堂場どうば瞬一しゅんいち井上いのうえ夢人ゆめひと今野こんのびん月村つきむら了衛りょうえ東山ひがしやま彰良あきらの七人。一九六四年東京五輪の背後で起きていた秘史を数十年後に掘り起こす話あり、同時期の草加次郎事件を扱った話あり、SF仕立ての奇譚きたんまであって多彩な内容だが、収録作には、五輪という巨大スケールの国家的行事の影で翻弄ほんろうされる「個」を扱っているという共通点がある。

 この本の収録作中、最も力が籠もっているのは月村了衛の「連環」だろう。月村はこの短篇を長篇に改稿し、二〇一九年五月、『悪の五輪』として講談社から上梓した。


 現実の一九六四年東京五輪では、記録映画監督の候補だった黒澤くろさわあきらが辞退し、後任は市川いちかわこんに決定している。『悪の五輪』は、その背景で進んでいた出来事という設定の小説である。

 黒澤の降板によって空白となった記録映画監督の座を狙う松竹の映画監督・錦田にしきだ欣明きんめいから泣きつかれた都議会議員は、その話を暴力団の白壁一家しらかべいっかに回してきた。白壁一家は博徒系であり映画などの興行との関わりはなかったが、人見ひとみ稀郎きろうという映画好きの変人ヤクザがいた。親分から錦田を記録映画監督に押し上げるよう命じられた稀郎は、五輪組織委員会のメンバーを、買収、色仕掛けなどの手で籠絡ろうらくしてゆく。

 多くの映画を観てきた稀郎からすると、錦田欣明は腕が立つ中堅ではあるものの巨匠には程遠く、記録映画監督の器ではない。錦田本人の人間性も卑小で、稀郎に嫌悪感を催させるものだった。しかし、親分の命令に嫌々ながらも従っているうち、稀郎の中に、二流監督の錦田を国家事業の象徴に押し上げることで、兄を戦争で死なせた日本という国をコケにする野望が生まれる。それは単なる復讐ではなく、偽物を本物にするという映画の魔法に通じる、映画好きの彼ならではの夢でもあった。錦田もそれに応えるように、次第に大監督としての老獪ろうかいかつ毅然きぜんとした振る舞いを身につけてゆく。

 策謀をめぐらす過程で、稀郎は各界の大物たちの知遇を得ることになる。伝説のヤクザ・花形はながたけい、大映の社長・永田ながた雅一まさいち、政界のフィクサー・児玉こだま誉士夫よしおら、いずれも実在の人物だ。講談社文庫版の解説で柳下やなした毅一郎きいちろうが指摘しているように、「いわば国家的悲願としてあった巨大イベント、東京オリンピックの光が投げる大きな影の中で、闇の怪物たちは生き生きと躍動する。オリンピックという大きな光があればこそ、海千山千の怪物たちの暗躍する影も広がろうというものだ。いや、むしろそれこそが国家イベントなるものの本質であるのかもしれない。『悪の五輪』のほうこそがオリンピックの真の姿なのだと、人見はどこかで直観している。居並ぶ実在の昭和の怪物たちは、それを我々読者に教えてくれる存在なのだ」。実在の人物といえば、この当時は無名の若手に過ぎないけれども、後に『壁の中の秘事』や『胎児が密猟する時』などを撮って名を上げる反体制の映画監督・若松わかまつ孝二こうじも登場し、稀郎と意気投合する。

 さまざまな勢力との虚々実々の駆け引きの中で、稀郎は映画界のみならず、東京五輪から甘い汁を吸おうとする連中の醜悪さを嫌というほど見せつけられる。もちろん、彼自身も五輪利権にたかる蟻の一匹に過ぎないのだが。そんな彼は、当然のように巨悪たちに使い捨てにされ、分不相応な夢ははかなついえ去る。

 錦田欣明は架空の監督だが、終盤で暴かれる彼の女性スキャンダルは、最終的に記録映画の監督に決定した市川崑にまつわるエピソードを想起させる。月村自身も《現代ビジネス》二〇一九年五月十六日のウェブ記事に掲載されたインタビュー「エンターテインメント小説の旗手は、なぜ昭和史の闇を描き続けるのか」(取材・文:千街せんがい晶之あきゆき)の中で、「有体に申しますと、市川崑が女優の有馬ありま稲子いねこに対してどれだけひどいことをしたかという話ですよ。それは昔から折に触れて有馬稲子が語っていますが、市川崑ご本人は亡くなっているので、この二人の関係を別人にずらしたんですね、作中の錦田欣明という架空の監督の話として」「市川崑が記録映画の監督になる結末はみんな知っていることが前提なので、物語はそこで終わらせようと。市川崑本人については、最後に名前が出るまでは一切言及しない。すべては錦田に仮託して、ちょっとこれはないだろうというひどいことをやってたんだというのを書いたんですね」と語っている。


 既に記した通り、この作品の原型となった短篇が発表されたのは二〇一五年なので、その時点では、二〇二〇年東京五輪公式記録映画の監督は決定していない。結局、監督には二〇一八年十月に河瀨かわせ直美なおみが指名されたけれども、彼女に関しては五輪終了後、過去の暴力沙汰やパワハラなどのかんばしからぬ評判が報道されている(河瀨直美に限った話ではなく、このところ映画界では過去のセクハラ・パワハラの告発が相次いでいる)。『悪の五輪』の映画界の描き方は、まるでこの一連の騒動を先取りしたかのようだ。月村は一九六四年東京五輪の裏面を描きつつ、それを通して二〇二〇年東京五輪に向けて狂奔きょうほんする現在の日本を諷刺ふうししている。ならば、一九六四年に仮託して描いた映画界の醜悪さが現実の二〇二〇年東京五輪において繰り返されたとしても、それは当然の流れなのだ――タイトルが示す通り、まさに「悪」こそが「五輪」の本質に他ならないのだとすれば。

 市川崑の女性問題が架空の人物に託して告発されている一方で、若松孝二が映画撮影中に出演者二人を事故死させてしまい、一九六四年東京五輪開会式の当日に遺体が発見された件は事実そのままに描かれている。作中では、妻子ある身で愛人の女優に二度も中絶を強要しておきながら「それくらい、映画界なら普通のことじゃないですか。女の不注意で子供ができたんなら、堕ろすのは当たり前でしょう。どんな大監督だって、世間に知られてないだけでみんなやることはやってるんだ。僕は全部知ってるぞ。そうだ、僕だけじゃない、この世界の人間なら誰だって知ってる。それでいながら、相手が巨匠だというだけで黙ってる。どいつもこいつも、我が身が可愛いだけなんだ」と醜く開き直る錦田欣明は作中で下司げすの極みとして断罪されるが、若松孝二に対しては稀郎は「甘えてんじゃねえ。監督ってのはな、映画のためには何があっても、どんな責任であっても引き受ける。その覚悟もなしに、あんたは映画をやってたのかい」「こんな所でぐずついてねえで、さっさと行け。ちゃんとやるべきことをやってこい。その上で、あっちこっちに土下座してでも次の作品を撮ればいい。監督の落とし前の付け方はそれしかねえ。いい作品を撮って、死ぬときはそいつを手土産に地獄へ行け。死んだ役者が許してくれるほどの作品を撮るんだよ」と叱咤激励する――つまり、若松の過失を肯定はしないまでも、死んだ役者たちが納得するほどの傑作を撮ることが映画監督としての償いだという結論に落ちついている。これは主人公である稀郎がアウトローということもあって、こういう価値判断になっていると考えられるが、この作品が刊行された二〇一九年よりも、現時点の二〇二二年のほうが映画関係者の不祥事に対する世間の目は遥かに厳しいものとなっているので、この結末に対する読者の感想は変わってくるかも知れない。

 他に、一九六四年東京五輪を扱ったミステリとしては、東京五輪に伴う大規模な都市開発を背景にして謎多き女性の数奇な人生を浮かび上がらせる森谷もりや明子あきこ『涼子点景1964』(二〇二〇年一月刊、双葉社)が挙げられる。認知症の母が自分は「東洋の魔女」だと口走った謎を息子が追う辻堂つじどうゆめ『十の輪をくぐる』(二〇二〇年十二月刊、小学館)も、著者の作品としてはミステリ色は薄いものの、一九六四年東京五輪をモチーフに一人の女性の苦難に満ちた人生を、現在と過去を並行させながら描いている。


 西村にしむら京太郎きょうたろう『東京オリンピックの幻想』(二〇二〇年四月刊、文藝春秋)は、一九四〇年に開催される予定だった幻の東京五輪を扱った珍しい作例である。著者が西村京太郎なのでミステリかと思いきや、実は十津川とつがわ省三しょうぞう警部が登場するのはプロローグおよび最後の第七章だけであり、作品の大部分は、一九三八年当時の東京市の五輪宣伝担当職員・古賀こが大二郎だいじろうを主人公とする歴史小説仕立てとなっている(謀略小説の一種だと考えればミステリの枠内に含められなくもないが)。古賀と組んで日中戦争停戦を画策する関東軍参謀副長・石原いしわら莞爾かんじをはじめ、時の首相・近衛このえ文麿ふみまろ、五輪招致のために奔走するIOC委員・嘉納かのう治五郎じごろう、停戦工作のキーパーソンとなる陸軍参謀総長・閑院宮載仁王かんいんのみやことひとおおうら実在の人物が数多く登場し、停戦工作の失敗、それに伴う東京五輪開催返上……といった歴史の流れがつづられている(普通に十津川警部シリーズのトラベル・ミステリだと思って手に取った読者はさぞや面食らったのではないか)。西村はこの小説を通して、一九四〇年の東京五輪が何故なぜ幻に終わったかを描き、当時の日本人の体質が現在の日本のスポーツ界にも残されているのではないかと読者に問いかけているのである。


 ここまでに挙げた作品群は、東京五輪閉幕後の今読んでも特に違和感はない。それは、過去の東京五輪を舞台にしたこれらの作品が、二〇二〇年の予定だった東京五輪に伴う、開催時期の変更などのドタバタから大きなダメージを受けなかったからだ。また、過去の五輪から現在の問題点を逆照射するという手法が、一定の普遍性をそなえているからでもある。

 過去の東京五輪を扱った小説以外にも、実際の世相からさほど大きな影響をこうむらずに済んだ作例がある。その代表が、吉上よしがみりょう『泥の銃弾』(二〇一九年四月刊、新潮文庫)と藤井ふじい太洋たいよう『ワン・モア・ヌーク』(二〇二〇年二月刊、新潮文庫)だ。この二作には、クライマックスの舞台が新国立競技場であるという共通点が存在する。


『泥の銃弾』の序章では、二〇一九年七月、新国立競技場で東京都知事が狙撃されるという事件から幕を開ける。犯人として逮捕されたのはクルド人難民だったが、彼は勾留中に持病で急死し、狙撃の理由は謎に包まれたままに終わる。大新聞の社会部記者だった天宮あまみや理宇りうは、退社してフリーのジャーナリストになってからもこの事件を追い続けていた。翌二〇二〇年、天宮のもとにアル・ブラクと名乗る人物から情報提供の電話がかかってくる。彼は「おれは〈都知事狙撃事件〉の真犯人に関する重要な手がかりを知っている」と天宮に告げた――。

 都知事狙撃事件の真相をめぐってジャーナリスト魂を奮い立たせる天宮、暗躍する謎の男アル・ブラク、そして難民組織や警視庁公安部などが入り乱れ、誰が敵か味方かわからない複雑な構図が織り成されてゆく。作中の日本では、二〇二〇年代に予想される少子高齢化の進行による労働力不足を解消するため、労働力としての移民・難民の受け入れの基本方針が定められ、二〇一七年には難民特措法と呼ばれる一連の入国管理政策の大改革が行われている。大きな代替労働力となった難民たちは、日本社会を支える不可欠な存在となったものの、都知事狙撃事件を機に日本社会では移民・難民排斥の動きが活発化し、難民は共存の相手から管理すべき対象へと様変わりしてしまった状態だ。著者は現実の日本の移民・難民に対する排他的感情と、彼らの労働力だけを搾取しようとする日本政府の姿勢を作中に反映させ、骨太かつスケールの大きなポリティカル・サスペンスに仕立て上げている。

 この作品では、冒頭およびクライマックスの舞台となるのが新国立競技場である。しかし、選ばれた理由は象徴的な意味合いに限定されており、二〇二〇年にそこで開催される予定だった東京五輪への言及は最小限にとどめられている。

 その点は『ワン・モア・ヌーク』も同様だ。こちらは、「最後に一度だけ、原爆を東京に。」という衝撃的な帯の惹句じゃっくが示しているように、二〇二〇年三月十一日に新国立競技場を舞台とする原爆テロを目論む犯行計画の顛末が、テロリストたち、犯行を阻止しようとする国際原子力機関(IAEA)の技官・舘埜たての健也けんや、そして警視庁公安部外事二課の三視点から描かれる物語である。ただしこの原爆テロに関わるグループの中心人物たちは異なった目的から協力し合っており、いざとなれば互いを裏切ることも辞さない呉越同舟の関係だ。

 この作品は雑誌《yom yom》に二〇一五年から二〇一七年にかけて連載され、二〇二〇年二月に新潮文庫から刊行されている。つまり、作中でテロが行われることになっている三月十一日の直前に合わせた刊行である。ここからもうかがえるように、著者が意識していたのは二〇二〇年七月二十四日に開催される予定だった東京五輪ではなく、むしろ二〇一一年三月十一日に発生した東日本大震災である。テロリストの一人は、あの震災の際にき散らされた放射能関連の風評被害にいきどおり、放射能デマを潰すためのテロを立案する――それは、東京で同じ規模の原子力事故を起こして、今度こそ政府に正しい説明をさせようというものだ。

 著者は《週刊現代》二〇一六年十二月十日号の記事「なぜSF作家・藤井太洋はエンジニアをやめて小説家に転身したのか?」(構成:朝山実あさやまじつ)で、「私は小説を書き始めてまだ4年です。東日本大震災と原子力発電所事故後の放射能に対する報道が恐怖心を煽るガジェットとして使われ、科学技術に拒否反応を抱く人が増えていく様子に、これではいけないと思ったのがきっかけでした」と述べており、テクノロジーのもたらす恩恵を、その限界にも目を向けつつ描き続けている作家である。その志の真摯さ自体は疑い得ない。また、『ワン・モア・ヌーク』のサスペンスの盛り上げ方が巧みである点――すなわち、小説としての技術点の高さも評価されるべきである(実際、そういう観点からこの作品を評価した書評を書いたこともある)。


 だが、そういう立場からの発信であるため、『ワン・モア・ヌーク』という小説では、原発事故があれほどの規模となったそもそもの原因である、マスメディアに多額の金をばら撒いて成立させてきた「安全神話」に象徴される電力会社の倨傲きょごうや情報隠蔽体質、それを国策として推進してきた日本政府の責任は問われていない。東日本大震災による原発事故を経てすら「安全神話」を復活させようとする安倍晋三政権以降の日本政府の姿勢への懐疑も、寺尾てらお紗穂さほ『原発労働者』(二〇一五年)で指摘されているような現場の諸問題(例えば、外国人労働者が原発の中でも危険な現場に駆り出されてきたことなど)への意識もない。ただ、放射能デマを撒き散らした側への批判だけがあって、そもそも事故が起きなければ避難者もいないし放射能デマも発生し得ないという因果関係への考察は見られない(そこに書かれていないからといって著者がその問題について考えていないことにはならないし、あるテーマを書く上で話題を拡げすぎることから生じる弊害は確実にあるので、私のこの批判をないものねだりと捉える向きも存在するだろうと思う。しかし、私には放射能デマの問題と、その原因となった原発事故に責任がある電力会社や政府の姿勢とが無関係であるとはどうしても考えられないのである)。

 放射能デマを潰そうとした人物がテロ行為に走るという設定から、デマ潰しの立場を全面的に正当化しているわけではないという言い訳が成立するとしても、犯行を阻止しようとする側の舘埜こそが犯人の最大の理解者として描かれているのだから、実はこの小説において両者のあいだに価値観の対立はほぼ存在していない。一歩間違えれば、このような姿勢は「安全神話」を奉じ続けている体制や権力への追随につながりかねない。解説で文芸評論家の仲俣なかまた暁生あきおは著者を「フェアネス(公正さ)の感覚を失わない書き手」と評しているけれども、果たしてこのような著者の姿勢をフェアと形容し得るのだろうか。同じポリティカル・サスペンスでも、原発推進派・反対派双方のダークサイドを公平にいた東野ひがしの圭吾けいご『天空の蜂』(一九九五年)などと比べても、かなり後退した作品であると感じられてならない。


 これらの小説の評価は、発表当時の現在を舞台にしている以上、一九六四年東京五輪を扱った作品群に比較すれば、危ういことになりかねない可能性もあった。しかし、『泥の銃弾』はコロナ禍到来より前、『ワン・モア・ヌーク』は東京五輪延期決定より前に刊行されており、しかも、『泥の銃弾』では難民問題、『ワン・モア・ヌーク』では放射能デマ問題がテーマとして前面化されているため、ポリティカル・サスペンスとしての評価に五輪延期が関係することは殆どなかった。その意味で、現実の情勢からの影響はごく小さい傷で済んだのである。

 だが、これから紹介する作品群はそうはいかなかった。コロナ禍による五輪開催延期という誰も予期しなかった現実の大波を、もろにかぶってしまったからである。

(この章、続く)

《ジャーロ No.83 2022 JULY 掲載》



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